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ホアン・アトキンスがモデル500の名前を使って、そのファースト・シングル「ノー・UFO's」をリリースしたのは1985年のことだった。アルトン・ミラーが言うように、“ホアン・アトキンスがいなければデトロイトには何も起こらなかったかもしれない”ほど、それは劇的な変化の合図であり、そしてそれはジョナサン・ソウル・ケインが説明するように“エレクトロとハウスが結合した最初の曲”だった。 希望はないと言う UFOはいないと言う それなら何故、おまえは高みを見ようとするのか やがておまえは飛ぶのを見るだろう 飛べ! “飛べ!”というのは、もちろん“ブッ飛ぶ”という意味を含んだダブル・ミーニングだ。そして希望を見失ったその街で、このエレクトロニック・ファンクの強力なグルーヴは、何人かの心を高み(ハイ)へとブッ飛ばし、インナー・シティから離陸したそのUFOのなかにはデリック・メイやケヴィン・サンダーソンが、もしくはURやカール・クレイグがいたのだ。やがてその一群から“デトロイト・テクノ”は生まれ、それは1980年代後半にヨーロッパのアンダーグラウンドのいたる場所に着陸する。ホアン・アトキンスは紛れもなくオリジネイターだ。 |
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