2004.09.24[03:52] Do the art!(昼の部) 桜井秀俊
 秋なのよ。やっぱ皆さん、芸術にかぎりますよ秋って季節は。アートば浴びて浴びて浴びまっしょい呑みまっしょい。

 9月某日、午前中から半蔵門は国立劇場にて「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)」を観劇。目も耳もどーしたって三味線に行ってしまい、物語の筋に人形の芝居に太夫のヴォーカルっぷりと、見処満載の文楽スピードに全くついてゆけず、喰いきらんうちにもうお時間。給食を半分以上残したまま5時間目のチャイムを聞いている…そんな気分。こりゃあ、もう一回来なきゃかな?チケットあるのかな?4時間観た直後にそんなこつ考えとる俺。我ながらきれーいに「ハマっている」状態にあります。バクチやフーゾクにハマっている訳ではないのだ、大丈夫なのだ良いのだ俺。自分で自分の背中を押しつつ、舞台のハねた師・鶴澤清馗さん(一回り下の申年生まれ)を訪ねる。
 “腕固め”
 まるで関節技のようなタイトルですがこれ、義太夫三味線のトレーニングのひとつであります。Maxのヘッドスピードで撥を振り下ろして音を出す、これを3発単位で連打つまり、バババン!バババン!バババン!…景気のいい三本〆くらいのテンポで延々とハジくのです。右腕の筋肉から乳酸が消えうせてもひたすら打ち続けることによって、胴をしっかり固定したままどんな撥さばきにも決して揺るがぬ強靭な肉体を作り上げることを目的とした、いわゆるひとつの特訓メニュー。これがまた、非っ常ーにキツう御座います。私などは、すぐに不整脈を起こすので100回がギリギリ限界ですが、プロは何回とかじゃなくて、5分間続けるそうな。
「やり過ぎると怪我しますので、その一歩手前で止めてくださいね。」
優しくおっしゃいますが師匠、それはもうミュージシャンの域ではありません。アスリートの領分です。
 他にもいくつかこのような巨人の星的肉体鍛錬メニューがあり、不整脈と闘いつつ稽古に励む日々。ある日この“腕固め”の最中、撥で胴皮に穴を開けてしまい、それは勿論ヘタクソゆえの失態であり、その事をこの日、おそるおそる師に告白&相談に伺ったのです。太棹担いで。
 「あのー、やっちゃいまして…。」
 「あー、イってますねー。ちょっと待っててくださいね。」
 どこからか何やらソーイングセットのような箱を持ってきた師。謎のヘラやら薄くナメした犬皮やらヤマト糊やらを駆使して、手際よーくささっと直してくださっちゃったのです。「応急処置ですが。」事も無げに楽器を僕に手渡す師。浴衣姿も手伝ってか、遠い日におもちゃを直してくれた亡きじーちゃんを思い出す。23歳の青年に。
 楽器弾きでなくとも“道具を手入れする”行為そのものに、男の子ならば少なからずぐっとくるというもの。Fuckin’使い捨て根性。男の道具には魂が宿っているのさ。相棒を美しく保つその姿がスタイリッシュであればなおさらのこと、皮の剥がし方からヤマト糊の塗りっぷりまで、とりあえず何でも盗んどこうと目を皿にする俺、36歳のおとーさん。娘が幼稚園で彼氏を作りました。
 しばしの文楽談笑の後、夕方から渋谷のオーチャードホールで開かれる、伝統芸能のファミリーコンサートへ赴くという師匠一向に同行させて頂くことに。車で来ていたので、足役を買って出る俺。
 観劇後は、なんとなく一杯ひっかけたくなっちゃうので、なるべく電車移動を心がけていた私ですが、太棹を抱っこして4時間はツラいし、国立劇場の駐車場料金って、あろうことか観劇客は1日500円ポッキリなんですよ!皇居のド正面で最高裁の隣っつー超一等地でのこの価格破壊!千葉のひなびた海水浴場だって1000円は取りますよ!やっぱスゲーな、国。
 話がそれました。
 初めて入ったオーチャードホール。客席数2000はあろうか、すんごいデカい。
 その日のイベントは“和の音と日本の言葉を親子で楽しもう”なるコピーのついた、まさにファミリーコンサート。親子連れ大多数のほのぼのムードが、すっぽり客席を覆っておる。尺八の方と狂言師の方と大鼓の方、まだ20代と思しき若いお三方が中心となり、それぞれのレパートリーを演奏したりセッションしたり。そんな構成で、イベントは実に親しみやすく楽しく進行してゆく。
 能も狂言もド素人な我が古典音楽知識レヴェルは、さっきからキープオン口半開きでボサーっとステージを眺めておるだけの横のガキとおそらく同等。ロックに打たれりゃブルースやソウルも知りたくなるが如く、
 「で、どうなのよ。歌舞伎はお能は、長唄小唄は。どーなってんのよ。」
 そう思っていた私としちゃー、とても嬉しい門をくぐった気分なのでした。
 そのコンサートの後半、ファミリーぶってる場合じゃなくなる物件を目撃し、更にその後かけがえのない発見をしてしまった秋の夜長なのですが、長くなりそう、否、なる、否、もう長い。なので、その話はまたこの次に。
 ちなみに渋谷では駐車料金4000円取られました。狂ってるぜ渋谷!「和民」ならゲロ吐くまで呑めるじゃねーか!!


 追伸・禁じ手で非常に恐縮なのですが、お知らせをひとつだけ…。
 下北沢にあるライブハウス「CLUB Que(クラブ キュー)」がこの度めでたく開店10周年を迎えました。開店当初からお店にも店長の二位(にい)氏にも桜井秀俊、おおいに世話になっており…。
 10周年記念イベントに個人的に声をかけてもらった私、ロゼッタガーデンをロックバンドの音でガツンとやるのだ!と個人的に思い立ち、歌い手・大野由花をはじめいろんな人を巻き込んで、個人的な思い込みひとつでかつて無い義太夫仕込み(?)の骨太ロックサウンドを抽出することに成功いたしました。本当よ。つきましては、是非とも皆様にご賞味頂きたく…。
 今度の日曜、9月26日。え、急ですか。下北沢CLUB Que(電話03−3412−9979)にて。開場18時30分、開演19時00分を予定しております。
 共演は、曲者ポップ野朗、日本ポップス界の元木大介こと「HRKO(ハルコ)」氏。そしてインディーアイドルの魁、ネットアイドル界の村田兆次こと「宍戸留美」さん!
 秋の夜長、下北沢にてお待ちしております。失敬!

2004.09.20[02:22] ハッとしたり、ぐっときたり 桜井秀俊
 東急東横線を足に使うこと早や二十数年。
 電車の中で知人や友人に会う偶然なんて特に珍しいものではありません。とはいえ偶然も二回三回と重なると、
「あれ、会うねえ、何時にどこ出社?」
 的な状況になるというもの。私の場合、職業柄乗車する日時はバラバラな上に決まった号車を使用するような性格でもないので、そのような事態は殆ど経験がありません。
 が、この二十数年で、他の追随を許さない「4回」という記録の持ち主がこの世に一人だけ存在します。
 なにを隠そう、元チェッカーズの鶴久政治さん。
 勿論、全くもって知人でもまして友人でもありません。フツーにテレビでよく観る有名芸能人。最初に目撃したのは15〜16年前か。確か学芸大だったと記憶します。氏はセミアコ、おそらくグレッチとおぼしきギターをカジュアルにもソフトケースにて背負いつつといった、極めてラフないでたちでフツーに乗り込み、フツーに吊り革に手を掛け、フツーに英会話教室の広告とかを見上げておられました。
「あ、マサハル!」
心は叫べど、氏のあまりにスムーズな身のこなしに、周囲の人間も空気も微動だにすることなく、列車はつつがなく渋谷駅に到着したものです。
2回目もほぼ似たような状況。ギターを下ろして窓越しに景色を眺める飄々とした佇まいが印象的でした。3回目になると、「お、またマサハルだ!すごーい。友達でもこんなに偶然会わないよなー。」などと妙なドキドキが発生。4回目はもう「ウソだろ?」。“縁”と書いて“えにし”と読みたくなるような、厳粛とさえ言える気分。少し言い過ぎましたか。「あなたは私の、もしくは私はあなたの一体何なのでしょうか!?」駆け寄って問いたい気分になりました。それはもう、しませんでしたが。
 最後の遭遇からかれこれ五年は経とうというのに、彼のことを他人だとはとても思えない濃厚な情がこの胸には密かに湧いており…。氏がソロアルバムを発表すればそのセンスや毒っ気、ユーモアの豊かさに「さすが!」。バラエティー番組においてはチェッカーズ時代に「みなさんのおかげです」等で大成させた“顔色の悪い子分キャラ”を存分に発揮し、普段は物陰に隠れつつ隙あらばオイシイところをトンビの如きスピードでかっさらってゆく相変わらずのスベり知らずっぷりに「さすが!」。いつもこっそり喝采してきたのです。だって、4回だもん。
 感の良いお客様ならもうお気づきとは思いますが、そういった訳で今回の確執騒動、私はマサハル側に回らせていただきます。断固マサハル支持。いつものスタイルで今回は高杢氏の後ろにポジショニングするあたり、何かありそうな甘く危険な香りを感じつつ…。だって、4回だもん!
 ちなみに、電車に限らず道でバッタリ回数の第一位は、これまた何を隠そうウルフルズのドラマー、サンコンJr.氏。もう5〜6回はかち会ってるんじゃないでしょうか。意味もなく。この広い東京砂漠で偶然に。
 ウルフルズの面々とはアマチュア時代からの十数年に渡る長ぁい知人歴なのですが、彼らのバンドが成功するに従ってサンコンのルックスがどんどんド派手になってゆくのが、たまーに道でバッタリ会う身としては実にエキサイティングであり…。スポーツ刈りのよく似合う板前風な気のいい兄ちゃんだったのが、最終的にはモヒカン頭に迷彩ズボンで玉虫色のサングラス。全っ然誰だか認識出来なかった、あの夕暮れの渋谷。記憶に新しゅう御座います。
 更にちなみに最近のバッタリ。
 8月のうだるような白昼の中目黒。山手通りを歩いていたところ、前方50mに美女発見。信条に従って目を逸らさずにじぃーっと見つめていたところ、そのまた少し前方を歩く男が明らかにこちらを意識しておる。年の頃は30前後、短髪にサングラスで口ひげをたくわえ、コント等でチンピラが敵を威嚇する時のあの、相手を上から下まで視線でナメる仕草。距離があるため定かではなかったのですが、明らかにこちらへ向かって「あ〜ん?」と言っているような。それを数回繰り返す。
 これはまたいらんことしちゃったかなぁひと悶着かなぁ、と案じつつ、前方3mに接近した時点でやっと判りました。
 男は、ユウ君。ユウ・ザ・ロック氏でありました。チンピラの開戦メッセージとしか思えなかったあの仕草は、
「何度も挨拶してんのに、シカトしないで下さいよー、もー、真心っカヴァーズ!!」
 いきなりTVモードにスイッチを入れる氏に全くついてゆけず、通り過ぎる美女もそのままにしどろもどろな不甲斐ない俺。許して下さいユウ君。シカトじゃないのです。男に興味が無かっただけなのです。とは当然口には出せず、深々と頭を下げて別れたのでした。
 ジロジロ見るの、控えよっと。

2004.09.09[01:41] 落雷秀俊 桜井秀俊
 “今日は台風一過、浅間山がくっきり見えました”
 そんなほのぼのメールを貰った翌日に巷を駆け巡った浅間山噴火のニュース。物語でもありえないベタな展開に、いやー度肝を抜かれました。地球はケタ違いの力持ち、兎にも角にも無事で何より。とはいえ火山爆発を目の当たりにするなんて、なかなか体験できるこっちゃないですよ。大丈夫だったから言えるのですが、ちょいと羨ましい。
 火山の比ではありませんが、この夏私、雷に打たれました。
 生の雷。勿論、間接的に。直だと、死んでます。
 高知での休暇中のことでした。昼間に近所の防波堤で釣った小ダイを台所でさばいておったところ(バカンスの極意は野生に帰るひと時にあるとみたり)、折からの夕立に遠くの空がゴロゴロゴロ…と。
 一瞬でしたわ。
 握った包丁から全身に衝撃が。ビリビリなんてもんじゃなかったですよ、ズドーン!でしたよ冗談抜きで。目の前は真っ白。「光った」なんて悠長に感想を述べる暇も無く、目そのものを発光させつつ金縛りに遭っているような。それが落雷であるとはにわかには気づけず、タイの呪いではないかと疑ってしまいました。二秒ほど。
 おそらく近所の木か何かに落っこちて、地面に流れた電気の一部が大好物の鉄すなわちオイラの包丁を発見してすっとんできたと、このように思われ。
 「初めて聴いたビースティーボーイズ、マジ雷に打たれたっス。チェケダッチョ。」
 打たれた経験もないのに何を言うブラザー。でもね、経験したから言うけどね、その例え、言い得て妙。有無を言わさぬ説得力といい、人智を超えたパワーといい、潔すぎる去りっぷりといい、雷が残した感触は、身も心も虜にしてしまう何かに出会ってしまった時のそれにすんごい近かった。あくまで観念として、だけど。肉体的には、ただの罰ゲーム。
 こんなの体験するのもなかなか無いんで、良かったんですかね。二度と嫌だけど。

2004.09.07[02:54] 油断したい 長嶋有
毎夏、群馬県の「別荘」と呼ぶのがはばかられるボロい山小屋で過ごすのだが、今年は最後に浅間山噴火というイベント?がありました。

といっても、まったく実害のない噴火ではあったのだけど、渦中にいる間ずっと一人で怖がっていて、そんな中、桜井さんからいち早く「大丈夫ですか?」の携帯メールが届いたときは、結構じいんとしましたよ(編集者の誰からもメール一つなく、人望のなさを痛感していたところだったので特に)。

今年は家族も所用で下山し、噴火の数日前から一人で過ごしていたのですが、ずっと遠くの方まで誰も暮らしていない山で過ごしていると、静寂にも飽きがくるというか、夜はipodかけっぱなしという状態でした。

(シャッフル演奏にしていて、あれこの曲、なんか格好いいとおもって、ipodの表示みたら冨田ラボということが二度くらいあったよ)

噴火は八時過ぎにものすごい爆発音ではじまり、その時点では大規模な崖崩れの可能性も考えたけど、屋根を小石が転がるような音がつづいたので、あ、これは噴火だと気づいた(噴火に遭遇するのは三、四歳のときの有珠山噴火についで二度目)。

つまり「音」なんですね。地震だったら揺れ。落雷には光がある。噴火も震動があって窓ガラスがびりびり震えたけど、地震ほどではない。大音量でヘッドホンして目をつぶっていたら分からなかったかもしれない。

次の噴火の可能性を考えると、とにかく発せられる「音」に気を配らなければならない。明け方まで(小心者なので)まんじりともせずに過ごしていたら朝には停電まで起こって、テレビやネットの情報もみえなくなった。

ま、停電もすぐに回復したんだけど、一時的に張りつめた気持ちで「最悪の事態」を想定して荷造りしながら、それでもipodは鞄につめた。ききたいなあ、今、とかうっすら思いながら。

それで思った。「音楽を聴くことができる」っていうのは「油断できる」ってことだ。油断できるってすごいな。
そんなことは当たり前で、これまでにも「知って」いたつもりだけど、「実感」した。

で、下山して、新幹線で東京駅に降り立った、その、駅構内のCDショップで、酸素を求めるみたいに二枚も買いました。一枚は「真心COVERS」ですよ。電車でキャラメル包装をむいたのも久々だったな。

噴火については、期間限定公開の無料blog「ムシバム2004(山小屋の虫について語るページ)」の九月一日(二日、三日)にも書きました。よければ下から上にスクロールして読んでみてください。
http://moon.ap.teacup.com/applet/mushi/20040901/archive

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