「ポンチャック街道を行く」第二回
DAY 1(1996/10/1) TOKYO→HONG KONG (つづき)
 「ワン、ツー、チェックチェック、あー世界で一番痩せた男、イ・パクサが歌います『アジアの純真』聞いて下さい」スターフェリー乗場のすぐ隣、香港島が見渡せる公園での第一声でビデオ収録はスタートした。対岸には1997年6月に中国返還式典が行われる予定の会場が見える、らしい。暗い上にまだ建設中でよくわからん。

新派風、世界で一番痩せた男、ポンチャックの帝王、イ・パクサ。離婚歴あり。かつて営業で忙しく韓国を旅している隙をついて、奥さんが浮気していたのが原因らしい。だからなのか、再婚した妻には旅先からひっきりなしに電話をする。夜も昼も、時差も気にせず。 韓国では、一時期テレビによく出演していた。だが、今や華やかな舞台からは遠ざかり、ほとんど世間から忘れ去られている「あの人は今」な芸能人。歌と軽妙なトークで各地を営業で練り歩き、日々の糧とする。

キューン・ソニーの取締役の単なる思いつきでスタートした彼との付き合いも、はや十ヶ月。もの覚えが悪く、我が儘で、赤ん坊のようなこの43歳の男と、レコーディングを繰り返し、ライブの段取りを考え、一緒に出前のビビンバを喰った十ヶ月。だが、それにしても私はこんな異国の公園で何やっているのだろうか。 さっきまで日本にいたんだけどな。

さかのぼること数時間前、久しぶりに降り立った啓徳空港はむせかえるように暑かった。単なる観光客だと自分に言い聞かせながら入国審査を通過するが、はたして二週間で世界を一周するこの異様なエアチケットを見て理由を聞かない係官もいかがなものか。そして、空港から出た我々を迎えてくれたのは、日本を糾弾する尖島問題の横断幕だった。

安ホテルにチェックインしてスタッフ全員ロビーに集合。最初にイ・パクサが言った言葉は「腹へった」。 完成したビデオが食事シーンで埋め尽くされているのは、実際に食がこの旅に占める割合が大きいからに他ならない。彼は、小食なのだが1日4食は必ず食べる、燃費の悪い軽自動車のような食生活。テンジャンチゲ(味噌汁をもうすこし濃厚にしたようなスープ)とキムチが好物で、どんな所に行っても韓国料理が絶対に必要。韓国料理を食べられない日は体調が悪く、ポンチャックに身が入らない。

この世界一周で分かったことの一つが、韓国料理店というのは意外と世界中にあるということだ。ロンドンやNYは当然としても、まさかと思ったローマなどでも以外とあっさり見つかった。逆に苦戦したのが香港。何しろ右を見ても左を見ても飲食店で、かつ中華料理で、しかも旨そうということで、早速空腹に負けた私は嫌がるパクサを説得して手近な所のラーメン屋に。だが彼もさるもの、妻が持たせた自家製キムチをレストランに持参。ワンタン麺にむりやりキムチをぶち込んで食べる。ううむ。

食事後に、撮影に使うカンフー風衣装を購入。事前に日本で用意してもよかったのだが、そこも含めて撮影しちゃえということで、今回の衣装はそれぞれ現地で購入することにした。荷物になるしね。ただ、スーツ類はサイズを直している時間もないので、韓国から自前の衣装で来てもらうことにした。結果としては、ぶっちぎりで自前の衣装が派手だったのですが。

そんなこんなで撮影場所を探して街を彷徨っている間に、香港は100万ドルの夜景になっていた。冒頭の公演に到着してから、ラジカセにカラオケマイクをつなぎ、キーボードスタンドをセットして、日本から持ってきたちょっとだけ強力なバッテリー(アジア諸国ではまず手にはいらないし、方式が全く違う)でポンチャック用のキーボードとアンプの電源を入れる。これでステージは完成。全部私の仕事だ。ひさしぶりに労働で汗をかいた。

さらに言えば撮影はすべて家庭用のデジタルビデオカメラ。AVの基本ですな。散歩を楽しむ観光客が時々いぶかしげに立ち止まるが、イ・パクサと金さんの異様なコンビを見ると、伏し目がちに去っていく。

香港でアジアだから「アジアの純真」というあまりにも単純な選曲もなんとなく旅先では許されるのかしらと思いながら、二回目のペキンやらベルリンのあたりで韓国の団体観光客が通りかかる。彼のことを知っているおっさんがいる。今にも踊りだしそうなおばはんもいる。あら、やっぱりイ・パクサは中高年には有名だったのだ。ぜひサクラとしてぱーっとひと騒ぎしてくれとお願いするが、「いまからゴハンを食べに行くからダメ、帰り道に寄るかもね」とのこと。

てな訳で、我々はその韓国人団体旅行客のおっさんおばはんが、おいしいご飯を食べ終えて帰ってくるのを、ぼーっと待つことにした。夜だとはいえ依然として香港は蒸し暑い、さすがにこちらも腹が減ってきた。しかも、そばにはマイクを持たせると見境なく唄をがなるイ・パクサと、相棒が歌えば脊髄反射のように伴奏をつけてしまうキムさんが手持ちぶさたにしている。ああ。やっぱり我慢できなくなって歌い出しちゃった…
仕方がないので、客のいないポンチャックにつきあう。危ないなと思っていたが、やっぱりバッテリーが限界に来てしまいスピーカーから音が出ない。携帯用なためあまり長時間使えないのだ。だが、キーボードが鳴らないとみるや、イ・パクサはラジカセに自分のCDを突っ込んで、それにあわせてさらに歌い出す。もはやペニシュランを突っ走るポンチャック暴走特急。キーボードから解放されたキムさんが、踊り出す。独特の、としか表現できないタコのようなクネクネ踊りなのだが、これがまた抱腹絶倒のおもしろさ。いきなり初日から絶好調。

撮影がどうしたこうしたと関係なく、好きだから歌い、好きだから踊る二人を見ていると、何だかとても羨ましく思えてきた。よく考えればこれが音楽の基本であることよ。普通こんなこと出来ないよな。田中さんも笑っている、バクシーシ山下もカンパニー松尾も、笑い噛み殺しながらカメラをまわしている。日本を出てからまだ12時間も経たない香港の地で、夜空にアリランが響く。

再び口を開けば「つかれたはらへったメシをくいにいこう」と、パクサ。けっきょく団体客は帰ってこなかった。異論を唱えるスタッフはいない。昼間探しておいた韓国料理店でテンジャンチゲが待っている。

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