2004.08.30[22:19] 第一回・ニッポンおたく訪問“Tomita Lab後編” 桜井秀俊
 晴天。
 THEのつく程に閑静な住宅街。並木道の脇にひっそり建つ目的の物件。マンションというよりは、Z型のブロックを組み合わせたような形のちょっと変わった集合住宅、といった感じ。真っ白。すこぶるおしゃれ。
 インターホンを押す。初めて訪問するお宅。緊張は避けられない場面だ。ノーリアクション。留守?まさか。インターホンじゃなくてチャイムなのか?思ってたら、ドアが開いて女の人が現れる。奥様。美人。言ってる場合じゃねー。
「すいませんぶしつけにー。あ、あのーこれ地元ぃ横浜“景徳鎮”の飲茶セットです。作業中に小腹が空いたときなんかにどーぞー。」
 腰を引きつつ頭はぺこぺこ、小腹を満たすには明らかに多すぎる各種ギョーザシューマイ入り紙袋をぐっと差し出す俺。テンションの上げすぎと認識しながらも、しばしアウトオブ・コントロール。
 そこへ奥よりご主人登場。今回のゲスト(?)冨田恵一さんだ。
 「あ、どうもー、ごぶさたしてますー。」
 外観とシンクロした真っ白おしゃれ廊下を歩きながら、にっこり笑って迎え入れてくださった心の師。スタジオにおいてはいつも、アディダススーパースターのかかとをぺっしゃんこに踏んづけてのラフないでたちですが、お家での作業においてはもっとラフ!それはもう、そのまま表に出てチャリでも転がそうものならすかさずおまわりさんに職務質問されること確実なほどに…。「おたくさん、職業は?」そんな時には星君のようにキッパリと、
 「日本一の音楽プロデューサーです!」
 こう答えてほしいものです。などと夢想しているうちに今回の目的地、「冨田ラボ」のコックピットとも呼べるメインの作業部屋の敷居をまたぐ、いや失敬、またがせて頂やした。
 比較的王道かつオーソドックスなプロ使用のセッティング。もちろん拙の六畳間なんかとは比べ物にならない充実した設備ではあるものの、予想していたような松本零士調ゴージャスデジタル空間とは少し違う、ギターとベースが壁際に立てかけてあるアットホームな空間。
 ところが床を見下ろすと、このメイン作業部屋から廊下へ向かって何本ものあやしいケーブル(電線)が伸びておるとです。真っ白い廊下にでろーんと横たわる束になった真っ黒い電線。そのひとつがぐにゅっと曲がって隣の部屋へ侵入しておる。覗けばそこには縦横無尽部屋いっぱいに並べられたシンセサイザーの群れが。パッと見は立派にシンセ屋さん。シンセに一部屋、家賃はおいくら?常人にはできるこっちゃあありません。や、普通、しません。
 もう一方の束は、にゅーっと伸びてリビングへ。辿れば、TVやソファのセットが置かれたいわゆるリビングのその奥にでーんとそびえる、謎のサウナ室のような物体へ。そこにそびえるには、どう見ても似つかわしいとは言い難いその物体。扉を開けば中から3台のギターアンプがこんにちは。師の説明によると、これは防音室だとか。聞けば師は日がな一日、シンセでんギターでんベースでんずーっと演奏しておるそうな。ご存知の方も多いと思いますが、ギターアンプというものは「そんなばかな」という位大きな音を出すシロモノであり、いくら防音室といえどもさすがに音漏れは避けられぬものと思われ、師のプレイ中はリビングにてTV鑑賞やお友達との談笑は不可能であろうことは想像に易く…。奥様、心中お察し申し上げます。
 コンピューターでシミュレーションしとると思い込んでいたあの奇跡的な名演は、実は氏によって実際に演奏されたものだったのです。そっちの方が、す、す、す、凄え。
 ドラム(これも師オリジナル製作による特別な音源。欲しい。)をプログラミング。ベースとギターと鍵盤楽器は全て自ら演奏(これが凄いっちゅーの)。パーカッションやブラスおよびストリングスセクションはサンプラー(これもまた本物と識別困難なクオリティ)による打ち込みですが、殆ど冨田恵一氏自身による“演奏”と言ってしかるべきもの。つまりそれはどういう状態かといいますと、キリンジのお二人や畠山美由紀さんもしくは平井堅さん等々、歌い手さん以外のバンドメンバー全員が冨田さんの顔をしているという……Yeah、怖いぜ。言うなれば、珊瑚よろしく群体と化した“冨田バンド”ってとこですか。
 同じ人間だからパートは違えど気持ちはひとつ。メンバー間における見解の相違一切ナシの群体バンドはガッチリひとつに固まって、バッチリひとつの目指すべき場所に向かってうねり、進み、あの独特な音楽の渦の真ん中へと我々を導くのです。サビ及び間奏に突入した瞬間、時に飛び立つ鳥の如く、時に昇天する竜の如く、絶品のエクスタシーを与えてくれる冨田サウンド。そのキモは、氏が腕っこきの“指揮者兼演奏家”であるということにありました。加えて尋常でない探究心および実行力。坂本龍一氏が教授なら、あんたやっぱり博士だよ!そしてここはまさに博士の研究室「冨田ラボ」、そう呼ぶのが相応しい。
 先日まで私、ケツメイシのサウンドプロデュースを一手に担っておることでも有名なあの敏腕トラック職人、YANAGIMAN氏と仕事させて頂いておったのですが、彼も師の大フアンであることが発覚。年上なのに異様に柔らかい物腰で、でも、しゃべりまくる。
 「もー、あの人、神ですよー。僕の孫の代まで英才教育したって、絶対追いつけっこないですよー。僕、ベーシストなのに、冨田さんのがめちゃくちゃベース上手いじゃないですかー。えー?ギターもキーボードもアレ、自分で弾いてるんですかー?本当ですかー。やんなっちゃいますよー、もー。紹介して下さいよー、もー…(もっとずーっと続く)。」
 YANAGIMANのセルフスタジオは、偶然にも冨田ラボからチャリで数分のご近所さん。ここも負けず劣らずのおたく空間だ。1ミリでも理想に近い何かを得る為に、稼ぎも時間もエネルギーも湯水のように消費する。そんな人間、俺、大好物!
 なにしろおたく、人生引きこもりがちなのは止む無きところ。しかしながら志を共にするおたく様同志が交流をもてば、何かしらとんでもないモノや流れが生まれたり生まれなかったり。いやいや、生まれる可能性はすこぶる高いとみましたよ。
 仕方ない、私めがその役目を引き受けます。薩長同盟坂本サァよろしく、間にぐぐっと入りましょうぞ。一席でも二席でも設けましょうぞ。そんなんでこの国の、ひょっとしてこの星の一番先頭にある何かに触ることができるのならば…。なんつんって、酒呑みたいだけ!

2004.08.28[00:53] ロックンロール・スウィーツ 桜井秀俊
 チャーハンを作るときは、必ず己の存在をかけて事に挑むべきだと考えます。
毎回毎回可能な限りロックに作ろうと試みること十数年、おのずと生まれる独自のルール。すなわち、材料は冷飯と現在冷蔵庫内にあるものだけを使用すること。買い足し行為は厳禁。その時自分の手にあるものの力だけで最大限に爆発する、それがロックンロール・エチケット(ex.ギターウルフ)てえもんじゃあねえかと。
ニンニク、長ネギ、卵、ハム、玉ネギにピーマン。上等だぜ、上等すぎるぜ。冷蔵庫の残りもの充実度数はさすがに独身時代とは比較にならねえ。満ち足りすぎてロックが拍子抜けしそうなくらいだ。飢えをいいことにロック魂は胃袋に集中、溢れる唾液を感じてギラギラを取り戻すのさ。
野菜及びハムを刻み、卵は粗めに溶く。しかる後に材料調味料各種をコンロ周辺に機能的に配置する。それらを順番どおり手際よく中華鍋(‘94かっぱ橋にて購入)にブチ込むために。それというのも、火力MAXでガガッと手早く炒め上げることこそがチャーハン作りの極意であるからに他ならない。と、周富徳さんの本に書いてあった。いいか坊主、「あーれー、醤油どーこだー」などとあたふたしているうちにノリ遅れちまって演奏はグダグダ、取り戻すことなんて出来なくなっちまう。振り返るな、一瞬で駆け抜けろ!年月はまばたきみたいにあっという間に俺達を置いてっちまうのさ!
 全ての機材セッティング及びチューニングを完了。鍋は今、マーシャルアンプの真空管よろしく熱しきって白い煙を立ち昇らせている。そのステージを油という照明がギラリと照らす、にわかに上気する会場、オーディエンスの歓声、それは妄想、さあ、ショウは始まった。一発目はニンニク…

 「ロックは最初の一秒からスパークすべきだ」〜スティング〜

 3分弱で全てを燃やし尽くす潔さといい周さん兄弟の胡散臭さといい、つくづくロックだぜ、チャーハンってえ食いモノはよお。中華鍋を振り続ける体力及びグルーヴ力、炎を恐れぬ度胸及び思い切り、女子供じゃケガするぜ、失敗しても責任とって全部喰うぜ、それが男の情熱大陸・ロックンロール・チャーハン。

 以上、ノンフィクションでお届けしました。
 このような人間ですので、甘ぁく切なぁいポップス音楽を制作する時も、チャーハンと寸分違わぬ気持ちで取り組んでおる次第。言葉の一言一句から音符の一つ一つ、使用する音源の新旧からグルーヴの在り方に至るまで、ポップス音楽の「予断を許さぬ加減」は、一般にロックと括られる音楽のそれとは比較にならない厳しさをもっている為に、一個気を抜くと全部がヌるくなってしまうのです。それが“磨く”という行為のキビしさよ。鼻毛一本で美女が台無しになるように、大抵のポップス音楽は、自戒も込めて残念ながらヌるい。
 本っ当にポップな音楽を作ろうとする人間には、実はおびただしい量のロック&おたく魂が必要なのだということは、あまり語られることはありません。仕事の精度が高ければ高いほど雑味は排除されて「気持ちよく」「聴きやすく」流れる訳ですから、まあ、仕方ないのですが。サウンドの奥底に燃えたぎるマグマが見えるほどの透明度を得る為に、世のポップス職人達は今日も何かにとりつかれたよーにしのぎを削っておるのです。そのスピリットを“キープオン・ロックンロール”と呼ばずに何と呼ぼう。
 コワモテのお菓子職人っつーのも、なかなかぐっとくるものがあります。「ねーちゃん相手のナンパ職業」と罵られようと、「チャーハンなら食うけど、甘いもんはいらないわ」と試合前にシャッターを下ろされようと、臆することなく黙ってメレンゲを泡立て続ける男達。イイじゃないですか。そんなに迫害されてはいないですか。そうですか。
「ささいで素直であろうとすることは実は最も罪悪に近い」
これはねえ、我々甘いもん好きには大問題なのです。ロックのジャケットってどれもいかにもワルそうでドキドキするけど、その点ポップスは分が悪い。バート・バカラックもクリス・レインボウもボタンダウンのシャツとか着て楽器を小脇にやや微笑。どーしてもそういうイメージになっちゃうんだけど、実際問題すんごい「ささいで素直」。ここで山下達郎さんの「ライド・オン・タイム」のジャケットのように、夕陽をバックに膝まで海に漬かりピストルよろしく右手人差し指をカメラに向けて真っ直ぐ伸ばし、とどめにウインクをキめるという突き抜け方ができれば、何一つ問題は無いのだけれど…。
マイ美学・マイエチケットを表現するのは大事なことだけど、それが「面白い」のレベルまで来てないとしたら、そりゃやっぱ問題と言わざるを得ないもの。芸事の一番の敵は“地味”だよ。と、勝新も言ってた。TVで。苦手なジャケットも頑張れよ、俺。もしくは大野さんよろしく!ダメですか。
 ちなみに槇原敬之さんの新譜は、「ささいで素直」を磨きぬくことによって未知の怪物を生むことに成功しております。やっぱあのひと、フツーじゃない。
 ロックンロール・スウィーツはこの世に存在する。書くべし、弾くべし、歌うべし!

2004.08.25[03:02] 一時下山中 長嶋有
 冨田ラボ買っちゃったよ。
 こないだビアガーデンで某出版社の若い女性編集者二名に「長嶋さん、桜井秀俊さんのページみてますよ!」といわれました。大の文楽好きなんだって。

「いとうさんが義太夫、桜井さんが太棹、ということは、長嶋さんはもう人形しかないですね」
えーっ! 馬鹿いうな! でも「一人でやる端役みたいな人形もあるんですよ!」とたきつけられ、つい自分がやってるところ想像してどきどきしちゃったよ。今度いきましょうっていってもらったから、僕も文楽鑑賞することになるかも。

 とにかく、長文書き連ねては「誰が読んでるんだ」と桜井さん時々心配していたけど、お二人の文楽修行を見守る人は少なからずいる、ということです。


 最近めっきり忙しそうないとうさんだけど、文學界九月号の書評、拝読しました。桜井さん、文芸誌って読む? 今ならいとうさんの「拝啓、ジョンレノン」評が読めるよ! そうだ、あの歌は言葉にするとそういうことだ、レノンの「再定義」なんだ! と膝を打ちました。「劇団ひとり」の読書歴インタビューも載ってて、今月の文學界は変な感じ。

 書評でとりあげていた中村航さんの新作「ぐるぐる回るすべり台」(文藝春秋刊)については、僕はいとうさんと少し違うことを思ったな。

「ささいで素直であろうとすることは実は最も罪悪に近いのではないか」というのと同じような評を、実はしばしば僕もされます。必ず「気持ちよく」「練り込まれ」ているという褒め(のような)言葉とセットで。
 今、「気持ちよく」「読みやすい」小説を書く若手作家は皆、一様に上の世代(に限らないかもしれないが)をもどかしく、鼻白んだ気持ちにさせているらしい。
 一方では昨年の野間文芸新人賞を受賞した星野智幸さんの受賞の言葉が「(自分の小説は)あまりに頻繁に『わかりにくい』と言われ」たということで、どんな作者のどんな作品でも、その作風であるがゆえの批判は避けて通れないのかもしれない。

 中村航さんの、あまりに臆面のない「ささい」で「素直」な感じに、僕は実は怯むんだな。彼にはなにか「素直さが過剰」なところがあって、迫力がある。そのことが強く感じられるのは「ぐるぐる回るすべり台」の前の「夏休み」という作品なんだけど。

 作者当人も言動が実はすごいロックで、きっといとうさんの評読んで大いにむっとしながら次作をせっせと書いてると思うな。いとうさんも「別な世界軸を作り得る人だろう」と感じたそうですが、桜井さんにも読んでほしいわ、今度貸すよ、ていうか発売中だよ。忙しくなくなったら、ぜひ!(いや、桜井さんには少し忙しくあってほしいという気もしてるけど)。


 …それにしても文芸誌ってのは、地味で誰も気付いていないかもしれないけど、さりげなくラジカルです。だって。八十過ぎの老大家と、十代の新人女子と、三十一歳のムクツケキ髭男とが、同列に扱われて、遠慮なく本気を出して戦える。そのことのワクワクに、僕はデビューするまで気付かなかったな。そんなこと、ほかの世界ではほとんどない。まずスポーツではあり得ない。ロックでも、チャックベリーが未だに元気とかいうけど、大体は違うステージに立つ。漫画だって八十すぎるとなかなか戦えないだろう。
 落語なんかは、必ずベテランがトリをとるように「順番」で分けられてしまう。囲碁や将棋は年齢差の戦いがあるけど、あれは「勝ちと負け」が一種類しかない。いろんな勝ちや負けのある世界で、新年の文芸誌に短編を寄せる作家が五十音順に並ぶということに僕は興奮しています(長嶋有が筒井康隆の隣なんだよ!)。
 僕はこの世界で踏ん張って、八十過ぎになっても大人げないくらいに本気出して勝ちにいってると思うんだな。で、まあ大体負けなんだけど。そもそも八十まで踏ん張りきれてないかもしれないけどさー。

2004.08.14[04:21] 夏なのに(嗚呼、柏原芳恵) 桜井秀俊
 うっす。とんとご無沙汰致しましたすんません。桜井秀俊です。
 先ほど、二週間に渡るレコーディングが無事に終了し、命からがら帰宅に成功。未曾有の追い詰められ方をしていたもので、とんとご無沙汰致しましたすんません。桜井秀俊です。真っ白な灰で御座います。

 本日、スタジオ階下のブースではN村K義さんがご自身のバンドとのセッションをしておりました。私はといえば、どーしてもマトモなカッティング・ギターが弾けずに丸一日、悪戦苦闘を繰り返しておりました。ううう、情けない…。
 なんとか録音し終えてロビーをうろうろしておったら、階下バンドのキーボード担当、池ちゃんに遭遇。つい先日に隅田川花火大会を観にお邪魔した、いとう邸以来。また会ったねぇあんときゃ呑んだねぇトークのあとに池ちゃん、
「今日はギターを録音してたんスよねー。」
「あ、知ってたー?いやー全然弾けなくてさー、もー情けないやら恥ずかしいやら…。」
「でも花火大会ん時“太棹やったらギター上達してさー、俺今ギター上手いよー”って言ってたじゃないスかー。」
「……。」
 言ってた。
 酔って鼻息荒く…。
 慢心の直後には間髪入れずのしっぺがえし。慢心状態の現場を知っている人間に醜態を目撃されるという、これ以上ない…。
 ジャパニーズブルース“義太夫節”の神様、あんたツッ込みキビしいね!さすが大阪人!

 明日から私、ちょっくら夏休みを頂きます。高知に行こうと考えてます。何をトチ狂ったか一人で車で。サーフボードと太棹ば積んで。
 夏のハイウェイ、カーステでガツンとかけるのは「仮名手本忠臣蔵」。もちろん通しで聴く予定。終わる頃には淡路島あたりに到着か。その日はそこに一泊、鯛と地ダコをたらふく喰ったら鳴門の渦潮を眼前に“野崎村”を稽古するってのはどうだ!?クソッタレの慢心を渦に投げ捨てて、一から出直すのさ!俺、疲れてる!

 冨田さんについてはまたイイ話があるので、それはまた帰ってから。
 ひゃー、寝まーす。

2004.08.04[02:06] メインとサブカルの狭間を 長嶋有
 ねえねえ! って、夜中に大声だしてごめん。冨田ラボ(さん付けしたら変だね)が「エンドレスサマーヌード」カバーするんだね!!
 今ごろになって「そういえばもうすぐ『真心COVERS』って出るんだっけな」と検索かけて、その人選(選曲)の良すぎな感じに唸りました!

 あ、ここは久々です。二ヶ月以上ぶりか? 桜井さん、誕生日こしちゃったね。オメデート、オメデート、アーンドオメデート。

 僕の信頼できる友人たちは、もうとっくに「キリンジ」で冨田さんの名前は「おさえていた」感じするよ。パリーグのコーチって、オリックスの打撃コーチに収まったデストラーデあたりですか。

 で、僕は音楽のことよく分からないけど、この真心COVERSのWebページに寄せている冨田さんのコメントは、ジャンルをこえてとてもよく「分かります」。
「メイン」と「サブカル」って、たしかに、ほんの少し前まであった。それが少し前から、紅白歌合戦「辞退する格好良さ」と、「堂々と歌い上げる格好良さ」と、両方あるようになった(いや、どちらの格好良さも盲信されなくなったというべきか)。

 そうすると、メインとサブカルの「どちらにいるか」は、さして大事ではないことだ。そのどちらかに「安住すること」が格好悪くなってしまったのだと思ってる。「インディーズからリリース」って言いたいだけのインディーズとか、見透かされるようになってしまってるもんね。

 音楽の世界は特にそんな風。文学の世界はどうだろう。まだまだ「サブカルの方が格好いいぜ、的な威勢のいい(けど単純な)声」と、「主に田舎だけで盲信されるメイン(特に文学賞)の権威」とが混在してる感は否めない。でも本当はもう、音楽世界と同じになっているのではないか。

 僕は本名(長嶋有)とペンネーム(ブルボン小林)を使い分けているけど、はじめは深い意味なんかなかった。ブルボンの名前で先に原稿料デビューしてるから、使い続けただけ。でも今ではこの使い分けがものすごく自分を助けていると感じます。

 小説の世界も地味なようで、本当はエキサイティングなんだ。そういう話を近々してみます。いとうさんが七日発売の文學界九月号に某書の書評を載せるらしいから、それ読んでから!(酷評だったらどうしよう)

<< 先月の書き込み 翌月の書き込み >>
Copyright (C) 2004 Sony Music Artists Inc. All Rights Reserved.
[email protected]