2004.06.28[12:30] ブルーノートよりブルー 桜井秀俊
 伊藤麻衣子さんがいつのまにか平仮名表記に。“いとうまいこ”と“いとうせいこう”は似てるよね。などと意味もなくみうらじゅんさん風に導入してみました。思ったので黙ってらんなくて。
 さて、もはやマンスリーでブルース(義太夫という名の)を血中に注入しないとダメな体になっちまったオイラは、太棹担いでまたしても一人でのこのこ行っちまっただよ、ミシシッピに。つけてもらっちまっただよ、魂の稽古を。「三番叟(さんばそう)」をジャムっては己の音のへなちょこさに打ちひしがれ、新たに課題として出された「野崎村」の粋で流麗なメロディーにノックダウン。音楽ってイイネ!(最近、横浜市のゴミ収集車のテーマがCKBに…)。や、ホント、義太夫太棹三味線の表現力ときたらもうね、計り知れませんよ。
 自分でも忘れないうちに記しときます。今回の発見、義太夫節は“ブルーノートよりブルー”なり。
 ブルース音楽のスケール(音階)としてあまりにも有名なブルーノート。ざっくり説明しますと、3度と7度(ドレミファソラシドでいうところのミとシ)、この音を半音ずつ下げるという約束事すなわちドレミ♭ファソラシ♭ドの音階によってメロディー及び和音が構成される。これによって生じる独特の「ブルー」な世界が、20世紀のポップミュージックシーンを瞬く間に席巻したのです。なんだか理屈こいてますが、ロックンロール等、ブルースをルーツに持つ音楽は概ねそのルールに従ってこしらえてあるんで、お手元に楽器をお持ちの方がいらしたら是非、お試しあれ。
 で、義太夫節。驚くなかれ、ブルーノートに非常に近い。まだいっぱい?な点は多かれど、音階の目指すところが「ブルー」であることは明らか。300年程前、この星のアメリカ大陸と大阪ミナミで、ある共通したスケールがあみだされていたのは単なる偶然か…?しかも義太夫、短9度と短13度をブルースより更にこってりと低めに、殊更に強調する傾向にある。この短9と短13っつーのが特に‘ヤバい’性格を持つ音であり、ブルース音楽においては“ここぞ”という時に使われる、アントンでいうところの延髄切り的な音と位置づけられています。それが義太夫節においては短9,短13の嵐。ゴングと同時に延髄、延髄、延髄な攻撃が当たり前のように繰り広げられるのです。ハルク・ホーガンならアックスボンバー、アックスボンバー、アックスアックス…。なんせブルース、例えの古さはご勘弁を。この時点で、大阪の人っつーのは黒人よりもこってりしているということが証明されました。しかもそのヤバいポジションに置いた指をボディ方向へぐっと滑らせる、ギターでいうところのチョーキングにあたる効果を得るスケベエな奏法があり、これを「にじる」と呼ぶそうな。「ねぶる」にも通じる純関西風なエロ表現!チョーキングとヨーキングは似てるけどそれは置いといて、ちなみに短9の音には「憂い」という名がついているそうな。「憂い」の音をどう「にじる」か、これは三味線弾きがモテるかモテないかを左右する大きな瀬戸際と言えます。奏法もネーミングもそれによるモテの行方も、なんと正しくスケベエなのでしょう。
 それから3度。ご存知のようにその楽曲を長調か短調、すなわち明るいか暗いかを決める重要極まりない音。3度そのままなら明るく、それを半音下げると地獄へ。「ドラえもん」の3度、つまりミにあたる音を全てミ♭に変えて歌うと、あんな夢こんな夢いっぱいあるけど一つたりとも絶対に叶わない気にさせられるのは有名な話。義太夫節においてはこの明るい「ミ」は徹底的に避けられます。三味線という楽器が、もとは沖縄の三線(さんしん)を輸入したことに始まったルーツに照らせば、「ハイサイおじさん」で有名なドミファソシドのすこぶるノーテンキなスケールを一切無視するどころか、その正反対の“ブルー”に進んでいる点は注目に値するところ。一体何があったのか。島の暮らしと違って、都市生活とはいつの世もストレスが絶えないものなのかしら。何にせよブルーを求めて明るさを排除した結果、厳しく、重々しくさえあるのに、やさしくなった。そう、優しいのです。そこが不思議。
 1オクターヴを12段階に区切る、その単位設定は義太夫節も西洋音楽と同じなようです。12個あるジャストの音同士の組み合わせよりも、ジャストとジャストの間には何があるのか、義太夫節においてはそちらの方を真剣に見つめているように感じます。それはきっと、太夫(ヴォーカル及びナレーション)と人形(役者)との競演の中で、感情や運命までも音で表現しなければいけないという重要な立場に立ったが故に発展していったものと拙ながら推察するのですが、いかが。そして、そのような音楽は手放しに豊かであると断言するところでありますが、いかが。ほんと、全くもって最高だぜ。
 明けた次の日は「文楽若手会」の皆さんによる公演を観劇。人間業とは思えない国宝様方のパフォーマンスは勿論すんごいけど、この日、鼻血出そーな勢いの若手(つっても年上と思しき方もたくさん)の皆様の語りっぷり弾きっぷり芝居っぷり、おツユが飛んできそうな至近距離の席にてそのロックンロールスピリット、おおいに受け取りました。ちなみに俺の前の席、非っ常に可愛い女の子二人、床本を一生懸命追いながら観てて、なんかこう、良かった!若手の誰かの彼女か? 声かけらんなかったぜちくしょー!
 ブルーノートよりブルー。それはスケベエの証なり。

2004.06.17[22:01] あやじょうご(其の四) 桜井秀俊
「ええーっ、またぁ?」
 言わないでその言葉は!聞きたくないのそれだけは!
 いかんともしがたくオイラには、起こってしまった感動を風化させたくない、なるべくフレッシュなまま誰かに(誰彼かまわず)それを押し付けたい、という衝動があるのです。刹那な深追いと百も承知で、あえて行かせてもらいます。あえて聞いてもらいます。
 ‘04年6月10日(木)放送分のNHK「夢・音楽館〜松浦亜弥〜」。同時録画のビデオは即刻永久保存版コーナーへ直行致しました。いやあ、これは歴史的放送といって良かったですよね。“ですよね”と今回も同意を求めつつ進行しますからねー、最後までねー。
 まずはこの「夢・音楽館」という近年稀にみるファンキーな音楽番組から説明するのがスジと考えます。
 トークと歌という、大まかに二分割される番組構成は、「Hey×3」「うたばん」をなぞる今や定番となった型。ただ、さすが天下のNHKと唸らせてくれる凄まじさは、たった一人のナビゲーターに何とあの桃井かおりさんを抜擢した点にあります。何故、今、歌番組に、彼女を、たった一人で…等々、全ての謎は謎のまま、暗めで広いカフェ風のセット中央に鎮座するドレスアップした姉さま。テーブル内部にはライトが仕込まれており、暗闇でアゴの下から懐中電灯で顔を照らすのに近い効果を生んでいる。はやくもよぎる「いいのか」という思い。テーブルを挟んでのゲストとのトーク。笑いを起こそうとか場を熱くしようといった努力は極力避けられ、姉さまの姉さまによる姉さまの為の質疑応答が繰り返される。
 演出のテーマは「大人っぽさ」と見受ました。
 しかしながら目の前に展開する光景はそんなヌルいシロモノでは済んでおりません。カフェというよりは「The桃井の館」。デンマーク辺りの(知らないけど)森の奥深くにある洋館。2キロ先にある隣家は三輪明宏邸で、ふもとを流れる沢のほとりでは原田知世がブレンディーで休憩中、そんな雰囲気なのです。渋谷にこしらえたセットだなんてにわかには信じ難い。すでにご覧の方ならこの感じ、分かり“ますよね”。
 そこはもう、のべつまくなしの姉さまワールド、否、姉さまブラックホールと言っても過言ではない空間。普通に話をする気で館を訪れたゲストは蜘蛛の巣にひっかかった小さな虫さながら、少しずつ少しずつ、息の根を止められてゆくのです。最初からそのヤバさを見越してかはたまた動物的嗅覚でそれを嗅ぎ分けてか、トークではなく「対峙」する腹でテーブルを共にしたゲストを私は二人しか知らない。今回のあややと、そして矢沢永吉さんのみ。ちなみに永ちゃんの回は○○星人VS××星人でした、完全に。二人してね、もう宇宙人。M78星雲という所は実在すると信じていたあの頃のように、彼らの故郷は宇宙のどこか遠い星なのだとしか思えないほどの腰の入ったぶっ飛び加減。特別ゲストにゾフィが登場、3人でハグし合っても違和感など生じないであろう圧倒的にスペイシーな存在感。「成り上がり」のあとがきで糸井重里さんも書いておられましたが、やっぱ永ちゃんは星だね。ああ、この回だれかビデオ録ってない!?
 そして今回のあややVS姉さまトークバトル。恐るべしあやや、蜘蛛の巣を見切り、ブラックホールに飲み込まれること無く最後まで笑顔で乗り切ってのけました。決まり手は若さで寄りきりぃ、若さで寄りきってあややの勝ちぃ。それを言っちゃあ…な決まり手ではあるものの、何にせよあの桃井かおりさんにサシの勝負で一勝を収めたという実績は、やはり尋常ではないと言えるでしょう。
 そして、歌。
 後ろに従えるは何とビッグバンド。しかもわが国最高峰の一流おっさ…大人ミュージシャンをこれでもか、と揃えての。あんまり凄いんでメンバーを記しておきます。
 《Piano》 あろうことか前回“其の参”に登場したNさん。あややー、即ちあややについての見解を共にする地球で唯一の同志。
 《Drums》 同じくあろうことかSさん。お二人については前回いささか大げさにいじり過ぎたという経緯もあり、ここでは実名記載を控えさせて頂きます。調べりゃ簡っ単にわかりますが。
 《Tb》 村田陽一(今回のバンマス!)池田雅明 片岡雄三 山城純子
 《Tp》 エリック宮城 西村浩二 荒木敬男 河東伸夫 横山均
 《Sax》 小池修 竹野昌邦 Steve Sacks 近藤和彦 山本拓夫
 《Gt》 今剛
 《Bass》 高水健司
 《Key》 柴田俊文
 以上、敬称略で失礼しましたが、うおおおおゴージャス。10年前にSMAP「005」のミュージシャンクレジットを見た時以来の激しい妬みに嫉み。イイナイイナの雨あられ。こんな皆さんを擁していつかタクトをふってみたい、全国のアレンジマニア及び宅録マニアにゃあ夢のような光景ですよ。極極少数に過ぎませんが。我らにしてみりゃあ、うますぎて嫌になるほど夢・音楽館。
 自身の数々のヒット曲や昭和歌謡の名曲が、村田氏による大胆なリアレンジで生まれ変わり、次々にプレイされる。そしてそれらをことごとく事も無げに歌い放つあやや!王道アイドル歌唱法で!上目遣いにすぼめた唇も完璧に!
 やはり彼女、間違いなく松田聖子さん以来の天才アイドルでしょ。O.A後の同志・Nさんとの携帯メールのやりとりによると、氏も生あややに何らかの確信を得た模様。何の確信かは今ひとつ不明でしたが。
 アイコ16歳ならぬ、あやや17歳。こうなると気になるのは彼女のこれからだ。“カワイイ”があまりに定着し過ぎると大人になりそびれてしまう。「いつまでカワイく行くか」。こんな昭和のアイドル的大命題が今、深刻に彼女の前に立ちはだかっている。とりもなおさずそれは彼女がこれまでアイドル道ド真ん中を迷うことなく突っ走ってきた証であり、妙な表現ですがその「男気」は十二分にオイラをシビれさせます。涙が出ます。「Yeah!めっちゃホリデイ」のキメを踊りたくなります。
 未だかつて誰も目にしたことの無い方法で彼女はこの大問題をクリアする、そう俺は信じたい。今夜スウィングしたように、事も無げに。そうさ俺は信じるのさ!止まってるとダメとか生意気言ってごめんなさい!その訳は今夜明らかになったよ。君は“歌”によって実存するエネルギー体なのだ。写真すなわち物理的ヴァイブレーション無き世界では機能する筈などハナっからなかったのだ。我ながら気味悪いテンションになってきたのでいい加減にするのだ。
 ちなみに今回、あややのご両親が私の3つ上であることが判明。落ち込んだり混乱したりする以前に私、あきらめました。‘80年代アイドル黄金期に育ってしまったカルマを一生背負い続けていくことをここに誓います。お母さん、ごめんなさい。

2004.06.11[01:25] 愛のバカ(嗚呼・内田有紀) 桜井秀俊
 つまりこういうことではないかと。

 Aは新婚である。
 Aとは学生時分から10年来のつきあい。お世辞にもモテるとはいい難い男であった。が、だからこそ恋愛に対しては常にまっすぐで誠実な態度で臨む男であり、皮肉にもそれゆえに恋に破れることも少なくなかった。数々の精神的ダメージを乗りに乗り越えた末の結婚。夢に見続けた愛の暮らし。その嬉しさたるや、筆舌に尽くしがたいものであったと推測される。
 それというのも、呑み屋におけるAの話題は、近頃はほぼ新妻に絞られてきているのだ。他の話をしていても、強引に新妻方面へ持っていく場面もちらほら。
「…はカミさんも好きだな。」
「…ね。オレもそう思うんだけど、こないだカミさんがさ、…」
 日に日に新妻について詳しくなってゆく、俺や周囲の人間たち。“辟易”という言葉が浮かんでは飲み込んでいる自分に気づく。
 彼女が出来たとき、世界中に言いふらして回りたかったあの時の気持ち、秀俊、お前にも身に覚えがあるだろう?苦汁をナめ続けてきたAの無念、それでも愛の誠を貫き通してきたAの姿を秀俊、お前は見届けてきたのだろう?結構じゃあないか、どんどん詳しくなってやれよ、Aの新妻に!
 や、でも、でもな、A。やっぱり今のお前の姿はな、美しくはないよ!“私情を表に出さない美学”は「武士道」の中で新渡戸稲造先生もおっしゃっていたもん!
 とまあ、つまりこういったことではないかと。

 ヒトでんペットでん我が子でん何でん、愛する対象について語る、もしくは語り合う時、その人の姿は多かれ少なかれ、あられもなくなる。それはまあ、仕方ない。それでもあえて語りたいのだという抑え難き熱い衝動が存在するのならば、「俺は今からみっともなくなる」と自覚し、そんな姿を皆様に笑って頂くピエロサービスをトークに盛り込むのがせめてもの礼儀ってえもんじゃあねえかと、私は考えるのであります。強く、強く、フォルテッシモなのであります。
 なんて言ってはみたものの、一度溺れちゃったら自覚なんてゼロですよね。それは俺も同じではないですか!
 同じだけど、溺れてない側の時はやっぱりキビしいよなー。
 一対一ならまだしも、あの夜の寿しやのように、その場の人間全員が同じ愛に溺れている、そんな沼に放り込まれた時、不幸にもシラフである人間はどうすればよいのか。武士道など、毛ほどの力も持てない世界で…。
 やはり、どうしようもないですな。沼の底で息をひそめる貝になるのみ。人が悪いのではないのです、愛が全部いけないのです。恐るべし、愛の暴力。
 電車の中でちゅっちゅちゅっちゅ乳繰り合う青春カップル。程度の差はあれ、愛による盲目の名において皆等しく罪なのではないでしょうか。時に愛は公害にさえなる諸刃の剣。常にその恐怖を胸に、愛を求めて生きてゆきたいものです。後ろ向きな神父みたいなこと言ってます、桜井秀俊です。
 でも、溺れちゃったらムリなのか。そうか。溺れずシラフでいられるモノなど、愛ではないですか。そうだ。
 いやあ、愛の問題って、解けたためしが無いですね!おおお、我ながらヒドい結論で今回は(も?)終了!

2004.06.08[11:01] ボーのように 長嶋有
 最近、朝早くに目が覚めてしまいます。五時とか。じじいか俺、と思うけど、夕方眠くなって少しだけ横になるつもりが寝てしまう。二分割睡眠というのはなんとも効率の悪い感じです。燃費が悪い。

 で、早く目が覚めてしまうんならと、ずっと寝直さないことにして、遅ればせながら初めてみました「ピタゴラスイッチ」。桜井さん出てなかった……。
 しかし、こんなセンスのいい番組を21世紀の子供らはみるんだなー。冒頭の、ボールが転がる仕掛け、何気ない風でいて、ものすごく綿密につくってるでしょう。
 職人芸の綿密さと「わー、たのしそう」の平仮名の感じを両立させたいんだな、佐藤雅彦という人は。力こぶをみせないようにしながら怪力を発揮してる人をみるような、底知れぬ気配があって、朝から少し怯みましたわ。

 犬といえば、犬に服着せるのって、「センスない」だったのが、さいきん急に「いいんじゃない?」に風向きがさっと変わるみたいになりましたよね。何が契機だったんだろう。キムタクがドラマで使用して流行った、みたいなきっかけがあったんだろうか。
 常にアウトオブ・センスライフチーム所属の長嶋としては
「それは『センスない』んじゃなかったっけ」とおずおず尋ねたくなる。
 すると「昔の犬が着せられてたのはセンスの悪い服だったから」みたいな返事がくる(想像)。いやいやそうじゃなくて、服を着せるという「行為」がセンスないんじゃないの、と。そういう僕の声はすんごい小さいです。とにかくどっちでもいいからセンスいいのか悪いのか早く「確定」してくれよ、とか思ってる。

 でもさー、犬、きっと「かわいい」んだよ。きっとっていうのも変だけどさ。写真で見せられる犬それ自体に、僕もどうと思うこともないけど、気持ちの高揚だけは分かる。桜井さんが釈然としないのも、犬のかわいさじゃなくて「愛し方」「伝え方」の話ですよね。
 つまり犬に罪なし。
 犬に限らず「(わざわざ持ってきた、あるいは持ち歩いている)写真をみせられる」というだけでもう、なにいっていいか分からなくないですか。旅行の写真とか。「へぇ、にぎやかだね」とか、ボーのような返事をしてしまいがち。
 でも桜井さんはそのボーのような返事すら出来ない男。「愛し方」が「あんた最高だ!」の男はそうでなくてはいけない。来週は生誕三十六周年ですか。なんか気の利いた言祝(ことほ)ぎを考えておこうっと。


2004.06.01[17:09] わんこ騒動 桜井秀俊
 道を歩けば、あちらもこちらも犬の散歩に精出す人。西郷どんもびっくり、有史以来未曾有のわんこブームを皆様いかがお過ごしでしょうか。アウトオブ・わんこライフチーム所属、桜井秀俊です。
 ポップミュージック界にも数年前からこの波は押し寄せ、今や覆い尽くさんばかりの勢い。快も不快も賛成も反対もありませんが、正体不明の迫力はひしひしと感じる昨今、こんな話をひとつ。
 都内某所の某寿し屋。夜の11時を回るとピアニストのNさん(リズム&ブルースのピアノは国内屈指の高セクシー度数を誇る、超のつく一流セッションピアニスト)夫妻を中心として、氏を慕うミュージシャン達が夜な夜な集い、笑い、呑みそして大いに喰うお店。音楽の話は原則としてナシ、という暗黙のルールが潔くて、僕も何度か参加させて頂いています。
その夜も大将の握るイキの良いネタを肴に大いに盛り上がっておりました。
 メンバー紹介します。
 オン・ピアノ、勿論Nさん。鋭い眼光に角刈り頭。糊の効いたえりをピンと立てたポロシャツにルイ・ヴィトンのセカンドバッグ、迷彩柄のパンツといったスタイルは100%ピアニストには見えません。どこから眺めても右翼の幹部です。そして奥様。
 オン・ドラムス、Sさん。今やわが国No.1の売れっ子セッションドラマーと言って良いでしょう。甘いフェイスにスレンダーボディ、叩き出されるファンキー極まりないレア・グルーヴは女性ファンならずとも「抱かれたい」と思わずにはいられないでしょう。そして奥様。
 オン・ギター&ヴォーカル、Kさん。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンばりの強力なサウンド、そしてそれと表裏一体をなす繊細な歌詞の世界で世の若者を魅了するロックアーティスト。ライブ及びレコーディングはSさんがドラムを担当。カウンターで焙りのトロをほおばっても詩人オーラを放つ男。そして奥様。0930じゃあないですよ、念のため。
 3組のご夫婦にオレ、そして大将の計8人。確か、‘あややー’(あややについての信を共にする同志達)であるNさんとオレで、熱いあやや論をぶっていたと記憶します。が、さすがにそれだけで場を支配し続けることは難しく、話題は突如、わんこの方へ。
 各ご夫婦共々わんこを飼っておられるのを知らなんだは私ばかり。「いつもの」といった様子でわんこトークに火がつき花が咲き、場は一気に我が子の話飛び交う父兄参観日の控え室的空気に。互いのわんこには当然‘ちゃん’付け。Nさんもすっかり、あややなど無かったも同然の面持ち。大将はさすがにプロ、やはり「いつもの」といった様子でそれぞれのわんこへの愛情をかきたてる司会っぷりは、さしずめ「握れるさんま」といったところか。さんまなのに握る立場とはこれいかに。どうでもいいですか。我が家のわんこエピソード、それぞれのわんこへのほめ言葉、立体的に構築され開花する会話のつぼみ達。大将のタクトにも熱が入り、お店は最早“踊る大将御殿、わんわんスペシャル”状態。皆の瞳が輝けば輝く程に私の頭上に浮かぶ文字はこれでした。
 ぽつん。
「いやいや、ご婦人お三方が愛犬トークに頬をほころばせるならいざしらず、角刈りのNさーん!お顔がふにゃふにゃですよー!現場での、あの殺気のこもったサムライ・ピアノはどこへいったんですかー!Sさーん、その巨大だというわんこの、おそらく巨大であろうウンコを散歩中のあなたが始末している様を想像すると…ファ、ファンキーじゃねぇえ!そしてKさーん!わんことの愛に溢れた幸せをかみしめるその表情…ディストーションが外れてますよぉお!(以上、心の叫び)」
 眼前で展開されるアイフル状態×3。僕の心はまさに「パパ、パパ!?」と叫び続ける娘のそれ。とはいえそれを口に出すには、あまりに空気はわんこ色。ますます加速する、ぽつん。それはもう完膚なきまでに置いてかれてしまったのでありました。
 その辺を野良犬が歩いている。
 その辺で野良猫が昼寝している。
 少女が犬を散歩させている。
 おばちゃんが猫を抱いて買い物している。
 犬は犬、猫は猫、特に何の感情も感想も沸かない。これ、大丈夫ですよね?罪、無いですよね?
 その夜の寿し屋だけではありません。わんこ族の皆さんに囲まれると必ず、本当は何とも思っちゃいないのに、皆さんのわんこをとってもラブリーに思わなくてはいけないような強迫観念に襲われてしまうのです。
 テキトーに相槌打っとけばいいものを、「へー、可愛いですねー。」の一言が言えないのです、どうしても。自分に嘘がつけないのです、どうしても。可愛いもブサイクも全くもって無関心なのに、言えないよ!そんな態度が今度はたまらなくガキ臭く思えて、「いーから言っとけ秀俊、可愛いと!」とどこからか聞こえてくる心の声。でも、言ったら言ったでまた落ち込みそうで…。
 貝になる。
 イヌと言えば“メシ喰うな”。「オレの存在ぅをを、頭から否定してくれぇぇえ」と絶叫する町田町蔵(現・町田康)さんの声が脳を駆け巡る。いつもながら分かりにくい例えだったでしょうか。ならばこれでどうでしょう。オバQだったら自殺モノな空前絶後のこのわんこブーム、少なからず、恐怖です。

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