.
■1997

<01.01>
瀧、「お正月」にフジテレビ"ポンキッキーズ"特番で「富士山」登頂を試みる
※「いままで曲にしたことは実際に起こる」というジンクスのもと、模型の「ちょうちょ」と「ドカベン」の単行本を持ってチャレンジするも、瀧いわく「マジに死ぬかも」と思うほどのキツさのため8合目半で断念。
「遠くに暴走族の爆音を聞きながら、初日の出を見たんだっけなぁ……」(瀧)


<01.27〜28>
瀧、アルバム"A"収録曲「あすなろサンシャイン」のボイス・トレーニング
※「このビブラートが唄えなければバンド解散も辞さない」というチャゲアスのエピソードを彷彿させる涙ぐましい苦労。
「ちなみにボイトレの先生は、のちにモーニング娘。も教えている人でした」(石野)


<02.16>
アルバム『A』のためのアーティスト写真撮影
※レコーディング最終仕上げのあと徹夜明けで撮影にのぞむが、その直後にオケの録り直しが決定。予定されていたロンドンでのマスタリングをキャンセルし、発売日の延期を余儀なくされる。


<03.18>
新宿リキッドルーム「歌う糞尿インターネット攻略本」ライヴ
※アルバム『A』の収録曲を初披露。この頃はまだ石野・瀧=ボーカル、砂原=コンピュータというスタイルでのステージだった。この模様は"MTV"などでオンエアされた。


<03.19>
アルバム『A』トラックダウン
※これをもってようやく全作業が終了。が、引き続きプロモーション、アナログ・シングルの作業、ソロ仕事など、怒涛のスケジュールが待ち受けていた


<03.21>
シングル「Shangri-La」リリース
※アルバム『A』の先行シングル。オリコン最高位10位、セールス50万枚と、現在まで電気グルーヴ最高の記録。日産自動車「テラノ」のCM曲ともなる。なお、メンバーの間ではのちにタイトルが「シャングラリ」と改名された。


<03.21〜22>
シングル「Shangri-La」のビデオ・クリップ収録
※スタジオに向かう際、砂原の自宅マンションに立ち寄った石野が集合ポストに「河相我聞」の偽造表札を挿入。「お前んち、河相我聞が住んでるな」とトボける石野に、砂原は「知らなかった」と首をヒネる。翌日も同じように立ち寄った石野、わざわざ自宅のテプラで作ってきた「河相我聞」の表札を砂原の部屋のドアに張り付けるという奇行を見せる。
「撮影終わって家に帰ったらビックリしたよ」(砂原)
「本当に住んでただろ?」(石野)
「しかもオレんちに! じゃあ、オレが河相我聞じゃんって」(砂原)


<03.29〜30>
瀧、ビデオ「ピエール瀧の体操30歳」撮影
※翌月8日の誕生日に行われた「ピエール瀧生誕30周年記念パーティー」の引き出物として、限定300本制作されたビデオ作品。電気グルーヴのマスコットボーイ・ ケンニシイが共演。この模様は"スペースシャワーTV"でオンエアされた。


<04.03>
テレビ朝日"深夜水族館"収録の打ちあわせ
※石野と瀧、ささいなことで大ゲンカ。レコーディング→ライヴ→プロモーションの過密スケジュールから2人とも機嫌が悪かったせいだが、よく考えたらケンカしてても仕方がないと、すぐにヤル気を取り戻す。
「もう、やったるJ!ってな」(石野)
「で、ケンカが収まって横を見たら、マネージャーのミッチーがビンビン泣いてた」(瀧)
「だってオレが在籍中で五本の指に入るケンカだったもん」(砂原)
「ケンカをやめてぇ〜」(石野&瀧)


<04.08>
瀧、東京グランドホテルにてピエール瀧生誕30周年パーティー
※司会はまだブレーク前のユースケ・サンタマリア、特別ゲストに松本ハウス。瀧、内緒で招待されていた両親の前で「力医師」を熱唱する。
「さすがに親の前であれを歌うことほどキツいものはなかった」(瀧)


<04.16>
テレビ朝日「深夜水族館」オンエア
※ちなみにパーソナリティーは河相我聞と鈴木蘭々。前述、石野の偽造表札事件をきっかけに、河相のことを「他人とは思えなかった」という砂原だったが、収録中に名前を「イルカさん」と呼ばれる。


<04.28〜05.04>
石野"MAYDAY"出演のため渡独
※WestBamが主宰するヨーロッパ最大の屋内レイヴ。このときのプレイがきっかけで石野のDJとしての知名度がアップ。ひいては電気グルーヴのヨーロッパ進出にもつながっていく。なおこの間、瀧と砂原はオフ。瀧はベトナム、砂原はハワイ……と、三者三様に怒涛のスケジュール後の海外脱出をはかる。


<05.05〜5.12>
ツアーの仕込み期間

<05.14>
アルバム『A』リリース
※96年3月の『オレンジ』から2年あまりのブランクを経て発表された、電気グルーヴ通算8枚目のオリジナル・アルバム。石野、瀧、砂原による3人体制としては最高にベストな仕上がり。結果的に砂原在籍の最終作ともなる。オリコン最高位3位、50万枚を超えるセールスとなった。初回生産分のみカラーケケース仕様。


<05.15>
広島並木パラスト[野球ディスコ]ツアースタート
※オケの完パケが遅れ、前日のゲネプロで初めて構成がスタッフに知らされるという波乱の幕開け。しかも会場はスタンディングのライヴが初めてという結婚式場のホール。演奏が始まると床がしなり、下の階のシャンデリアを揺らすために、あわや中止? という事態となる。
「たしか楽屋に竹馬が置いてあったのをおぼえている」(砂原)
「ライヴ前にトイザラスに行っていろいろ買い込んでたんだよ。水鉄砲とか。でも、結局使ったのは「あすなろサンシャイン」の時に振り回した剣と盾だけ」(瀧)


<05.19>
札幌ファクトリーホール
※ライヴの合間に東京へ仕事に戻り、また次の開催地へ……という地獄のスケジュールが始まる。
「電気グルーヴ史上、もっとも忙しかった時期。そんで、一番売れてた頃」(石野)


<05.21>
仙台ビーブベースメントシアター
※キャパ200人ほどの狭い会場にレーザーを搬入。あまりの光量に砂原、サングラスを着用する。ライヴ終了後、連れて行かれた打ち上げ会場の居酒屋にて、現地イベンターが「ここの牛タン、本当にうまいですよ。牛タンのアレが変わりますから」と発言。以来、電気グルーヴの間で「牛タンのアレ」が流行語となる。
「アレって何だろうってなぁ」(瀧)
「アレは何だ?〜スチャダランゲージって」(石野)


<05.22>
日本テレビ"FUN"収録
※のちに語れ継がれることになる「チキン騒動」が巻き起こった番組。これまでテレビ番組で「Shangri-La」を歌うとき、いつも歌詞を書いたゴム製のチキンを持って出演してきた電気グルーヴだったが、スポンサーの都合上、グロテスクなものは「禁止」との要請が入る。そこで電気サイドは手羽先に変更しようとしたが、それも「普段持ち歩くものじゃないから」とダメ出し。次にチキンライスの皿を持って出ようとしたが、これも却下。結局、お互いが歩み寄ったものはチキン・バスケットだった。


<05.23>
名古屋クラブダイヤモンドホール
※石野がひとり、新幹線に乗り遅れるも開場前に到着。ライヴには支障無し。


<05.24>
福岡DRUM LOGOS
※このツアーで初めて「Shangri-La」をプレイ。


<05.26>
大阪UMEDA HEAT BEAT
※狭い楽屋にスタッフが作った豚汁の匂いが充満。元気をつけてもらおうという優しさから干しエビを入れたのが仇となり、メンバーを激怒させる。 「でも、オレらも逆にやる気でちゃって……」(砂原)
「エビの匂いに誘われて、団結!」(瀧)
「そんで、顔が見る見るうちに、車だん吉みたいになってなぁ」(石野)
ちなみにこの日、ライヴで初めてファンクラブ会員にはお馴染みの「まりん顔写真幕」が登場する。


<05.27>
※ツアー前から体調不良だったまりん、仙台に引き続いてライヴ終了後東京に直帰。
ピエール瀧、前日に引き続いてライヴ終了後キャバクラに直行。


<05.29>
赤坂BLITZ

<05.30>
赤坂BLITZ
※(追加公演を除く)ツアーファイナル。


<06.02>
ツアー中、体調が悪かった砂原、とうとう入院
※このため、赤坂BLITZで予定されていたツアーの追加公演(6月17日/18日)が8月に延期される。
「入院って言っても、本当は二重まぶたにしたんだよな」(石野)
「それまであったホクロがなくなったり」(瀧)
「あと、ボインがでかくなったり」(石野)


<06.12〜18>
石野、バルセロナのミュージック・セミナー"SONAR"出演のため渡スペイン
※ここでジミ・テナーのライブに遭遇。彼はのちの"recycled A"にもリミックスで参加している。
「燃えた?」(砂原)
「うん、燃えた! 燃えたバルセロナ!」(石野)


<06.21>
アナログ・シングル「ASUNARO SUNSHINE」リリース
※「DUTCH SIDE」にはDJ MISJAHとLAIDBACK LUKEのリミックス。「JAPANESE SIDE」には石野と砂原のリミックスを収録。


<06>
瀧出演の映画『Happy People』公開
※漫画『Happy People』映画化。役柄はバイト帰りの青年A。登場約1分後に脳ミソを出して死亡。


<07.03〜16>
石野、"LOVE PARADE"出演のため渡独 石野、DJツアーのため渡独

<07.26>
富士天神山スキー場 "フジ・ロック・フェスティバル'97"ライブ
※言わずと知れた夏の嵐の大惨事を現場体験。野戦病院と化した楽屋に運びこまれた観客のベルトに当時流行のタマゴっちがぶらさがっているのを目撃、メンバー全員ドンヨリしながらステージにあがる。
「で、第一声が……」(砂原)
「みなさ〜ん、頑張ってください〜!」(瀧)
「そんで、急遽1曲目をザードの"負けないで"に変更!」(石野)


<07.29>
アルバム『A』のアナログ盤リリース
※プレスミスのためリリースが大幅に遅れ、この時期にリリース。限定のレッドカラーヴァイナル。


<08.15>
赤坂BLITZ
※砂原入院のために延期された追加公演の振り替え開始。6月までのツアーで使っていたオケを修正。ラスト曲が「カフェ・ド・鬼」から「電気ビリビリ」に変更された。


<08.16>
赤坂BLITZ
※上に同様。この日のライブをもって、長きに渡った『A』プロジェクトがようやく終了する。この日のライヴは、ライヴビデオ『野球ディスコ』で見ることができる。


<08.17〜09.06>
オフ
※近年では最長の休暇。石野は沖縄の島に行くが、民宿で正体がバレて15分で島を脱出。瀧はインド〜ネパール。砂原はハワイにて「飛行機」のことで頭が一杯。このオフ明けから、石野と砂原はソロ活動に突入していく。


<09.26>
TOKYO FM「ドリルキング・アワー」最終回

<09.27〜10.08>
瀧、TBS「世界うるるん紀行」の収録のためインドネシアへ
※当初の予定では裸族の島を訪れるはずだったが、当時猛威をふるっていた山火事のためにたどりつけず。急遽、別の村の乗牛レースに参加することになるが、牛から落ちて足をネンザ。その後、村の祈祷師の治療を受ける。
「でも、そのあとコッソリ病院に行ったんだ」(瀧)
「しかし、瀧が牛から落ちる瞬間の映像はホントに面白いよなぁ。あそこだけ何度もつなげてリピートしたいもん」(石野)


<10.16〜12.06>
石野、ソロ・レコーディングのため渡独
※ベルリンでのレコーディングの合間に、近隣諸国でのDJツアーが並行。当初11月一杯までの滞在予定だったが延期された。


<11.26>
シャングリカー納車
※「Shangri-La」をCM曲にした日産自動車から提供。


<12.01>
シングル「ポケットカウボーイ」/ビデオ『野球ディスコ』リリース
※シングルはアニメ「さくらももこ劇場・コジコジ」のエンディング・テーマ曲。ビデオは8月に行われたツアー追加公演の模様を収録。


<12.24>
中野サンプラザにてスペースシャワーTV主催の"MVA"に出演
※瀧と田中秀幸氏による映像ユニット「プリンストンガ」制作の「Shangri-La」が同局"Music Video Award"97年グランプリを獲得。受賞式のステージでは、石野と瀧がパートを入れ替って歌った。なお、瀧は晴れの舞台を私服のトレーナーとジャージで出演。


<12.26〜29>
石野、香港へDJ
※デリック・メイ、マイク・ヴァン・ダイクらと共に出演。


.
■1998

<01.05>
1998年仕事始め
※アルバム『A』収録曲の「ガリガリ君」が元ネタ・赤城乳業のプレゼントCDとなることになり、ガッツポーズをとりながら修正レコーディング。


<01.08>
プレイステーション・ソフト『グルーヴ地獄V』リリース
※瀧が中心になってプロデュースされた、足掛け3年、実質制作1年、みずから「クゾゲーの決定版」を目指した娯楽超大作。ひたすら「バイトジゴク」でお小遣いを稼ぐ→ガチャガチャで「音ネタ」を入手→ミュージック・エディタでミックス演奏……と、クソゲーの「解釈」を超越した内容。


<01.13>
石野、ソロ・アルバムのマスタリングのため渡独
※ちなみに砂原は「シコシコ期」まっさかり。


<02.16〜19>
石野、WestBamとのユニット"TakBam"レコーディングのため渡独。

<03.01>
『recycled A』リリース
※アルバム『A』をすべて他アーティストのリミックスで構成した「再利用」盤。


<03.13>
「LOOPA」000番リリース
※石野が立ち上げた自主レーベル"LOOPA Recordings"の始動第1弾シングル。レーベルの活動を詳しく知りたい方はこちらへ→http://www.takkyuishino.com/"


<03.20>
『recycled A』アナログ盤リリース
※当初はブルーカラーヴァイナルになる予定だったが、プレスミスのため通常の黒盤になった。


<03.31>
砂原「TOKYO UNDERGROUND AIRPORT」リリース
※ようやく「シコシコ期」を乗り越えて発表された、セカンド・ソロ・アルバム"TAKE OFF AND LANDING"のイントロダクション的12インチ。限定2,000枚でのリリース。


<04.01>
石野『BERLIN TRAX』リリース
※セカンド・ソロ・アルバム。同年6月にベルギー盤、7月にドイツ盤がリリース。なお、このジャケット用に製作された鉄板のオブジェは、石野のプライベート・スタジオ"Montag"に今でも飾られている。


<04.06〜17>
"MAYDAY"ライヴ仕込み
※電気グルーヴ初の海外ライヴ準備。石野のプライベート・スタジオ"Montag"での初仕事ともなる。


<04.25>
瀧、西麻布イエロー"大映博覧會"出演
※「プリンス・トンガ」として参加。他の出演は、中野裕之、groovisions、谷田一郎など。 新宿リキッドルーム「TACHNO FEST」でシークレット・ライブ
※ソニー主催の「日独DJサミット」パーティーで"MAYDAY"のライブ・セットを前披露する。DJ TOBY→電気→WestBam→Mijk Van Dijk→石野と、まさに日独友好のリレーション。ライヴの形態がDATのオケを流す従来の方式から、卓とターンテーブルをすえた「LIVE P.A.」スタイルに移行する。瀧は上半身裸のケンタウロスの衣装。ちなみにこの深夜のライヴが、砂原の在籍国内最終ステージとなった。
「しかも秘密でなぁ……」(瀧)


<04.30>
ドイツ Westfalenhalle"MAYDAY - SAVE THE ROBOTS"ライヴ
※ドイツ北西部の街、ドルトモントの屋内スタジアム「Westfalenhalle」で行われた巨大レイヴで、3万人を前にケンタウロス姿の瀧がハンド・ドリルを持って登場。翌日の地元紙の一面を飾る。また瀧、このライヴ終了後、のちに語り継がれることになる「ギブアップ」宣言を発令。


<05.02>
スイス ・チューリッヒ"GOLIATH II"ライヴ
※"MAYDAY"から引き続き、チューリッヒで行われたパーティーに出演。"MAYDAY"よりは規模は小さいが、熱気あるステージを見せる。
「すごく遠い郊外で、リヤカー付きの車で機材を運んだんだ」(瀧)
「しかも着いてみたら、会場の横が前日の火事で丸焼け損傷」(石野)


<05.20〜24>
石野"MEMBERS OF MAYDAY"出演のため渡ベルギー

<05.21>
砂原、ソロ・アルバム『TAKE OFF AND LANDING』リリース
※97年9月に始まった「シコシコ期」完了のセカンド・ソロ。98年9月にドイツ盤リリース。


<06.01>
砂原、次なるソロ・アルバムのレコーディング開始
※間髪置かず「リ・シコシコ期」に再突入。


<06.12>
石野、ソロ・アルバム『BERLIN TRAX』アナログ盤リリース
※翌年3月、ベルギー盤がリリース。


<06.18〜07.25>
石野、ヨーロッパDJツアー
※『BERLIN TRAX』の欧州盤リリースのプロモーションを兼ねた、欧州6カ国をまわる大規模ツアー。スロベニアでは現地のクイズ番組に登場、クイズマスターぶりを発揮する。また、7月12日に行われたベルリン"LOVE PARADE"ではファイナル・ギャザリングに出演。世紀末100万人の光景を見下ろしながら、電気の「虹」「あすなろサンシャイン」をプレイして感無量。


<07.06〜12>
砂原、ソロ・アルバムのネタ集めに渡米
※行程はマイアミ〜ダラス〜サンフランシスコ。フロリダ空港では格納庫からわざわざパンナム機を出してもらい、撮影を敢行。
「感想は……すごい暑くて、熱暑病で人がゴロゴロ死んでた」(砂原)


<07.17>
石野監修のV.A.『攻殻機動隊〜プレイステーションサウンドトラック』リリース
※プレイステーション・ソフト『攻殻機動隊』サントラのディレクションおよび楽曲「GHOST IN THE SHELL」を提供。


<08.>
瀧出演の映画"サムライフィクション"公開
※中野裕之監督第1作品となった異色の時代劇。主演は風間杜夫、布袋寅泰など。素浪人の役でストーリーの冒頭に登場するが、布袋寅泰扮する風祭に斬られてすぐ死亡。


<08.01〜30>
ヨーロッパ・ツアー仕込み
※4月の"MAYDAY"以来、殺到したオファーに応えての初ツアー準備。


<09.02>
ロンドン ASTORIA THEATER"J-BEATS '98"ライヴ
※ヨーロッパ・ツアー開始。この初日はTV番組"BEAT UK"の収録。ほかにスーパージャンキーモンキー、屋敷豪太、DJ KRUSHが出演。


<09.04>
ポーランド Lodz"TECHNO FESTIVAL"ライヴ
※野外パレード後に行われたパーティーに出演。3万人ほどのホールでのライヴ前「テクノ・ファッション・ショー」なるものを目撃。裸体に泡だけつけたモデルが登場して「どこがテクノだ?」と大笑いする。このときをもって当ツアーを通称「セクシー・アニマル・ツアー」と命名。


<09.05>
ベルリン Columbia halle"FUTURE COWBOY"ライヴ
※ベルリンの老舗クラブ「E-WERK」の10周年パーティーに出演。DJはWestBam、Woody、Hardy Hard、そして石野。なお、このパーティー終了後、数日間に渡って瀧が「新境地突入」を発令。


<09.30>
アナログ・シングル「ASUNARO SUNSHINE-TAKKYU ISHINO RECONSTRUCTION」リリース
※『MAYDAY - SAVE THE ROBOTS』に収録されたトラックと、キャプテン・ファンクのリミックスを含む。 砂原、シングル「JOURNEY BEYOND THE STARS」リリース
※アルバム『TAKE OFF AND LANDING』からの12インチ・カット。98年11月にドイツ盤リリース。


<10.02〜11.10>
石野、ヨーロッパDJツアー
※"BERLIN TRAX"のプロモーション・ツアー第2弾。


<10.22〜11.02>
砂原、ヨーロッパDJツアー
※アルバム『CROSSOVER』リリース後、初の大規模なヨーロッパツアー。


<10.31>
ベルギー Sportpaleis"Play Station Power Night"ライヴ
※ツアー中の石野と砂原、日本から瀧がゲントに集合。ベルギーの「プレイステーション」による主催イベントで、電気ファンの現地スタッフが『野球ディスコ』のビデオで見られるものとまったく同じレーザーを用意していた。ちなみに、ライブの前に行われた「グランツーリズモ」の決勝戦では、各地を戦い抜いてきたゲーマーが熱戦。優勝商品は本物のシビックだったが、運転席にプレイステーションとモニターが組み込まれているというムチャな装備。


<10.23>
石野「GALACTIK PIZZA DELIVERY Vol.1」リリース
※エレクトロトラック・シリーズ第1弾12インチ。


<11.05>
砂原「eupepomboo」ファッション・ショーDJ
※マネージャーのスケジュール表にあった「砂原ファッション」との記述に、石野と瀧が首をかしげる。


<11.11>
砂原、ソロ・アルバム『THE SOUND OF '70s』/マキシ・シングル「708090」リリース
※ようやく「リ・シコシコ期」終了。マキシはこれまで3枚のソロ・アルバムよりボーカル曲をセレクト。


<11.24>
石野、次のソロ・アルバムのレコーディング開始

<12.09>
電気グルーヴ、アルバム・レコーディング開始
※この日から次回作『VOXXX』への長い旅が始まった。

「うわ! もう、ここから始まってるんだ」(石野)


<12.10>
石野「Montag E.P.」リリース
※99年3月発表のソロ・アルバム『throbbing disco cat』からの先行12インチ・カット。


<12.16>
石野「New Wave EP-Galactik Pizza Delivery Vol.2」リリース
※2月にベルリンでレコーディングされたウェストバムとのユニット"TakBam"シングル。


<12.17〜29>
石野"LOOPA JAPAN TOUR"
札幌→福岡→東京→金沢→大阪→京都→静岡のスケジュールだったが、金沢でのプレイ後、40度の熱のためダウン。その後、現地のホテルで3日間寝込み、大阪のスケジュールをトバす。石野、史上最悪のバースデーを迎え、後にこの事件を「テクノの神に見放された日」と語る。


<12.18>
石野、DJ MIX CD『DJF 400』リリース
※WestBam、Carl Coxと続いた石野監修の『DJF』シリーズ第3弾は、いよいよ本人の登場。


.
■1999

<01.16>
石野『ELEKTRONISCHE TANZMUSIK-GALACTIK PIZZA DELIVERY Vol.2』リリース
※「TakBam」名義のエレクトロトラック・シリーズ第2弾12インチ。


<01.27>
フランス Palm Beach"PALM BEACH BEATS IV"ライブ
※毎年、カンヌで行われるダンス・ミュージックのコンベンション"MIDEM"のパーティー出演。瀧はヤカンを被り、石斧を持って登場する。なお、このステージでニューアルバム用にレコーディングされた新曲を披露するものの、事実上砂原在籍最後のライヴとなった。


<02.28>
石野、ソロ・アルバム『throbbing disco cat』アナログ盤先行リリース
※99年10月にドイツ&イギリス盤リリース。


<03.20>
石野、ソロ・アルバム『throbbing disco cat』リリース
※夏のヨーロッパ・ツアー後、プライベート・スタジオ"Montag"にて約2週間ほどで完成させたサード・アルバム。初回のみ限定でボーナスCD付き&スペシャル・ジャケット。99年10月にイギリス盤がリリース。


<04.02>
砂原、電気グルーヴ脱退を表明
※バンドおよび所属事務所より「今回の砂原良徳の脱退に関しては、音楽的な問題というよりはバンドを進める上での方向性全体の違いというのが最大の理由です。メンバー三人で何度も検討し、相互で納得したかたちで出した結論なので、どうかご理解下さい」と、オフィシャルホームページでステートメントが発表。


<04.19>
瀧、スペースシャワーTVの音楽バラエティー番組"マタハリ"のパーソナリティー開始
※スペースシャワーTVの10周年記念番組。毎週月曜、19時から20時30分まで生放送中。


<04.17>
砂原、最終仕事日
※雑誌"ROCK'IN ON JAPAN"にて最後の3人でのインタビューを受ける。


-----------------------------------------------------to be continued......