ROCK is LOFT 〜SHINJUKU LOFT 30th ANNIVERSARY〜
LINER NOTES
小倉エージ
「若者よ街よ熱く怒れ」という記事を新聞の夕刊で見かけた。新宿ロフトが30周年を迎えたことを伝えた記事の主役は、ロフト創設者の平野悠さん。「新宿ロフト」に通うたび「やあ!」と挨拶を交わし、ステージが終われば「じゃ、また!」と言葉を交わすだけだったあの頃が、昨日のことのように蘇える。

今、手元に「ロフト」の歴史、足跡を記した記録がある。71年、烏山を振り出しに、73年に西荻窪、74年に荻窪、75年に下北沢に「ロフト」が誕生し、76年、新宿西口に「新宿ロフト」が生まれた。烏山の頃は知らない。が、西荻窪、荻窪、下北沢の「ロフト」には足を向けた。わけても思い出深いのはシュガーベイブの最後の「ロフト・ツアー」。それも下北沢「ロフト」でのステージだ。満員の観客はステージが終わっても立ち去ろうとせず、アンコールをせがんだ!。「クマ(山下達郎のニックネームだ)頼むから、もう1曲」と、せがんだことを覚えている。

アメリカのニューヨークやサンフランシスコにはコーヒー・ハウスやクラブがあり、お酒やコーヒー、時に食事を楽しみながら、音楽を楽しむ場がある。それを目の当たりにし、ホールでのコンサートとは異なる雰囲気、ステージとの身近さ、寛いだ雰囲気を楽しんだ。その昔、グループサウンズを目当てに通ったジャズ喫茶とはまるで違っていた。日本にだって、こういうものがあればいいのにと思ったのも当然のことだろう。そして、「ロフト」が生まれ、通うようになった。

ホールでのコンサートとは違ったステージとの身近さ。ニューヨークやサンフランシスコで目の当たりにしたのと同じ光景だ。が、なんだか違っていた。飲み物を味わいながら、寛ぐという感じではなかった。エンターテインメントを楽しむ、というのでもなかった。

それは「ロフト」に出演するアーティストやグループ、そこに詰めかけた観客にとっては特別な「場」だったからではないか。

ホールとは違った客席との身近さ。客席との親密な関係を得るには格好な場所だが、演者はその素顔をさらけ出すことにもなる。そのすべてを問われる。

「ロフト」に詰め掛けた観客の多数を占めていたのは、マニアックなファンだ。すでに名声を得ていたものもあるし、これから、という新星もいた。ステージに登場した演者は、マニアックなファンに応える。それ以上のものをと、演者はそれこそ全身全霊で応える。寛ぎ、とはほど遠い、それとは対極に位置するシリアスな真剣勝負の「場」だった。

今も忘れ難いあの頃の「ロフト」熱気。それは、演者と客席との間での張り詰めた緊張感以外のなにものでもない。そのスリルと興奮を超えて、はじめて演者と客席は一体化し、安堵と寛ぎを覚えたのだった。

「新宿ロフト」といえば、今、あの頃の熱気を思い出す。生真面目で、理屈っぽくて、それぞれにこだわりがあった。だからこそ「新宿ロフト」での演奏、ステージを楽しみにしていたのだ、ということを。


“SHINJUKU LOFT 30th ANNIVERSARY 〜ROCK OF AGES 2006〜”official web.site