Hit & Run Q&A
ユーザーの皆様からの様々な質問に担当者がお答えするページです。

待てど暮らせどー(00.10.27)
だいぶ以前の話なのですが、(PUFFYのトレーディングカードがツアーで売られていた時ぐらいです。)
「民生さんのトレーディングカードも製作中!ツアーで売ります。お楽しみに。」
と、メッセージボードの方にたしか山ケンさんが書いていたと思うのですが、(はずれ?で山ケンさんのカードも入ってるとか?)すごい期待して楽しみにしていたのですが、民生さんトレカの件は、どうなってしまったのでしょうか?まさか、お流れでは・・!?
お願いしますー 通販でも良いですからつくって売ってくださいましー。(売りきれるとイヤだからです。)
あと、民生さんツアーグッツ売りきれで買えない事があるので、通信販売してほしいです。
2000サマーグッツほしいです。お願いします。
ありがとうございました。
(たまえさん
お答え:おれじゃないよ。原田さんかな?(やまけ)
民生さんの機材の質問(00.09.01)
僕の質問は筋野さんの担当になると思うのですがよろしくお願いします。
学生の時から民生さんのファンでコピーバンドも組み、民生さんのメインLPは買えませんが、昨年末 55年製 LPSPを奮発購入し最近は「トロフィー」と「近未来」ばっかり弾いてます次は塗り直したLPにビグスビーをつけます!
民生さんの機材の質問ですが
1. 今年のツアー前半だったと思うんですがGibson J-45 EBをエレアコに変えられましたよね、しかも2つも。 黒いボディーのものとナチュラルフィニッシュ同じメーカーの同タイプと思うんですがヘッドがよく見えませんでしたのでメーカーと型番をおしえてください僕自身はエレアコはあまり好きではなく 今回のツアーでは前の席でみられる事が多く エレアコ独特の音色が(僕にとって悪い意味で)気になっていたんですが大阪公演二日目ではPA席近くのチケットが取れて「ものすごくいい」と感じまして興味を持ってしまいました。
2. 今年の静岡公演でしか僕は見ませんでしたがアンプの上にあったアルミダイキャストシルバーのエフェクターは何だったんでしょうか?どの曲にかけていたのかも勉強不足でわかりませんでした。
3. 夏のイベントツアーから使用なさっている緑のアンプ(GREEN MATAMP)の詳細なスペックなどを教えて下さい某プレイヤー誌などもよくよく見ているんですが載ってませんでした。
(智貴(26才)さん
お答え:こんにちわすじのれす。

一つ目の質問れすが
メーカーわ、二本ともイバニーズ社の物れす。
型番わ特になく、海外のみれ販売しているGX-90をベースにした試作モデルれす。
GX-90との違いわ、ピックアップと材質れす。
GX-90わ、マグネットピックアップだけれ、試作モデルもマグネットピックアップだけらったのれすが、ピエゾピックアップも付けた方がもっとよくなるかも?といって2ピックアップにしてもらいました。
材質わ、オリジナルわトップわスプルースれ、サイドはマホガニーれす。
黒わ、ギブソンと同じオールマホガニーれす。
ナチュラルわ、トップわスプルースれ、サイドわ、ローズウッドれす。
まだ試作段階なのれ販売予定わ、ないと思います。

二つ目の質問れすが
あれわ、再発されたTHE PLEX(チューブテープエコー)れす。
曲わ、「羊の歩み」れす。グレッチの12弦れ1曲まるまるかけていました。れも、その一日だけれした。

三つ目の質問れすが
GREEN MATAMPれすが、GT 120れす。オレンジ(アンプ)を作った人がオレンジをやめて作ったらしいれす。
スピーカーわ、以前 TWO MIXれ作ってもらった物で、中身わ再発のセレッショングリーンバックれす。僕が緑に張りました。(一日がかりれ!)
GT-120れすが、基本的にわあまり抜けない方だとおもいますよ。
奥田が持ってるスピーカーの中で一番ハイがでる物を使って、つまみもトレブル、プレゼンスもフルであれ以上ハイがでません。オリジナルのスピーカーわ使ったことがないのれわからないのれすが。音わ、悪くないと思いますがね、いなたい音です。

MATAMPのホームページ(http://www.matamp.com/matamp1.html)があるので見てみてはどうれすか。
ピックのデザインは、誰が?(00.08.22)
質問なんですけど民生さんが、ライブのときに使ってらっしゃるピックのデザインは、誰が、されて居るんですか?民生さん本人?それとも、専属の人がいらっしゃるのでしょうか?ちなみに、今年のピックは、どんなデザインだったのでしょうか?教えてください。それでは。(kenさん
お答え
ヤマケン「スージーさん、またピックの質問が来てるんですが」
スージー「何のれすか?」
ヤマケン「えー、今度はピックのデザインについてなんですけど」
スージー「ピックのデザインれすか?」
ヤマケン「誰がデザインしてたりするのかを知りたいみたいです」
スージー「文字や絵柄わ民生さんとヤマケンとボクれすよね〜」
ヤマケン「でもボクたちがピックの形にまではしてないですよね」
スージー「民生さんのピックわむかしむかしから星野楽器さんで作ってもらっていたのれした。ボクたちが作った文字や絵を星野楽器さんの吉田さんに送り、何パターンかレイアウトしてもらったものから民生さんに選んでもらうのれす」
ヤマケン「ということはピックのデザインはボクらと吉田さんでやっているということですね?」
スージー「そうれす」
ヤマケン「それにツアーによってデザインも変わりますが、今年のはどんなヤツだったのでしょう?」
スージー「表には『マシマロ』ロゴ風『奥田民生』(枠なし)と『Ibanez』、裏には『goldblend』のロゴ(枠あり)と民生さん直筆の『2000OT』(OTはいつものマーク)が入っているのれす。字の色わ金色れす」
ヤマケン「直筆で思い出しましたが、何か2000OTって書くと20000Tとも読めてオモロいなどと盛り上がりましたね」
スージー「そうなのれす。あ、あとあれら。GOLDBLENDツアーではピックは2種類作ったのれした。白と黒があるのれす」
ヤマケン「なんか違いがあるんですか?」
スージー「違いわないんれすが、星野楽器からデザインが来た時に白も黒もどっちもありかな〜という意見になり、2種類作ったのれす」
ヤマケン「じゃ民生さんは特に使い分けてたワケではないと?」
スージー「そうなんれすけど〜、同じはずなのが白の方が削れ方が荒い削れ方をするのれ、黒を使うことが多かったかもしれません」
ヤマケン「なるほど、白の方がレアですな」
スージー「でも、ステージから投げるのは白の方が多かったれすよ。それから、会話だけだと分かりづらいので、ボクがでじかめで写真をとって、ここに載せます。その方が分かりやすいのれす」
ヤマケン「ギャフン!」
アーティストのマネージャーになるには・・?(00.08.11)
こんにちは。私はいま某大学(有名ではない)文学部の3年生です。就職活動をもうすこししたら本格的にやらなくてはならないのですが、音楽が大好きで、アーティストのマネージャーなどの仕事につきたいなとおもっています。でも、音楽に関しての知識はなく、知り合いもいません。バイトからでもいいのでまずどのようなことをしたらいいのかおしえてください。またどのような資格や、人材がほしいのか、アーティストのマネージャーになるにはどのような道をとおるといいのかなどアドバイスください。
わたしは今マックのバイトでマネージャーをしています。接客や対談、人に指示をだしてひっぱるのが得意です。おねがいします、やる気はあります。(ペンネーム:mihochanさん
ヤマケン:ボクは某大学(有名だがイマイチ)文学部を卒業して、ソニーミュージック(当時はCBSソニー)の入社試験を受けて今のSMA(当時はCSA)に配属されました。それでそのままマネージャーになったという、何だか全くドラマのない経緯を経て今に至ります。カッコいい言い方をするとプロパーと呼ばれる部類です。音楽業界におけるマネージャーという職種はいつの間にかそうなってた的な人が多いので、新入社員で入りマネージャーになる人間は少数派だと思います。逆に芸能プロダクションなどは新入社員で採用するところは多いかも知れん。それで本当はレコードメーカーの制作(ディレクター)志望だったのですが、面接を経ていくうちに何だか知らないけどプロダクションの方に行けということになってしまったのでした。ここら辺は田沼の方が波乱万丈なことを答えてると思われるのでそっちの方が参考になるでしょう。
それでオレらの高校時代はジャパメタの走りやらフュージョンやらやってる人が多かったんですが、ボクはちょっとひねくれてたのか、当時はまだ主流ではなかった感の強いパンクのようなモッズのようなバンド(でも人は良い)をやってました。さらに調子が良いので軽音の部長をやったりして、学園祭でPA・照明・楽器を借りてきて学園祭のコンサートを企画したりしてました。思えばそれが今の仕事の原点になってるかもしれません。それでそのバンドで福生や国立、国分寺といったライブハウスで自分で作ったチラシまきながらライブやったりもしてたなー。さらに大学に入ってからはライブハウスに出入りしてるうちに現在のグレート3のリズム隊と知り合い、この時にオリジナルのグレート3を結成したのでした。つっても名前は同じでも音楽は今と全然違うけど。それで当時流行ってたネオロカ・ガレージ系のバンド達としょっちゅうライブやってましたが、大学4年のある日、普通に就職試験を受けて今に至るのでした。軽く足を洗った感じかもしれません。
ちょっと脱線してしまいました。それで音楽が好きなのは当然として、時間が自由になる時に色んなモノをインプットするのはとても大事だと思います。自分がハマったものってムダにはならないと思うよ、多分。バンドやってて楽器に詳しかったりするのもこの世界では大事だし。映画やファッションに詳しいのもオッケー。ちなみにボクは戦闘機に詳しかったりするけど、これは役に立たねぇな。それで最終的には何の仕事でもそうだと思いますが、その人の人間性によって周りの環境も変わってくるし、自分が進むべき方向も決まってくるのではないかと。それとマクドナルドって端から見るととってもシステマティックに仕事をこなしてるように見えるんだけど、基本的に人間相手というところは変わらないことだと思うので、その経験は貴重だと思います。ただ、周りに音楽がある環境にいた方が確実に音楽の仕事に携わる機会は増えると思いますが。奥田民生というアーティストには教えられることも非常に多く、現在ボクはマネージャーとしてツアーの制作はもちろん、最初の希望だったディレクター的な仕事まで、楽しくマジメに仕事をする日々をすごしております。フィ〜ッシュ!!

田沼:ボクは某県立高校(ろくな有名人も排出せず)普通科を卒業して、高校時代にしていたバイト(居酒屋の料理人)をそのまま職業にしてました。高校時代、ボクはバンドもやっていたのですが、ライブハウスを借り切ってバンドのブッキングをしたり、イベンターでバイト(ステージ設営の手伝いや、警備などをする)をしたりしていた関係で高校卒業後もライブハウスなどに出入りをしてたんです。(時期的には86〜87年でバンドブームの直前頃)そのときにまだデビュー前のジュンスカイウォーカーズ(昼の部で出演)と知り合いまして…彼らは88年にデビューするのですが、ひょんなことからボクはメンバーの誘いもあって居酒屋を辞めて89年から彼らの所属事務所に入りマネージャーとなりました(当時19歳)。SMAに入社したのは93年で94年に大貫亜美、吉村由美と出会い現在に至ります。
初出勤の日「一週間分の荷物を持って、横浜にある倉庫に行ってくれ」とだけ社長に言われ、とある照明会社に行ったんです。そしたら、見知らぬおっさんがやって来て「君が田沼君か?それじゃあ行こうか。」と外に出ると、バカでかい11tトラックに乗せられました。ふと不安になって「あのう、何処に行くんですか?」と聞いたら「佐賀。」って言い放たれるとボクはそこから丸々1ヶ月間出っ放しで帰れないという経験もしました。いきなりの車中泊で風邪気味にもなりました。びっくりなんてもんじゃないです。
といわけで、ボクの場合はラッキーに尽きる経緯でマネージャーになりました。SMAでは、ボクのようなたたき上げのパターンか、ヤマケンのように募集をしているプロダクション(ヤマケンの場合、正確にはレコード会社だったが…)の入社試験を受けるかのどちらかが多いようです。パフィーを一緒にやってる登石君は後者です。あとは元ローディーという人も多いですね。なってしまえばその人次第なのでどれがいいとかは全然ないと思います。音楽の仕事なので音楽が好きなのは最低条件ですが、それ以外は特に何がというのはないと思います。もちろん、音楽に関わることに長けているに越したことはありませんし、他にも何か得意なこと(ボクは料理。)や、マニアックに詳しいジャンル(ボクはパンクロックとサッカー)があったら、思いがけないことで役立ったりします。マネージャーはアーティストのすべての活動に携わるのでいろいろな意味でのバランス感覚が必要になってくると思います。ちなみにボクは楽器はいっさい出来ません。興味があるなら音楽に関わるバイトをしたりするのも有りだし、マックのバイトなんかはどんな職業についてもいい経験だと思います。アーティスト・マネージャーは意外なほど人対人の仕事ですので自分をもっと音楽の環境に置いて色々な人と出会うといいと思います。究極には自分がマネージメントするアーティストに出会ってしまえば一番凄いですよね。後は、トライです。ロッケンロ〜ル!!!
紫SIKIBUのTシャツについて(00.08.08)
この前、パパパで大貫さんが撮影時に実際に着ていたというシャツを手にいれました。ビデオで見比べたところ正面からしか映ってなかったのですが本物っぽそうでした。ちなみにBACKプリントに兎と書いてあります。はたしてこれは、本物ですか?気になってしかたありません。どうか教えてください!(ペンネーム:MONさん
田沼:きっと偽物です。
入手経路がわからないので何とも言えませんが、本人のはこちらにあります。
一般発売していないTシャツはプレゼント用に作った物か、なんかでプレゼントに出した物以外はまず、偽物です。Puffyのメンバー及びスタッフにとって不本意な物は、お互い嫌な思いをしてしまうので買わないようにして下さい。残念ですが、偽物です。
北京語ヴァージョンのコーラスって?(00.08.08)
Puffyちゃんの「これが私の生きる道」についての質問なんですが、日本語の方はバックコーラスは民生さんだと思うのですが、北京語ヴァージョンも民生さんなんですか?まさかな〜とは思ったのですが、ちょっと気になったのでよかったら教えてやって下さい!(ペンネーム:チャーハンさん
田沼:これは、奥田民生バンドのベーシスト根岸孝旨氏(DSLのメンバー、COCCO, GRAPEVINEなどのプロデューサーとしても有名)です。台湾人の方に発音を教わったのですが、かなり完璧らしいです。
ライブを見ての疑問。(00.08.08)
宮島さん、教えてください。この間ZeppTokyoで民生さんが「羊の歩み」の時に弾いていたギターがグレッチだったような気がするのですが、12弦のグレッチってすごく珍しいらしくて、どこの楽器屋さんにも無いんです。音の質問じゃないかもしれなくて、ずぅずぅしいかもしれないんですけど、もしモデル名が分かれば教えてください。(外川由紀さん
お答え
ヤマケン「スージーさん、グレッチの質問が来てますが」
スージー「何のれすか?」
ヤマケン「えーっと、民生さんがツアーで使ってたグレッチ12弦のモデル名を教えて欲しいらしいんですが。『羊の歩み』で使ってたヤツ。」
スージー「あれは6075?6076?グレッチが唯一出してる12弦らしいれす」
ヤマケン「確かあれとリッケンの12弦も使った時ありましたよねぇ。何を使い分けてたんですか?」
スージー「レコーディングの時はリッケンの12弦を使い、ライブでは弾きやすいグレッチを使っていたのれすが、音的にリッケンの方が良いので一瞬リッケンも使ったのれすが、使い勝手が良いグレッチをメインに使うようになりましたのれす」
ヤマケン「あれいつ買ってきたんでしたっけ?」
スージー「ツアーリハの時にギブソン・フェンダー・グレッチの3本の12弦を借りてきて弾き比べたところ、グレッチが一番だったのれした」
ヤマケン「確かにあれはグレッチ好きのオレも知らないモデルだったもんなー。ついついそのスジの書籍をひもといてみてしまったりして」
スージー「でどっちなのれすか?」
ヤマケン「ちなみにこれは5月に来た質問なんですが、早速調べてみたところ、あれは6075なのです、エッヘン」
スージー「…さすがはグレッチ博士れすねぇー」
ヤマケン「6075は色がサンバーストで、同じ形の色がナチュラルのタイプは6076と言ったのだ」
スージー「ほうなんだー…。ふぁーあ。それれ?」
ヤマケン「これは米国グレッチ社が60年代中盤のフォークムーブメントに遅れをとるまいと作った12弦モデルなのである」
スージー「…ふーん、まだあるんれすか?」
ヤマケン「そうなのだ。値段も2つのタイプで違ったのであーる」
スージー「…色がついてるかられすかねー、あ、民生さん、グレッチの質問なんれすが」
タミオ「グレッチは弾きやすいけど、ヘッドがデカくて変」
ヤマケン「そうなのだ、値段は6075が500ドルで6076が525ドルという、なんだか良く分からない値段設定だったらしいのだ」
スージー「確かにヘッドデカいれすよねー」
ヤマケン「そうなのだ、それでグレッチ社はこの6075に…」
テプス「なになに、仲間に入れてもらおうかな。で何の話だい?」
スージー「グレッチの12弦についてなんれすけど」
ヤマケン「そうなのだ、それでオレ様の所有するグレッチたちも…」
テプス「ドラムのグレッチと一緒なのかい?」
スージー「どうなのヤマケン?」
ヤマケン「そうなのだ、それでオレ様はグレッチ2本の他にはリッケンも所有していて…」
スージー「…この質問、オレいらないじゃん!」
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