Kiss Destinationの吉田麻美についてはみんなはどう思っているのだろうか? やはり、彼女のパートナーであり師匠(?)であるだろう小室哲哉のイメージが大きいのだろうか? 昨年リリースされたアルバム『GRAVITY』や新しいシングルを聴くと、この日本最大のプロデューサーであり、同時にハードワーキングなアーティストである彼が、パブリック・イメージよりはるかにさまざまな顔を持っていて、音楽的にも自由であることがわかる。ファンクマスター・フレックスやデラソウルの起用、多様なリズムの冒険──。だが、それも素顔の吉田麻美を知れば自然な流れだと納得できる。ダンサーとしての素晴らしいキャリアやストリートのことを忘れない彼女のハート……。そんな彼女、吉田麻美と小室哲哉との組み合わせがKiss Destination。この当たり前の事実……。僕はほんの短い間、彼女と話しをさせてもらっただけだが、それでも、彼女の魅力に参りました。




──まずはダンスの魅力に気がついた頃の話しから聞かせてもらえますか?

吉田麻美(以下麻美):もともとは、ダンスよりも先に、いとこと二人でピアノを習っていました。それは幼稚園の頃ですね。で、両親がこの子はバレエもいいかもしれないと思ったらしく、それでバレエ教室に通い始めたんです、自分では何の意識もせずに。5歳のときでしたね。そして、小学校2年生くらいのときにはもう“私はずっと踊っていこう”と思っいてました。ダンスをしているときは唯一胸を張っていられたんです。勉強もそんなに好きじゃなかったし(笑)、誉められる場所は踊りしかなかったんですよ(笑)。そのことに小さいころからちゃんと気づいてて……。ダンスや歌をやっている人なら解ると思うんですけど、ステージにあがってライトをカッてあびたときの緊張感、そして拍手や声援をもらったときの気持ちよさ、すごい練習を乗り越えて成功したときの喜び……そういったものを一回味わってしまうと、もう抜け出せないですよね。あの快感から。小学校、中学とバレエ一筋に過ごしましたね。

──そして、どうしてまたクラシックの王道のバレエからR&Bやヒップホップへ移行したのかと?

麻美:高校1年生くらいから夜遊びに走りまして……(笑)。今でいうクラブ、そのころはディスコだったんですけど、そこに通い始めましたね。最初は渋谷の公園通りにあったジックス[ZYX]によく行きましたね。そういうちょっとディスコ系のところとか、渋J(渋谷[J・TRIP BAR]今爆走中のヒップホップ・アーティストZEEBRA氏などもDJをやっていたことあり)とか、あとは新宿にもよく行きました。タダ券もらって(笑)。そんなふうに高校1年の頃からヒップホップダンスにはまって、友達と踊ってましたね。そのころ男の子の友達から女の子のダンサーが必要だから一緒に踊ってくれないかって言われて、参加したらそれが楽しくてね。じゃあ私たちもチームを組もうってことになって、女の子4人のチームを作ったんです。

──クラブは知らないわけじゃないですけど、ダンスシーンとDJ・ラッパーのシーンて違うじゃないですか、微妙に。重なっているところと重なってないところと。

麻美:はっきり言っちゃえばぜんぜん違うと思います。でも(ヒップホップダンスは)音ありきの踊りだし、全体的にはつながっていると思うんです。だからヘンな区別はしてないんですけどね、私の中では。

──当時のダンス・シーンで、あの人たちかっこいいよなっていう人はいました?

麻美「すごいマニアックになっちゃうんですけど。ジャズ系のヒップホップの人たち。あとは“ルーツ”とか。前にも言った通り、私は子供の頃からダンスを職業にしようって決めていたから、高校を卒業したら踊りの学校に入ったんですよ。もうそこは、1日踊り浸け。クラシックやモダンからジャズ、ヒップホップまで、スパルタ授業が続くんです、1日中。その学校で、私たちの2つ上がちょうどダンス甲子園とかに出ていた世代なんですね。その辺の人たちと一緒に、ほんと踊りまくってましたね。昼は学校、夜はクラブで。

──そのときの舞台はどこなんですか?

麻美:[R?HALL]だったり、今は無きクラブだったり……。そうそう[クラブ・チッタ]はダンサーの麻美が生まれたところみたいな(笑)。ほんとうに楽しくてね、踊るのが。そして楽しんでいるうちに自然と自分で(道を)選んできたのかなって……はい。そして、自分の中に踊りに対するプライドがちょっとずつ芽生えてきたんですね。踊りで食べていくという当初の目標がバレエからダンスに替わっても、目標自体は小学校のときからずっと変わらなかった。それにクラブで踊っているっていっても、公園で毎日毎日、ものすごく真面目に練習もするんですよ、仲間と。練習の後は、公園にはタバコ1本のゴミも残して帰らないし。そうしないとその場所を使わせてもらえなくなっちゃうから。遅い時間帯に練習しても怒られないようにとか、そこに暮らしている方にも気を遣ってましたね。踊りをやってる子は踊りが好きだから、多くの人に見てほしいから、練習も頑張るんですよ。もうほとんど体育会系。そして、チームが少しでも認められれば、イベントとかに呼んでもらえるようになっていくしね、それがまた楽しいの。当時は女の子4人でLSDとうチームを組んでました。

──ダンスの楽しさみたいのを教えてもらいたいなって思って、お話し聞いているんですけど。たとえばダンサーの人たちって、LSDというグループがあるとしたら、最初にこういう踊りをしようとか、みんなで考えて始めるんですか?それともなんとなく自然にこう集まって?

麻美:それぞれあると思うんですけど、やっぱりクラブとか行って遊んでいて好きな音とかがかかると、自分の中でワーっと盛り上がるじゃないですが、たとえば当時私の場合は、メアリーJブライジやジャネット・ジャクソンとかR&B系がかかるとノってくる。そしてその時周りを見てみると、自分と同じようにノっている人がいる。“わかってるじゃん”見たいな意志の疎通があって、それでその人たちと輪になって踊るんです、ダンサーって。そこで動きがかっこいいとか思えると、ちょっとしたバトルが始まるんですよ、ダンスの。女の子の場合は激しいバトルにはならなくて、仲間になるって感じなんですけどね。そこで馬が合う合わないって感覚的にわかるんです。そうすると仲良くなったり、今度一緒にイベントに出ようよとかなったりする。

──当時は音楽をやろうとかって思ってました?

麻美:ないですね(笑)。思ってないです。踊り一筋できましたし、歌はカラオケで盛り上がったりするだけ、踊りながら歌って。一応友達とかには『デビューしなよ』とかって言われてて(笑)、でも、自分では無理だって思ってました(笑)。DOS(麻美がダンサーとして参加していた、小室氏プロデュースの3人組のユニット)のときもコーラスなんてとんでもないって感じで……恥ずかしいって(笑)。でも本当は歌うのも好きだった。でも自分の中に自信がまったくなかったから、こんなんでいいのかなみたいな葛藤があったんだと思いますね。






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5月17日ニュー・シングル「MA・BA・TA・KI」をリリースするKiss Destinationの吉田麻美に、彼女を語るに欠かせないダンスについて、音楽について聞いてみた──。
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インタビュー・文/荏開津 広
Text by Hiroshi Egaitsu