2002年秋、緊急リリースされた密室感炸裂シングル『come baby』で、音楽ファンのハートを鷲掴みにしていった特殊新人 ユニット“岡村靖幸と石野卓球”。その彼らが“岡村と卓球”とユニット名を変え、2003年末に再び光臨!
1stにしてラストアルバムとなる『The Album』を、12月17日にこれまた突然リリース!!!!!
日本音楽界を代表する両奇才の才能が、驚異の核融合!&大爆発!
聴く者を震撼させる、これぞ大問題作にして大傑作!!!


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Release

岡村と卓球『The Album』 / 2003.12.17 on sale / \3,059(tax in) KSCL 638
試聴はコチラ!!
  1. the spider
  2. rock'n roll slave
  3. new wave boy
  4. come baby2(meet you@hard rock cafe)
  5. funky pink rotor
  6. adventure (e-pop mix)
  7. abnormal frequency
  8. alfa inn
  9. come baby
  10. eclipse
  11. turtels have short legs
  12. ウキウキWATCHING
    ―bonus tracks―
  13. adventure (j-pop mix)
  14. come baby(yasuyuki okamura remix)
    CD EXTRA come baby (Music Clip)


岡村靖幸と石野卓球『come baby』 / 2002.9.19 on sale / \1,020(tax in) KSCL 476
試聴はコチラ!!
  1. come baby(original mix)
  2. come baby(video edit)
  3. come baby(takkyu's night flight mix)


Profile

岡村靖幸
生年月日:1965年8月14日 血液型:B型 出身地:神戸市

弱冠19歳にしてすでに、吉川晃司・渡辺美里・鈴木雅之などへ楽曲を提供し作家として非凡な才能を発揮していたが、自らもアーティストとして86年12月1日シングル『Out of Blue』(Epic Sony)で衝撃のデビューを果たす。そして87年3月21日に1stアルバム『yellow』をリリース。その後88年『DATE』、89年『靖幸』とコンスタントに3枚のアルバムと『イケナイコトカイ』『だいすき』等8枚のシングルをリリースし、3度の全国ツアーも行うなど作品とパフォーマンス両方で説明不能の類まれなる才能を発揮し、89年12月には初の主演映画『Peach―どんなことをしてほしいのぼくに』が公開される。

90年には4thアルバム『早熟』を3月21日リリース、そして11月16日に5thアルバム『家庭教師』を発表。94年12月13日に6thアルバム『禁じられた生きがい』の3枚のアルバムと『どおなっちゃってんだよ』『あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう』『カルアミルク』『パラシュート★ガール』等9枚のシングルとライブビデオを95年までにリリースし2度の全国ツアーを敢行。96年には川本真琴のデビューシングル『愛の才能』をプロデュースし、自身も2度の全国ツアーと19thシングル『ハレンチ』をリリースするが、その後スタジオワーク中心の活動に入る。99年に3年振りに20thシングル『セックス』をリリースするが、岡村靖幸のエンターテインメントの真髄でもあるライブパフォーマンスはもちろん表舞台での活動からは殆ど姿を消してしまう。作品としては2000年4月19日に21thシングル『真夜中のサイクリング』を発表、2001年3月28日に23thシングル『マシュマロハネムーンーfeat. Captain Funk』を含む初のベストアルバム『OH!ベスト』を発表、そしてCHARAのシングル『レモンキャンディ』を楽曲提供する。

2002年に入りSOPHIAのシングル『HARD WORKER』をプロデュース、そして同年に朝日美穂が中心になりクラムボン・くるり等が参加した『岡村靖幸トリビュート・どんなものでも君にかないやしない』がリリースされ大きな話題を集める。7月にはmegのデビューシングル『スキャンティブルース』をプロデュース、さらにはUKガラージシーンでも活躍するDj ajapaiのシングル『DAI-SHA-RING』に作詞とfeat.Voとして参加(アナログのみ)。そして9月19日、以前から親交のあった石野卓球とユニット"岡村靖幸と石野卓球"を結成し、シングル『come baby』をリリース、大きな話題を呼ぶと同時に活動が活発になってくるも依然として表舞台には姿を表して来なかった・・・・っが!

2003年8月、突如「ROCK IN JAPAN FES.2003」に出演し、実に7年ぶりとなるライブパフォーマンスを披露し表舞台に復活。10月にはデーモン小暮閣下のアルバムにプロデュースと楽曲提供。そして復活行脚とも言うべき7年ぶりライブツアーを「フレッシュボーイTOUR」と題して計5公演を行い大成功を収める。そして12月17日にこれまた突如"岡村と卓球"(シングル時とはユニット名を変更)名義のフルアルバム『The Album』(キューンレコード)がリリースされる。

石野卓球
生年月日:1967年12月26日 血液型:O型 出身地:静岡市

1989年にピエール瀧らと"電気グルーヴ"を結成した中心人物。1995年には初のソロアルバム『DOVE LOVES DUB』をリリースし、この頃から本格的にDJとしての活動もスタートする。1997年からはヨーロッパを中心とした海外での活動も積極的に行いはじめ、1998年にはベルリンで行われるテクノ最大のフェスティバル"LoveParade"のFinal Gatheringで100万人の前でプレイするという偉業を成し遂げる。また、ドイツ・テクノシーンの重鎮、WestBamとユニット"TakBam"での活動など、海外のアーティストとのコラボレーションも盛んに行っている。1999年からは1万人以上を集める日本最大の大型屋内レイヴ"WIRE"を主催し、精力的に海外のDJ/アーティストを日本に紹介している。2002年は、2002 FIFA World Cup TMの公式アンセム(ヴァンゲリス作)のリミックスや、シティボーイズのライヴ『パパ・センプリチータ』の音楽プロデュース(『パパ・センプリチータ』のサウンドトラックはキューンレコードよりリリース)、岡村靖幸とのユニット"岡村靖幸と石野卓球"名義でマキシシングル「come baby」をリリース。現在までに4枚のソロアルバムを発表。2003年夏にはレジデントDJを務めるレギュラーパーティー"STERNE"でライヴレコーディングされたMIX CD『IN THE BOX〜Live at WOMB Tokyo〜』(キューンレコード)をリリース。12月17日には岡村靖幸とのユニット"岡村と卓球"(シングル時とはユニット名を変更)名義のフルアルバム『The Album』(キューンレコード)をリリース。待望のニューアルバムは、2004年春にリリース予定。www.takkyuishino.com


What's about 岡村と卓球『The Album』Vol.1

 昨年9月、唐突に発表された「come baby」以降、とんと音沙汰が聞こえてこなかった岡村靖幸と石野卓球のユニット。シングルのみの単発企画……と思わせつつ、実はすでに昨年末、わずか2週間でアルバム・レコーディングを完了済み。今年初めにリリース情報が流れるもキャンセル、公開が凍結されていた当該作品だが、理由はさておき解禁の運びとなった。秘密のベールに隠されていた“密室”でのメイク・ラヴ、その全貌がようやく明かされるときがやって来たわけである。
 題して――岡村と卓球『The Album』。
 ド直球というか、なげやりというか……装飾感が微塵もないタイトルだが、中身のほうはかなり深い。もう何度も聴き返しているけれど、それ以外にどのような言葉を与えればよいものか、ほとほと呻吟している。しかも本作に関して、本人たちの公式コメントは一切なし。聴いたアンタが勝手に解釈してくれ……と、まったく無責任極まりない態度だが、出色の出来は否定しがたいアルバムである。
 そもそも、日本の音楽シーンにおける異端の双璧。
 互いに“変態”扱いされることを厭わず、むしろ光栄。
 ……と、多分に偏りがちな指向(嗜好?)の持ち主2人が、名前を連ねるだけでも終末感が漂うユニットである。なおも、ゲイ・ディスコ炸裂の「come baby」で露呈した濃厚な倒錯性は、本作においても揺るぎない。むしろ、そのオブセッションは深みを増しながら聴く耳を虜にする。
 まぁ、とにかく聴いてみるがいい。
 それはまるで、救いがない情事を覗き見るようでもある。

 始まりは、思いのほかダークな空気が流れる。
 ネオンに瞬く表通りの喧騒よりも、裏通りにひっそり息を潜める秘密クラブのドアを開けるがごとし。不穏な音色とうらぶれたヴォーカルが、薄暗い階段を闇に降りていくような(1)。そして音楽と欲望とシャンパンの奴隷たちに捧げる(2)……の後、第2弾シングルとして準備されていた(3)が登場。2人の音楽的接点をニューウェイヴに懐古することは簡単だが、そのこと以上にこの曲は興味深い。
 セッション中、岡村がスタジオにベースを持参し、その影響からフェンダー・ムスタングを購入したという石野……。そうしたエピソードを感じさせるチョッパー・ベースの刻みが印象的だ。岡村がいなければ、こうしたソウル・アレンジはなかなか石野の発想に浮かばなかったものであろう。確かに“new wave”だが、はるかに最新加工されたコンテンポラリー・グルーヴ。この曲は「come baby」よりさらに、ユニットとしての完成度を物語るものだろう。
 こうして互いの“相性”を再確認したところで、情事はいよいよ本筋へ。
 何重にもカーテンがかけられた、最奥のVIPルーム。2人きりの空間で、2人だけの秘め事が進む。まず、その“出会い”を荒々しくフラッシュバックさせる(4) 。愛玩具による“攻め”を見せる(5)。そして、互いの内面を幻視するような(6)……ノスタルジックな電子音はまさしく石野のルーツだが、ここにもファンクなベース・ラインが顔をのぞかす。(7)は文字通り、変態の振動運動。とは言え、時折挿入されるラテン風味が遊び慣れた腰を静かに揺らす。
 何事も“ジラすが一番”なのである。
 そうした“前戯”のブリッジとなるのが(8)。ガマン汁をこらえながら、それでもストイックに感情を押し殺すようなヴォーカル……から急転直下、獣のごとく肉体を貪りあうキメ曲(9)に突入。タメにタメた解放感がシングル以上に迫り来る。前後の流れを鑑みても、この位置にこそ収まるべき“絶頂”に違いない。
 続くは、一戦交えた後の気怠さを残すようなアンビエント(10)。これも従来、互いの作風からは想像がつかないメロウな旋律である。こうした細部にもユニットの独自性が見届けられるはずだ。さて、ここから“後戯”……と思わせながら、CANの1971年シングル・カヴァー(11)が夢うつつなチャームを鳴らす。
 そして、昼のタモリでジ・エンド(12)。後ろめたい“行為”の後では、いつもテレビから『笑っていいとも』が流れているもの……なのだろうか。はしゃぎすぎた夜を過ごせば過ごすだけ「ウキウキWATCHING」ほど涅槃に聴こえるものはない。
 ♪きのうまでのガラクタを処分、処分〜。
 こういうとき、多くの場合において“またやっちまったぁ”と悔恨の念がよぎったりするものだが……過ちはすぐに繰り返されるのが常である。

 ――と、本作を爛れた“営み”になぞらえてみたが、アブノーマルな欲情あふれた楽曲ばかりだから、あながち見当違いでもあるまい。あえて付け加えれば“音楽版・白黒ショウ”みたいなもの? ……つーのは少々グロテスクな表現かもしれないが、本質的な意味においては間違っていないとも思う。
 最後に、いまさらながら感じること。
 それは、岡村靖幸と石野卓球の抱えるカルマ=業の深さである。
 共に類似品を寄せつけず、独自の道を追い求めてやまない性質。ワン・アンド・オンリーな存在感を貫き通す頑固さは、どちらも一歩も譲らない。かつて石野は岡村を“出会うべくして出会った珍獣同士”と称していたが、本作はそうしたカルマを背負う求道者たちの“浄土”とも言えるかもしれない。
 ソロ、もしくはバンドとして求める音楽の種類は違えど、内省的な“融けあい”が随所に感じられるユニット・アルバムでもある。
 岡村靖幸らしくあり、らしくない。
 石野卓球らしくあり、らしくない。
 音楽的な共通項以上に、精神的な“結合”を前提にした成果に思う。つーか、単純に2人の“性癖自慢”のような気もするが……それにしても、彼らは“きのうまでのガラクタ”を処分できたのだろうかね?

 ちなみに、シングル発表時は“岡村靖幸と石野卓球”名義だったが、本作では互いの名前を省略。字面だけを見ると虚脱感をおぼえるが、一方で、際立つ2人のパーソナリティを希薄なものにしながら距離を狭めているようにも思える。
 しかし、1stにしてラスト・アルバム。
 もし“次”があったとしたら……きっと彼らは名前をもっと短縮し、さらなる合体ユニットとして“岡村卓球”を名乗ることができたのかもしれない。

 蛇足ながら、ボーナス・トラック2曲。
 (13)は(6)のミックス違い。オリジナルがテクノならば、こちらはクレジット通りJポップのヴォーカル編。(14)は(9)岡村リミックス。濃いザーメンを“聴く”ようである。本筋とは異なるが、こーいうプレイもあったのね……と。
(文/増渕 俊之)


What's about 岡村と卓球『The Album』Vol.2

 ねっとりと濃厚な体液を飲み干し、巧みな舌遣いに全身を舐めまわされる。そんなおぞましいような、痺れるようなあやうい感覚。暖房のたっぷり効いた部屋で全身汗まみれになって絡み合う悦び。そんな淫靡なムードが漂う、14曲、計57分超(本編12曲+ボーナストラック2曲)の快楽。

 この9月〜10月にかけて7年ぶりのワンマン・ライヴ・ツアーをおこない劇的に復活した"岡村ちゃん"こと岡村靖幸と、「WIRE」のオーガナイズや内外でのDJ活動で多忙をきわめる石野卓球の新ユニット"岡村と卓球"。先行シングル「come baby」のリリースから1年2ヶ月、待たれていた最初の、そしておそらくは最後のアルバムの登場である。寡作家で知られる岡村にとって、これはなんと8年ぶりにあたるニュー・アルバムであり、多作家の石野にとっても、珍しく2年半以上ものブランクをおいてのオリジナル・フル・アルバムとなる。そんな溜まりに溜まった両者のリビドーが、過剰なほどの質量で放出され、ぐっちゃぐっちゃのべっちょべっちょになって発酵したのが、本作『The Album』なのだ。

 ヘヴィで鋭角的なニュー・ウエイヴ/エレクトロ・ファンクに、暗闇で蠢くようなヴォイスで"俺はスパイダー"と歌われる「the spider」からして、すでにただごとでない雰囲気が濃厚に漂う。ニューロマふうエレクトロ・ディスコにスペース・インヴェイダーの効果音が入って80年代ムードを盛り上げる、その名も「new wave boy」、DAFあたりを思わせる"ノイエ・ドイッチェ・ヴェレ”な「funky pink rotor」(歌詞のヒネリのなさ加減が最高)、ポップでキャッチーなメロディが岡村節全開なのにニュー・ウエイヴなヴォコーダー・ヴォイスで台無しにしてしまう「adventure(e-pop mix)」、ジャー・ウーブル/ヤキ・リーヴェツァイト/ホルガー・シューカイの懐かしい「How Much Are They?」(81年)の印象的なピアノのリフレインをサンプルした「abnormal frequency」、有名なSM専用ホテルと同じタイトルで、歌詞も意味深な「alfa inn」、先日の岡村のツアーでも演奏された粘着エレクトロ・ディスコ「come baby」、ジャーマン・プログレのカンの意外にポップなカヴァー「turtles have short legs」(そういえば、この曲をレコーディング中の石野から、正確なタイトルを知りたいと突然電話をもらったことがあった)、意味不明な「笑っていいとも」のテーマ・ソングの変型カヴァーなど、どれも密度はとんでもなく濃い。なんでも実質的な制作期間はわずか2週間ほどだったと聞いているが、限られた時間だったからこそ、ふたりの特質や趣味嗜好が迂回することなく爆発的に放出・凝縮されたのだろう。

 アルバムの基本は80年代ニュー・ウエイヴ、エレクトロニク・ポップ、エレクトロ・ディスコで、これは録音時の石野の嗜好、そして全世界的なニュー・ウエイヴ再評価の風潮を反映したものだが、そこに「セックス」(99年発売の20枚目のシングル)以来の岡村の基本であるディープ、ヘヴィ&ブラックなファンク路線が融合し、さらに両者の個人的な趣味(?)であるきわどいエロティシズムの香り、いや匂いが全編にまぶされて、とんでもなく危険なアルバムができあがったというわけだ。このうえなく明快でストレートなコンセプトの作品であり、だからこそ本来異なる音楽的バック・グラウンドを持つはずの両者が、一時的にせよ、同じ景色を見ながらの共同作業ができたのだろう。

 さまざまな時代のタームを泳ぎ渡りながらも、世間一般の価値観や座標軸から心ならずも外れた<裏街道>を歩まざるをえない岡村、日本にテクノを普及させた功労者であり、つねにシーンを先導し続ける第一人者でありながら、いっぽうで日本のアンダーグラウンドなインディペンデント・シーン出身らしい毒を吐き続け、月並みなポップ・アイコンとなることを拒絶する石野。両者を繋ぐキーワードは"オルタナティヴであること"である。それは意識されたものというより、ほとんど本能のレベルで無意識に選択されている。だからこそ、このアルバムは昨今のハイプなニュー・ウエイヴ/エレクトロ・リヴァイヴァルとははっきり一線を画しているし、こざかしい理屈を超え、下半身に直接訴えかけるような強いマジックがある。

 とはいえ、もはや両者は本作で示された地点にはいないことも記しておかねばならない。秋のツアーでファンと一体化した感動的なパフォーマンスを見せつけた岡村、延び延びになっていたソロ・アルバムが完成間近の石野、ふたりとも、本作を踏まえたうえの、さらに先の光景をすでに見つめているのである。

 ひとまず本作をもって終了する「岡村と卓球」。両者がこの先再び邂逅する日はあるのか。それは誰にもわからない。おそらくは本人たちにさえも。(文/小野島 大)


What's about 岡村と卓球『The Album』Vol.3

 うっほ、すげーすげー、なんかすげー。や、なんかじゃなくてもすげーよ、これ!!
 ゴジラとメカゴジラが夜の東京で互いの性癖について赤裸々に語りあって、しかも見せあっている感じ? はたまた店がはけた後の雅な京のお茶屋で黒いビッチと電脳オーラル・セックスを夜な夜な繰り広げているというか。や、むしろ女だけいかせまくっておいて、いかない自分が大好きみたいな。それとも齢80を超えた政治家が繰り広げる弛緩しっぱなしの視姦ショーというべきか。子供が寝た後で……★というよりむしろ積極的に子供が見てる前で……★★★、みたいな。このアルバムで繰り広げられているのは、そんなインモラルでインパッシブルな脳内宇宙から生み出された諸行無常の果てしなきファンク淫行紀行なのである。ったくどうすんだろうね。こんなの聴いた日には日本の初体験の平均年齢はますます下がるばかりだよ。ヌラヌラでござるよ。陰! 音!! 淫!!!

 とにかくこの石野卓球と岡村靖幸という日本の音楽シーンを代表するダブル亀頭(ドラゴン)こと「ありったけの性欲、そして胸いっぱいの愛を抱えた音の奴隷たち」によるアルバム『The Album』は凄い。そのイリーガルで濃すぎるヴァイブレーションもさることながら、アンダーグラウンドなニュー・ウェイヴ・サウンドとドス黒くうねるファンクを過去歴史に名を連ねてきた世界中のどのアクトたちよりもポップに艶めかしく鳴らしてしまっている点、それが凄い。若干19歳で吉川晃司や渡辺美里に楽曲を提供し、ソロでは日本にいち早くプリンスばりの密室ファンク・ソウルの横揺れエクスタシー導入し、近年では川本真琴、SOPHIA、果てはCHARAのプロデュースまでをこなす早熟なポップ帝王、岡村靖幸。そして、御存知電気グルーヴでお茶の間をテクノ・サウンドで席捲し、ソロではラヴ・パレードの100万人の前でターンテーブルを操る、アンダーグラウンドとオーヴァーグラウンドを自在に闊歩する酸いも甘い噛み分けたfrom日本to世界なテクノ・ヘル、石野卓球。このアルバムからとめどなく溢れ出る変質的なグルーヴとしたたる「愛液」という名の奇跡はそんな2人の極みが融和しスパークすることでこそ生み出せたウルトラGなのだろう。

 70年後期から80年代初期にかけて、旧態然としたロックを壊滅させた「パンク・ブロークン」。その後新しい音を模索していく中で生まれたのがニュー・ウェイヴだった。新しい音を探して、各々が実に様々な実験にチャレンジしたために各アクトごとに音はバラバラ。でもそこには今までに聴いたことのない魅力がぎゅうぎゅうに詰まっていた。卓球のフェイヴァリットであるニュー・オーダーしかり、MONDO GROSSOの大沢伸一氏が敬愛して止まないザ・ポップ・グループしかり(彼の新作『NEXT WAVE』というタイトルはニュー・ウェイヴ時代に衝撃的な音楽体験をした彼ならではの敬意に他ならない)。そんな「模索の時代」ならではのレアな空気が今作からはむせ返るように溢れている。リアルタイムで体験したリスナーにはどこかノスタルジックな響きを、そして若いリスナーには驚きと新鮮を伴って響くのではないだろうか?

 インダストリアルで直線的なリズム、そして幻惑的な岡村の声が響き渡る“the spider”。歪なシンセとクラッシュしたリズムが狂気を駆り立てる“rock'n roll slave”。チョッパーベースとファニーなヴォイスによるどファンキーなディスコ・チューン“new wave boy”。ごっついリフが唸りをあげる完全ロック仕様な“come baby2(meet you @ hard rock cafe)”。生ベースとピヨピヨシンセのまどろみが心地よい“funky pink rotor”。心をまどろませるような優しいシンセの音色など、岡村&卓球のポップな側面が表出した“adventure(e-pop mix)”。ミニマルなリズムとアンビエントなシークエンス、闇の底からこだまするような囁きとダブの処理がアブノーマルなグルーヴを生んだ“abnormal frequencyモ。淫靡な岡村の声と揺れまくるシンセとデケデケなベースが低空飛行をしながら脳を掻き回すホラーコアな“alfa inn”。そしてシングルで既にお馴染み、エクスタシー百花繚乱の爆裂ゲイ・ディスコ・ハウス“come baby”。心地よいシンセの帳が下りるビートレスのアンビエント・トラック“eclipseモ。一転して素っ頓狂なヴォーカルとユーモラスなコーラスによるエレ・ポップ“turtles have short legs”(canのカヴァー)。そしてラストは思わずツッコミたくなってしまう“ウキウキWATCHING”でいいとも!っていいのか???と最高の絶頂感といくつかの謎を残しながらアルバム本編は幕を閉じていく。

 ちなみに本作にはボーナス・トラックとしてリミックス2曲とビデオクリップが1曲収録されている。ヴォコーダーを排してヴォーカルを前面に押し出した結果、往年の岡村ナンバーを想起させる岡村ファンには感涙の仕上がりになった“adventure”(j-pop mix)。そしていかにも岡村らしいごんぶとなファンク・ベースが加わり楽曲のダークな側面が強調されたノー・フューチャーな“come baby(yasuyuki okamura remix)”。そして“come baby”のビデオ・クリップとかなり素敵な御褒美になっているのではないだろうか。

 正気という名のシェルターを一歩踏み外したような音使い、そしてどの楽曲にも感じることのできる黒いファンキーなグルーヴは間違いなく多くのニュー・ウェイヴのバンドたちが求めて止まなかったそれだろう。そして、ただのニュー・ウェイヴ・サウンドの焼き直しではなく、現在にも通じるポップでモダンなサウンドに再構築する絶妙な手腕はさすが岡村と卓球と言う他ない。とは言え、このアルバムで大事なのはそれだけにとどまらないのだ。

 徹底的に音と感じ合える。
それがこのアルバムの最も素晴らしい点であり、ここ最近のポップ・ミュージックに欠けていた点ではないだろうか。
 このアルバムは全曲を通じて聴き手と抜き差しならぬ関係性を築くように作られている。それでいてどこか甘えたような人懐っこさ。
 …………Mか?
いやいやいやいやいや、そんな邪推は横に置いておこう。必要最低限の数で意識を触発する肉感的な言葉と絶妙なサウンドの押し引きで聴き手をリードし、リードされ、時に攻め、時に攻められ、時に激しく、時にゆっくりと焦らし、互いの喘ぎ声は否が応にも大きさや激しさを増し、遂には絶頂へと導びかれていく。言葉はいらない。まさに音と人との蜜月。おまけに“eclipseモで後戯もバッチリ。さらには“ウキウキWATCHINGモの後に近場の牛丼屋へと気だるく足を運ぶ姿までもが鮮明に浮かび上がってくる。
 根拠のないデータだし全く関係ないような気もしないでもないが。いや、むしろ全然関係ないが、濃厚なセックスをすると子供が生まれやすいという。何を言ってるんだろうか、私は? いや、しかし、年々出生率が減少していくこの幸と精の薄い世の中で、もしかしたらこのアルバムはひとかけらの希望となるのかもしれないじゃないか!!!! 私はそう思うのだ。いや、マジで。

 ところで、先日ライヴ・ツアーを敢行し、完全復活を遂げた岡村。DJは国内、海外ともに勢力的にこなしているがライヴはとんと御無沙汰な卓球。
 …………ライヴはやらないんだろうか?
 数奇な運命(ある意味必然)によって巡り合った2人が育み生まれたたった1枚きりのアルバム『The Album』。もう1枚!なんて野暮なことはこの際言うまい。しかし、その音が生のヴァイブを取り込み、多くのオーディエンスと絡み合う様、見てみたくはないだろうか? いや、その中に入ってみたくはないだろうか? したたる汗、くねる腰、真っ白な頭の中で繰り返される倒錯ショー。是非生のメイク・ラヴをどうか我々に! そうお願いさせていただきたいのである。
 だってさ、言葉じゃ分かりあえない禁断の地。それがこの『The Album』なのだ。
 出逢いたくなるじゃないか!(文/佐藤 讓)


What's about 岡村と卓球『The Album』Vol.4

 バンドでもソロ・アーティスト同士のコラボレーションでも、人と人が協力して何かを作り出す場合、その成り立ちは大まかに2つのパターンに分けられると思う。ひとつは、異なる個性のぶつかり合い、時には軋轢の中から生み出されるもの。一般には摩擦係数が高いほどエネルギー値の高いものが出来るようで、レノン&マッカートニー、キンクスのデイヴィス兄弟、あるいはYMOなど、メンバー間の緊張状態が良いアルバムを作ったりする例はいくらもある。
 もうひとつは、日頃の友人関係から自然に発展していったもの。ソロ・アーティスト同士が組む場合は殆どがこれに相当する。お互いに一目置いている相手と、楽しみながら新しいものを作りましょうということである。そうして出来た作品には和気藹々とした雰囲気や、気心知れた友人だからこそ引き出せるお互いの“素”の部分が滲み出て、それが聴く側には興味深い。
 しかしその一方で、「コラボレーションすること」そのものが目的化してしまい、各々は優れたアーティストでありながら、合わさると今ひとつパッとしない、という例も多くある。つまり、「遊びの延長線上にあるコラボ」は、本人たちの盛り上がり以上のものがサウンドに反映されにくいため、ともすればお互いのキャリアにとって“危険な遊戯”になる可能性も秘めているわけだ。

 しかし岡村靖幸と石野卓球のコラボは特殊だ。彼らもスタジオで遊んでいるうちに曲が出来てユニット結成となったわけだが、当初ノリで始まったこのコラボレーションも、アルバムを通して聴いてみると単純に後者のパターンとは言い切れない複雑さを感じてしまう。なんというか、ノリを凌駕する冷徹な意思が感じられるのだ。
 シングルの“come baby”からは、彼ら自身が共作に興奮している一種“躁”的な空気が伝わってきたものだが、『The Album』は少々印象が違う。サウンドからは「俺たち仲良し」的な和気藹々感は漂ってこず、むしろ共通の目的の実現のためにシビアな姿勢で挑む姿が窺える。
 それを裏付ける顕著な例が岡村のヴォーカル・スタイルだ。アルバム本編全12曲のうち、殆どがつぶやき/ささやき系のヴォーカル。“adventure”にいたっては全編ヴォコーダー処理が施され、従来のファンキーな「岡村節」が聴ける曲は殆どないといってもいい。それはもちろん、どちらが主導権を握ったとかいう話ではなく、双方がプロデューサーとして明確なヴィジョンを共有していたからだろう。そんな二人の高い目的意識は、お互いの持つパフォーマーとしての我を抑えたり逆に増幅したりして、結果的にどちらの色が濃いとも言えない不思議なバランス感覚の作品を生みだした。  ジャーマン・ニュー・ウェイヴの影響が色濃く出たサウンドの好みは紛れもなく卓球のものだが、それも従来のバリバリでゴリゴリな男気溢れるサウンドとは異なり、どこかたおやかなニュアンスを帯びているし、岡村は岡村で前述したような新しいヴォイス・パフォーマンス形態をものにしている。つまり、「コラボレーション」の本来の意義――人間同士の化学反応で面白いものを生み出すということが高い次元で達成されているのである。

 そして、もうひとつ。本作のコンセプトは音による「情事」の再現ということらしいが、一見淫靡な世界から浮かび上がってくるのがどうしようもないほどの「純情」というところも興味深い。アクの強い二人が合わさっているわけだから濃厚な音なのは当然なんだけど、その中にもある種の品格というのかな、エッチだけど下品じゃない、まっすぐな欲望が痛々しいまでに伝わってくる。しびれる。これ聴いて顔しかめるやつは愛が、男がわかってないね。
 “The Spider”から始まるベッドの上での一本勝負。美しいインスト作品“Eclipse”で余韻を残して終わるかと思えば、唐突にカンの素っ頓狂なカヴァー、ダメ押しで「笑っていいとも!」のテーマと、オチをつけることも忘れない。それはまるで、めくるめくような性夢から目覚めると、いつもと変わりないサエない現実の朝だった、というのにも似ている。照れなのかおフザケなのか はわからないが、素直に酔わせてくれないいじわるさ、嫌いじゃない。(文/美馬亜貴子)


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