■ 海をこえて 〜『Beyond the Sea』プロダクションノーツ〜 ■

はたして、日本語ネイティブではない歌い手が日本語のオリジナル曲で日本人の心を動かすことができるのか。可能だとは思っていた。フランス語ネイティブでありながら米国語のオリジナル曲で米国を含む世界中に感動を与えるセリーヌ・ディオンがいるではないか。スペイン語ネイティブのグロリア・エステファンも。成功例は他にもある。
その一方で、容易ではなかろう、とも思った。成功例をはるかに上回る失敗例をここで挙げるほど私は悪趣味ではないが。

最初は偶然の出会いだった。今年のはじめ、私はいつものように都内の複合スタジオ施設でレコーディングをしていた。その共有ロビーでコーヒーを呑みながらミュージシャンたちと談笑していると、ロビーに扉が面したスタジオから知り合いのエンジニア森元浩二さんが出てきた。扉が開いて閉じるまではほんの3秒くらいに過ぎない。しかしそこから漏れ聴こえてきた歌声は、私に強い興味を抱かせるに十分だった。  森元さんの会釈に応えるのもほどほどに私は訊いた。「このキレイな声、誰ですか?」森元さんは微笑を浮かべて答えた。「今度デビューするKです。この子はいいです。韓国の子なんですよ。来ますよKは!」森元さんがこんな熱いトーンで私に話すのは初めてだ。スタジオの中へと戻っていく彼が扉を開けた時、今度は耳を澄ませて中の様子をうかがった。再び耳に届いた歌声は、それが「本物」であることを雄弁に物語っていた。
 そんな私の「興味」は森元さんを通してKサイドに伝わったようだ。後になってわかったことだが、Kサイドのほうでも私にコンタクトを取るタイミングを見計らっていたらしい。しかし、その前に歌声は私のもとに飛び込んできた、と。
素敵な話ではないか。そこに縁(えにし)を感じた私は、今度は偶然に頼らずにしっかりとアポイントメントを取ってKと会うことにした。ちょうど彼が2ndシングル「抱きしめたい」のカップリング曲「Just Once」のレコーディングをしている時だったと記憶している。澄んだ瞳が強く印象に残った。とはいえ、共通の言語を持たぬ私たちは容易に意志の疎通を図れなかったことをここに告白しよう。

早いもので、はじめの「偶然の3秒」から1年近くが過ぎようとしている。いま私はマスタリングを終えたばかりのデビュー・アルバムを聴き直し、将棋指しが棋譜をたどるように制作工程を反芻している。3rdシングル「Girlfriend」から正式にプロデュースを手がけるようになって以降、思えば常にアルバムのグランドデザインを意識しながら一切の曲作りやレコーディングを進めてきたのだった。 本アルバムはKの21歳の日々を封じ込めた作品集である。この1年間で彼が何より成長を遂げたのは日本語能力だ。もとから恵まれた声質と高い音楽素養をもつKのことだ、ボーカルの説得力アップは日本語能力の成長と比例するはず。最初にそう思った私は気長にその過程を見守ろうと覚悟していたのだが、実際の彼はこちらの予想をはるかに上回るスピードで語学を習得していった。通訳の方を介さずにコミュニケーションできるようになったことで、会話の内容も人間的な度合いを増した。それゆえに、私が求めるアルバムの完成度もいくたびか上方修正した。その具現化にあたっては、私の要請に応じてレコーディング・ディレクター職を引き受けてくださった二宮英樹氏の存在が欠かせなかった。スタジオ業界では久保田利伸、Skoop On Somebodyの仕事でよく知られる実力者である。本アルバムを映画に喩えるならKは主演の新人、二宮さんはオスカーものの名助演だった。

アルバムのタイトルは『Beyond the Sea』とした。もともと本アルバムに収録したKの自作曲のタイトルとして私がつけたのだが、彼の出自と現在をこれほどシンプルに表現し得る言葉はないかと思い、そのままアルバムのタイトルに引用した次第。このタイトルからボビー・ダーリンの同名曲を思い出される方はどれほどいらっしゃるのだろう?ケビン・スペイシー主演によるダーリンの伝記映画のタイトルでもある。以上、余話として。

それでは、以下、各曲に具体的な説明を加えてみよう。

01 _ Cover Girl
作詞:立田野 純 作曲:和田昌哉・福山泰史 編曲:福山泰史
 これまでリリースした4枚のシングル曲では顕在化していないが、実際に付き合ってみるとKはかなり濃いファンクネスの主であることが私にはすぐにわかった。アルバムではKのそんな面にも強い光を与えてみたいと考えた。これはそんな意図が最も強く表れた曲のひとつ。Kと同じく2005年にデビューした男性シンガー・ソングライター和田昌哉、盟友・福山泰史の両氏が共作したメロディーに立田野純が歌詞をつけた。和田さんは私がプロデュースしたCHEMISTRYの3枚のアルバム(『The Way We Are』『Second to None』『Between the Lines』)のすべての曲でボーカル・プロデュースを手がけたR&Bボーカルのプロフェッショナル。作曲家としても「It Takes Two」のナンバーワン・ヒットを持つ逸材である。彼の持つコンテンポラリーなR&B感覚とKのファンクネスの融合を期待して参加を請うた。なお福山さんは本アルバム7曲目でも登場。23歳という若さの彼にこの作品集のファンク色を決定する役割を担ってもらった。曲終盤、和田さん自身によるコーラスとKの絡みが実にスリリング!ちなみに歌詞中の「待ちわびた23rd Day」というのはいわゆる女性四大誌(『CanCam』『JJ』『ViVi』『Ray』)の発売日ですね。念のため。

02 _ Girlfriend
作詞:tetsuhiko・小山内 舞 作曲:tetsuhiko 編曲:Maestro-T
 3rdシングル。私が初めてKをプロデュースした曲でもある。デビュー時からKに楽曲を提供してきたtetsuhiko氏(little by little)作詞作曲によるデモ「Girlfriend 5 years later」は既に完成度の高いものだったが、Kの本領であるR&Bフレイバーをより引き出すべく、私とは付き合いが深く長いMaestro-Tにアレンジを依頼した。トミー・リピューマ作品で聴けるようなジャズ的洗練の肌合いが欲しかったので、葛谷葉子やSkoop On Somebody等の仕事で何度かお世話になっている山本拓夫氏を招いてフルート・ソロをお願いした。そうして作り上げた音のイメージを深化させるべく、tetsuhikoさんの了解をとって「Girlfriend 5 Years Later」の詞を小山内舞が大幅に改訂した。結果、イメージ年齢が5歳ほど上がったかなとは思う。川本ゴン太氏のミックスもナイス!TD当日には、ちょうどその頃私がアルバム制作のお手伝いをしていた山下達郎氏がふらりとスタジオにいらっしゃるというハプニングがあった。その時達郎さんがこの曲を試聴されてスタッフを激励してくださったのが忘れがたい。Kプロジェクト全体の結束が飛躍的に高まった一夜だった。

03 _ Only Human
作詞:小山内 舞 作曲:松尾 潔・田中 直 編曲:田中 直
 4thシングル。テレビドラマ『1リットルの涙』主題歌として制作した。この大きなステージに立つにあたって、まず私は作曲家の方々に依頼してお寄せいただいた候補曲を3曲番組企画者に提出した。当然どれかはお気に召すだろうという目論見である。しかし、番組の企画者…仮にS氏としておこう…は非常に具体的なビジョンをお持ちで、その設計図と実際に提出された楽曲には差異があった。そんなご指摘を受けてさらに2曲提出。がしかし、再びドラマの制作意図からは外れていた。そのご返答を受ける頃には私も提出曲に欠けている「何か」がよくわかるようになっていた。同時に歌詞に求められるものについても立体的な理解が得られた。問題は番組制作のタイムリミットが目前に迫っているということだった。かくなる経緯があって必要に迫られた私は自ら鍵盤に向かうことになる。普段はプロデュースに専念している私が作曲に関わるのはDOUBLEの「BED」(1998年)、CHEMISTRYの「FLOATINユ」(2002年)以来のことだった。急な求めに応じ、ご自宅のウーリッツァー(鍵盤楽器名)を快く貸してくれた音楽プロデューサー・松原憲氏のご厚意にこの場を借りて謝意を表したい。小山内舞の作詞とほぼ同時進行で作り上げたメロディーは展開に拙さが残るものだったが、それを先述の福山さんと同じ弱冠23歳のアレンジャー・田中直氏が補い、詩情を増幅する素晴らしい後奏を加えてくれた。なお、歌詞中の「流れに逆らう舟のように」はフィッツジェラルド著『華麗なるギャツビー』の有名な文末の箇所からの引用。

04 _ TAXI
作詞:片寄明人 作曲:山本茂彦 編曲:I.S.O.
春に行ったKのための第1回楽曲募集には100曲を優に超す作品が集まった。数だけではない、非常にレベルの高い作曲コンペティションだった。その中でひときわ異彩を放っていたのがこの曲である。ただ寡聞にして作曲者のお名前に心当たりがなかった。それもそのはず、作曲者の山本茂彦氏は関西在住にしてメジャー作品経験なし(当時)という、スタートラインに立ったばかりのフレッシュな方だった。そこには都市生活者の虚無とでも言うべき味わいがあった。ニヒリズムをポップスとして昇華するにはより鋭角的なアレンジが効果的だろう。アレンジは私が大きな信頼を置くI.S.O.氏にな依頼した。残るは歌詞。
都市生活者の虚無…ならばその詞はこの人しかいない。優れたアーティストであり、私の10年来の友人でもある片寄明人氏(GREAT 3、Chocolat & Akito)だ。全国を飛び回る多忙なスケジュールにも関わらず、片寄さんは私と根気よく連絡をとりあって詞のやりとりをしてくれた。個人的にアルバムの中で最も好きな曲となった。(ちなみに山本さんは先頃発売されたCHEMISTRYの新作アルバムにも作品を提供されています)

05 _ 陸の上の舟
作詞:小山内 舞 作曲:川口大輔 編曲:松浦晃久
アルバムを代表する美麗なナンバー。CHEMISTRY「君をさがしてた」、中島美嘉「STARS」「WILL」等の作者として名を馳せるシンガー・ソングライター川口大輔のあまりにも美しいメロディーは、小山内舞の歌詞を耽美的なベクトルへといざなった。アレンジは80年代初頭のクインシー・ジョーンズからジェレミー・ラボック、マイケル・オマーティアンといった米国の名匠たちのエレガントな作風を多分に意識し、私が全幅の信頼を置くマエストロ・松浦晃久さんにお願いした。アルバム中唯一のオール生演奏、スタジオライブに準じる形式でレコーディングしたこの曲は、Kのボーカルにもともと備わっている気品を最大限に引き出せたと自負している。会心の作だと断言しよう。

06 _ Beyond the Sea
原案:K 作詞:小山内 舞 作曲:K 編曲:Jin Nakamura
当初私はこのアルバムでは稀代のボーカリストであるKの魅力を引き出すことにフォーカスしようと考えていたから、必ずしも彼の自作曲収録にこだわっていたわけではなかった。がしかし、アルバム制作も中盤に入った頃にKから渡された自作デモテープを聴いた私は、その中の1曲を収録することを即座に決めた。「2005年9月23日」と録音日だけが記されたその無題曲はわずか1分32秒の小品だったが、名曲の品格のような光を静かに発していた。この曲をアルバムの重心に据えようと考えた私は、歌詞のコンセプトをK自身が出すことにこだわった。結果、私がKのさまざまな想いをヒヤリングし、そこから得たインスピレーション、そこから派生したストーリーを歌詞の形にまとめる、という手法をとった。そう遠くない将来にKのペンによる日本語詞の曲が誕生するだろうが、この曲はその前史として記憶していただきたい。2005年、私はJin Nakamura氏と実に頻繁にお仕事したのだが、この曲でのアレンジの冴えは格別。

07 _ Play Another One feat. Mummy-D (RHYMESTER)
作詞:立田野 純 補作詞:Mummy-D 作曲:K・福山泰史 編曲:福山泰史
 3rdシングル「Girlfriend」のカップリング曲としてまず世に出たファンク・ナンバーなのだが、何度かライブで歌った際のファンの方がたの熱い反応にお応えする形でアルバムにも再び収録することにした。アルバム収録にあたってはファンク度を強化するために新たにラップをフィーチャーすることに。人選に関しては迷いなくライムスターのマミー・Dに声をかけた。Kはデビュー時の強いインパクトゆえか、とかく「バラードの貴公子」的イメージで語られることが多いが、ファンクな側面を最も理想的に引き出してくれるのは、マミー・D、この男しかいないではないか!学生時代から実に10数年の付き合いとなる彼とは、これまでに表立ったコラボレーションを実は一度しか残していない。私のプロデュース曲に彼がリミックスとラップで参加したDOUBLE「BED(DOUBLES)」(1998年)である。以来、何と8年ぶり。論より証拠、シングル・バージョンにまったく手を加えていないはずのKのボーカルがここではファンクネスを増したように聴こえる!

08 _ Fly Away
作詞:古内東子 作曲:tetsuhiko 編曲:柿崎洋一郎
現在のKのパブリック・イメージの大半をつくったのは、やはりデビュー以降3枚のシングルの作曲を手がけたtetsuhikoさんの楽曲群である。アルバムには彼の書き下ろし作品も是非収録したいと考えた。ところが嬉しくも困ったことには器用なtetsuhikoさんは実にさまざまなタイプの楽曲を複数寄せてくれたのである。ひとりの人間から生まれたものとはにわかには信じがたいほど多種多様な曲の数かず…さんざん悩んだ挙句に選んだのは、UKのアシッドジャズを彷彿とさせる1曲だった。メロディーにはtetsuhikoさん独特のポップの素が散りばめられている。これはいい。ただし、Kのボーカル資質を考慮すると、サウンドは80ユs NYファンク的な雰囲気に変えたほうがベターと私は考えた。そこでお声をかけたのがMy Man久保田利伸の音の番人・柿崎洋一郎氏である。まあ私にとっては長年ファミリー的なお付き合いをしている方なので、彼の得意技はすべて承知している。今回はフレッド・マクファーラン〜クリフォード・ブランチ風味のファンキーなキーボード運指をサウンドの基調としてもらった(マニアックな表現ですみません)。Kにとって久保田さんは憧憬の的。その最強ブレーンである柿崎・二宮両氏の庇護のもと伸びやかに歌う彼のボーカルの艶やかさといったら、もう。おまけに歌詞は古内東子なのだ! CHEMISTRY、Skoop On Somebodyのプロデュース時にも世話になった東子ちゃん。私がお願いしたテーマは「別れの予感と危険をはらんだ、でも手放せない恋愛感情」というものだった。

09 _ Friends before Lovers
作詞:立田野 純 作曲:黒沢 薫・妹尾 武 編曲:宇佐美秀文
ゴスペラーズはライムスター同様それこそ10年来の付き合いのグループだ。私にとってはかわいい後輩たち、そしていい意味で不敵なところが彼らの持ち味である(何よりこのグループ名が大胆不敵ではないか!)。メンバーの黒沢薫が2005年秋に初めてのソロ作品を出すにあたって、私は珍しくも「作詞のみ」というオファーを受け、3曲書き下ろした。その時に彼と作曲術について話し合う機会があり、これはと思って今度はこちらからKへの楽曲提供を依頼した。もとから黒沢君には全面的にコーラス参加をリクエストしていたのだが、せっかくの美声同士、ならばデュエット的なパートがあるといいよね…と話は盛り上がり、現在の形になった。私と念頭にあったのはケイスとJOEの男男デュエット「Faded Pictures」だが、黒沢くんはもしかしてR・ケリーとロナルド・アイズリーのデュオを思い浮かべていたのかもしれない。いや、ところどころロナルドになりきっている箇所があるから、これは確信犯だろう。最良の形でKの新生面を拓いてくれた。なお、ゴスペラーズの「永遠に」の作曲者である妹尾武氏が共作者として名を連ねるだけではなく、美麗な、それは美麗なピアノ・ソロを披露している。フレディ・ジャクソン、メリッサ・モーガン等に代表される80ユsのクワイエット・ストーム気分が横溢したトラックのアレンジもゴスペラーズ・ファミリーから宇佐美秀文氏。ポール・ローレンス的な官能性がたまらない。

10 _ 抱きしめたい
作詞:tetsuhiko 作曲:tetsuhiko・十川知司 編曲:K・安部 潤
11 _ over...
作詞:shungo. 作曲:tetsuhiko 編曲:tasuku

 順に2ndシングル、1stシングル。いずれもtetsuhikoさんの作曲。この2曲は私がKのプロジェクト参入以前の作品なので、制作の詳細を語ることはできない。ただ言えるのは、まだKが日本語での日常会話にさえ苦しんでいたこの時期にこれほどの作品を作り上げた当時のスタッフの苦労は如何ばかりだったか、ということ。「overノ」でのみずみずしいボーカルはまさにエバーグリーンの趣。

12 _ Bye My Friends
作詞:小山内 舞 作曲:坂詰美紗子 編曲:Maestro-T
 クリスタル・ケイの「恋に落ちたら」で突如としてシーンの最前線に躍り出た作曲家・坂詰美紗子氏。何とまだ20歳というから驚く。歌いあげるKは21歳(当時)。私は若い彼らの道筋さえ定めればよかった。小山内舞の歌詞も珍しく学生時代や青春時代を意識した内容になっている。コーラスは「Play Another One」のレコーディング時に招いた大日方治子さんグループを再招集。優れたソロ作品を残しているCalyn嬢にも加わってもらった。青い時間を生きるすべての人たち、そして、かつて青い日々を過ごした人たちにも聴いて欲しい。

2006年1月 松尾 潔

KIYOSHI "KC" MATSUO for Never Too Much Productions