2005.10.31[23:44] オフコースorチューリップ 桜井秀俊
 全国ツアー直前。今、僕の目の前には二つに分かれた道が。

 この夏がいささか暑すぎたということなのでしょうか。
 もう冬がやってこようというのに、僕の周囲には夏の余韻が残って消えないのです。
 最近の重要業務のひとつである新曲の宣伝活動において、例えば雑誌の取材を受ければライターの方は必ず僕にこう問います。
「桜井さんは、ツアーもふんどしなんですか?」
 また、あるラジオ番組ではフォーマット(おおまかな台本のようなもの)にこう書いてありました。
「ふんどしのすすめ」
 すすめちゃいませんよ!
 いやしかし、家で勝手にカタカタ打った作文がこんなにもみんなに読まれているなんて。マスコミに出したわけでもないのにねえ、インターネットってすごおい。
などと世の中に感心している場合ではないのです。
 最近はもっぱら、以前ここでも強く主張したこと、すなわち俺は公式ユニフォームにしたくてこの夏ふんどしを着用したのではないこと、大切なこの夏の思い出として俺と俺のふんどしのことはそっとしておいてほしいことを各現場で口角泡を飛ばして再度主張する日々。まさかそんな秋を過ごすことになろうとは。
 “終わらない夏はないかな”
 そんな歌詞を書いた俺ですが、こんな形で終わってくれない夏は…俺の望む夏は、そんなんじゃなくてもっとこうキラキラした…。
 パーソナリティーの方は食い下がります。
「ふんどしじゃないんだったら桜井さんはこのツアー、どうするんですか?」
 どうするもこうするもロック音楽をプレイするんだよ!キレかかる僕の傍らでキングさん、あなたは
「桜井はね、Tバックですよ、この冬は。品川庄司の庄司さんが全身にローション塗って踊るあの…ああ、“平成のパピプペポ”ですか。アレでいきますんで!」
 わかってんだろうな桜井、という眼差しでそうコメントしましたね。パーソナリティーの方も喜んでおられました。ふんどしのインパクトは音楽を軽く陵駕し、伝えたい新曲のことはどこへやら。俺たち、何しに来たんだっけ?そもそもFMって、こんなんでいいの?
 で、男性用のTバックって、どこで売ってんの?
 それを求めて大至急街をさまよう俺はこれ、だめですよね。しかもね。
 あんまり面白くなかったのです。
 なんか狙ってるカンジがむき出しで、それはそれで刹那な水っぽさという意味では悪くはないのですが、いかんせんロックではない。
 ではふんどしがロックだったのかと問うならば、これが見事にロックだったのです。中国四千年の歴史をひっくり返してラーメンという日本食がこの世に誕生した瞬間のような、ロックンロールと武士道の融合・イン俺の六畳間。姿見に映った黒いレスポールと純白のふんどし。ぽっこりした下腹がわれながらかわいらしく、思わず指をつたったフレーズは“ペイント・イット・ブラック”。
 やはり俺にはふんどしなのでしょうか。
 渥美清としてでなく、車寅二郎として生き、車寅二郎としてこの世を去った渥美清さんの人生は、美しかった。ならばふんどしギターとして生き、ふんどしギターとして生を全うするもまた美しきかな。
 鼻息を荒げる俺に友人(目黒区・カメラマン)がひとこと、
「世間的には、ふんどしは特に期待されてないですよ。」
 ……そうでした。
 目を覚ませば、これはあくまでごく限られた円の中の夏の残り香でありました。しかし。
 しかしながら何もなしっていうのもいかがなものかと、俺の中のなにかがつぶやくのです。そして僕は知っているのです。僕のサービス精神に対象は不要であるということを。俺の客は他でもない俺自身であることを。誰も見ていなくても踊る人間だということを。

 〜 君の人生が二つに分かれてる
   そのひとつがまっすぐに僕の方へ
   なだらかな明日への坂道を駆け上って
   いきなり君を抱きしめよう 〜
     「愛を止めないで」/オフコース
 思わず脳裏をよぎる小田さんのエンジェル・ボイス。とはいえこれは、何度も言うように大切な夏の思い出を何か別のものに変えてしまう行為でもあり…。

 〜 この長い冬が終わるまで
   何かを見つけて生きよう
   何かを信じて生きてゆこう
   この冬が終わるまで 〜
     「サボテンの花」/チューリップ
 しからばと脳裏をよぎる財津さんのこれまたエンジェル・ボイス。

 ふたりのエンジェルがL→Rで歌う‘05冬の入り口。
 明日はどっちだ。

2005.10.06[01:15] WORDTANK 桜井秀俊
 齢30を過ぎるときに私、ある計画を立てました。題して「人生の落し物奪回計画」。
 よく分かんないまんまなんとなーく30年間放っておいた“知っていて当たり前、出来て当たり前”な事項。振り返れば、そんな「落し物」のなんと多いことか。こいつらをこのままほったらかしにして、迫り来る青春の門ならぬおっさんの門を果たしてくぐってよいものか。そんなこってダンディズムなんてえシロモノは果たして手に入れられるものなのか。それはそれとしてそこは少年性ということでモテ得るのか。否、世界がそんなに甘いはずはない。
 例えば私、それまで恥ずかしながらお箸の持ち方を間違っておりました。そんなんで浅草やら祇園でこの先どうやってお座敷遊びができるというのでしょう?その日から正しいお箸の持ち方猛特訓。慣れ親しんだヘンな持ち方を変えるのは結構ストレスのかかる作業ではありましたが、夢のお座敷への道程と思えばへのつっぱり。お陰様でひとつ、落し物の奪還に成功いたしました。
 それからクロール。それまで私、恥ずかしながら泳ぎはもっぱらヒラ。そんなんでグアムやらハワイやらでこの先どうやって並み居るビキニおねーさんに顔向けできるというのでしょう。青い空。光る太陽。プールサイド。フルーツのフローズンカクテル。その局面においてヒラ・オンリーのカエル男。全くもってありえません。その日から区民プールで孤独な猛特訓。ライフセーバーに溺れている人と勘違いされそうになりながらも、ビキニへの妄想を心の支えに何とか習得。またひとつ、落し物の奪還に成功したのです。
 そして今なお、闘いは続いております。見落としてきた未知なる落し物を、むしろ捜し歩いている状況。
 そんな折、ぷらぷら歩っていたある日のビックカメラ。電子辞書なるコーナーが目に入りました。思えば英和辞典も国語辞典も中学に入ったときに買ってもらったものをいまだに使っている小生。ものもちがいいのは悪いことではないのだろうけど、エロい言葉を必死で引きまくった中学時代、わざわざラインをひっぱった蛍光ペンのあともそのままに、37歳でこいつを使い続けるのもいかがなものかと常々思っていたところ。
 英単語を発音してくれたり10ヶ国語ぐらいを訳してくれたりする高級マシンも軒を連ねてはいましたが、自分の人生がそこまでを要求されている物件かと問うならば、明らかにされていない物件な訳で。もっとリーズナブルなマシンはないものかと物色したところ、ありましたともありましたとも。広辞苑、カタカナ新語事典、英和・和英・英語類語辞典、これだけついてお値段据え置き9800円!安い!手のひらサイズでシンプルな、いわばミニチュア・ラップトップ型。色は適度に重みのあるシルバー。なにより店頭ポップの推薦文を書かれたのが戸田奈津子さんというのが決め手になりました。正体不明の信頼感。即、購入しましたとも。こいつの内角低めに佐藤雅彦さんに頂いたTOPICS(氏のオフィス)のステッカー(佐藤節全開のこれまたグッドデザイン)を施したところ、まあ賢そうにみえることみえること!
 これだけの語彙を手軽に持ち歩けるというのは、ちょっとした革命でした。
 例えば、会議にて。
「や、桜井君。会社っていうものには現実問題、ヒエラルキーってもんが存在してさ…。」
「うーん、それはわかりますけどねぇ…。」
 全く分かっていないのですが。
 以前のオレは、会話の流れから一刻も早くヒエラルキーが消滅するのをひたすら願うだけの男でした。そして念願かなった瞬間、忘れて終わる。その繰り返しの人生。ですが今のオレは違うのです。こっそり机の下で電源・ON。
 〜ヒエラルキー〜
 〔Hierarchie(ドイツ)〕
   ピラミッド型の階級支配制度。上下関係の厳しい組織や秩序。
ヒエラルヒー、ハイアラーキーとも。
 どうです。単語の意味のみならず、ちょっとしたうんちくまで!
 心でそっと「ほおぉ」と頷くオレ。
 そのとき僕は初めて知りました。発生した溜飲がその場で下がると、ものすごくスカッとするということを。
 なにしろ広辞苑全巻とカタカナ新語事典と英和に和英、英語類語辞典まで、ダンボール箱満杯分の語彙を手のひらサイズで持ち歩いているのです。もう、そういったオプション脳ミソがくっついたぐらいの気分。
 ところで、からしって、何?あの、おでんとかにつけるやつ。あれの、モト。練る前。
 即、電源・ON。
 〜からし〔芥子〕〜
   カラシナの種子を粉にしたもの。黄色で強い辛味がある。香辛料。
 どうです。さすがに映像は見られぬものの、イメージは十二分にわくでしょ?溜飲、下がるでしょ?ダメですか?

 なにはともあれ、またひとつ落し物を取り戻した奪回計画7年目。メカ頼みというのが若干ズルなようにも思えますが、まあそれはそれとして。
  〜(句)溜飲が下がる〜
   胸がすいて気持ちがよくなる。
   不平・不満が解消して気分が落ち着く。

  ね、電子辞書。おすすめいたします。

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