3年後、めでたくお咎めもなく入国審査を通過したぼくたちが、世界最大といわれる旅客ターミナルをモノレールで抜け、向かったのはレンタカー受付。そして送迎バスに乗って広大なピックアップセンターへ。辺りはもう暮れなずんでいる。ここで日本車以上に没個性的な白いアメリカ車を与えられ、一路ホテルを目指した。
 ホテルのあるバックヘッド地区はハーツフィールド空港の北方に位置する。そこまでは地下鉄を使っても20分足らずだ。無論空港からタクシーで向かってもいい。ただ滞在中の過ごし方を考えると、東京と違って流しのタクシーが多いわけでもないので、車を自分で運転するに越したことはない。それがどんなに安物の車だろうと、ぼくのお気に入りのR&B専門ラジオ局MAGIC107.5を流しながら街を走れば景色が楽しく見える、美しく見える、メロウに見える。
 85号線を上っていく。アトランタの85号線をあてもなく妻と車を走らせるだけで楽しいものだ、とラップしたのはこの地のミュージカル・ヒーローのひとり、スピーチである。東京で彼に会って「およそヒップホップの題材になりそうもないことをよくラップしたね」と言うと苦笑いされたものだが、実際にこうして車を走らせるとスピーチの言うことも理解できる。もっとも、今ハンドルを握るぼくの横で地図を広げるのはN氏、後ろから前方に身を乗り出しているのは井上三太画伯、という女っ気皆無のドライブだけれども。
 初めてのアトランタのせいか、やや緊張気味だった画伯を、ゆっくりと解凍していったのはカーラジオ から流れるR&B。MAGICのマジック、というと予定調和に過ぎるだろうか。
「この車のサウンドシステムが特別いいわけじゃないよね。なんでこんなにいい音なの?」
 町のエジソンくんよろしく、疑問符を連発する画伯。日本と違って専門用語でいうところの「コンプがかった音質」であることには間違いないけれど、やっぱり選曲と構成の妙じゃないかな、とぼくは答える。曲のつなぎもいい加減だし、DJのおしゃべりも歌の頭にかぶったりしているけれど、そんなことを気にしないところがいいんだよ。アイズレー・ブラザーズの〈BETWEEN THE SHEETS〉が流れてくる。N氏がぼそっと呟いた「まだ日も暮れきれぬうちに」という一言に、残るふたりも笑う。
 画伯の興味は75号線の両側に散在するように設置された巨大看板、いわゆるビルボードに移っていったようだ。「あ、ソーソーデフ!」画伯が声を出す。右側を見ればこの地を代表するR&B / ヒップホップ・レーベルであるSO SO DEFのロゴがそびえ立っている。レーベルの主宰者ジャーメイン・デュプリを模したヒゲ男の顔。こんなチープかつストリートフレイバーあふれるロゴが冗談のようにどデカい看板になっているのが愉快極まりない。



 ぼくがこの地をはじめて踏んだ92年、当時19歳のデュプリは少年ラップ・デュオ、クリス・クロスのプロデュー スを手がけて初めて世界的成功を収めた。当時ハーツフィールド空港のバゲージクレームにはクリス・クロスの宣伝ボードが誇らしげに掲げられていたものだ。今考えれば随分と地味なボードだったが。ぼくとの会見場所となった『FOX THEATRE』に買ったばかりのBMWでやって来たデュプリのことは今でもよく覚えている。「今からはR&Bもやっていくよ。R&Bはカネになるからね。最近、歌の上手い女の子たちを見つけてね」その少女たちがエクスケイプという名でデビュー、R&Bシーンを席捲するのは翌年秋のことである。そして99年、解散したエクスケイプのメンバーのうち、最も聡明なキャンディが歌詞を書いた曲が世界中のチャートを登頂する。生活能力に欠ける男は要らないと喝破したその曲こそはTLCの大ヒット「NO SCRUBS」である。
 小僧たちが始めた商売がビジネスとして成立している。普段からぼくとの会話のなかでそんなアトランタのR&Bシーン、とりわけデュプリへのなみなみならぬ興味をあらわにしている画伯のことだ。ビルボードを一見しただけでいろんな思いが去来したのだろう。そうそう、画伯がぼくに送るメールの最後には「草々DEF」と書き添えられていることがよくあるんだっけ。












1  2  3  4  5
1  2 
1  2  3 
BACK NEXT