2003.11.29[19:25] ごめん、ごめん いとうせいこう
 しばらく音沙汰なくてすいません。
 この一ヶ月、首と腕に痛みが走り続け、ひどいときは左手一本でキーを打っておりました。四十肩らしきものですね。考えてみればこのところ毎年襲われている痛み。今はようやく腕の痛みがとれつつあり、頚椎に痛みの大元が残っているという状態です。いやはや。
 痛くて仰向けになれないし、右を下に出来ないし、かといって左側ばかりを下にして寝ると体が固まってくるしさ。東洋医学的には温めて、西洋医学的には冷やすという情報があり、その混乱も病態に拍車をかけたみたいね。結局のところ、痛みからすれば頚椎に異常があるわけで、まあ四十肩として解消も出来ない。難しいですね、四十代。
 ということで、まだ長くは書けないんだけど、モジブリボンは実験的なゲームだよ。基本は俺が書いたリリック(リリックって恥ずかしい言葉だよね。歌詞という単語を訳したに過ぎないわけだから。何が新しいつもりなんだ、リリック。マリックさんの方がまだましだ。リリックなんて言葉を得意げに使ってる若者はすべて都会コンプレックスのある御仁とみなしてよい。もっと恥ずかしげに仕方なく使って欲しいですな。ま、それはともかくとして)の一部にマークが付いてて、そこにタイミングよくスティックを振り降ろすというゲームなんだけどさ。
 開発の松浦さん(パラッパラッパーの人ね。元サイズの松浦雅也。サイズって史上最高に洗練されたポップスをやってたよねー。俺、デビュー前にテープ入手しててブッ飛んだもん)が凄いことやってんのよ。わざと俺のラップを訛らせてる。ゲームが進むと、ユーザーが自分で音程を変えられるようになってるわけですが、松浦さんいわく「日本語はひとつじゃない。音の変化が無限にある。だから、各地方で変えられるようにしたかった」ってことなんだよね。わざと訛らせておいて、気になった人は音程を変えるようにしむけてるわけです。中央集権的ではないゲームのあり方。言葉のありよう。
 で、やがてユーザーはネットワークにつないで、自分の書いた文をアップロードする。マシンは自動的にその文章を区切り、ラップにしてしまうというプログラム。これ、画期的すぎてまだ誰もついてこないんじゃないか。でも、これをやってた人とやってない人とでは、十年後に明らかな差が出るに決まってるという、未来惑星な感じのするゲームなのですよ。
 あ、書きすぎた。また頚椎がジンジン痛む。
 
 追伸 ラグビーが土のスポーツだっていうのは、桜井に恥をかかせようとしたデタラメね。あれも芝生、というかあれこそが芝生スポーツのはじめなのかもしれない。ワールドカップの決勝見た? 凄かったよねえ……凄いゲームだった。
 今日のJリーグも劇的だったけどさ。
 だから書きすぎだっつーの。痛いので今日はここまでね。

2003.11.27[18:49] 人間じゃなくてもいい 桜井秀俊
 モジブリ、スティックを上げ下げするだけですか。なるほど、何の話ですか?
 その昔我が家にもプレイステーション(1の方)がありました。何を隠そうCMに出演していたのです。販売促進に微力ながら携わり、撮影後にしっかり商品(と衣装だった高いGジャン)を半ば奪い取るように頂戴して帰った身としては、現場済んだらハイお疲れという訳には参りません。真のプレイステイショニストたるべく帰宅した夜から早速、修行につぐ修行。訪れたのは片っ端からソフトをかじりまくる日々。その中毒性たるや恐るべし、寝ても覚めても頭の中はゲームで満タン。目を閉じればテトリスが落っこちてきたあの頃の再来とでもいいますか、要するにはまりきっておったのです。夜な夜な一人プレイもしくは恋人との対戦を重ね、たいそう盛り上がりました、盛り上がり続けました。多少盛り上がり過ぎたのでしょう、非常に大事な事、すなわちこれは遊びであるという事を不覚にも私、忘れてしまったのです。なんせマジ。心には人を思いやる余裕も優しさも顔を出しうるスペースなど消え失せ、残されたのはひたすら上を目指す視線のみ。そんな姿勢はいつしか恋人に伝染しておりました。恋という力は何故にバカをも分かち合おうとさせるのか。単にバカな二人だったのか。どちらでも良いですが、恋もバカも魅力的であり、それだけに悲しい位マヌケで切なく…。
 その夜、私はいつもよりワクワク度高めで帰宅しました。一月余りかけて攻略してきたあるゲームを今夜ようやく完全制覇する予定だったのです。アパートにはすでに恋人が上がっており、キッチンでなにか作っている最中であったと記憶します。二、三言葉をかわしていつものようにテレビとプレステを起動させ、メモリーカードを挿入して「ぁさてと」とコントローラーを握りしめて画面をみつめた途端そのまま体、凝固。
 終わっておる。
 ゴールされておる。
 完全に制覇されておる。何者かによって。
 トンビに油揚げをさらわれるという古い表現がありますが、この場合トンビは一人しか考えられませんでした。全身の血液が一気に沸点に達し、一斉に逆流を始めました。「ぬあにしとんじゃくおらー!!」発生した怒りのデカさに自分でも驚きつつ、しかしながらどうにも押さえられず、か弱きトンビをハイテンションで問いつめる俺。「だって…ラストシーン、どうしても見たくて…」(‘ブチッ’とキれる音)「それは俺も同じもしくはそれ以上だくおらー!!」このままこの愛が終了してもおかしくないレベルに負のエネルギーが達した時、はたとこれが単なるゲームであることに気がついた、というか目が覚めた私。同時にここまで人を狂わせるこのマシンの魔力に恐ろしさを覚えました(狂わされ易い自分にも)。
 次の朝、プレステはバンドのHに譲られて行きました。愛の危機を回避するために、上手に遊ぶ大人になる自信の無い私は、視界からモノを撤去する道を選んだのです。あれからはや幾年月、昨今のゲームはさぞ進化していることでしょう、さぞ面白くなっていることでしょう。そうであればある程、僕のアレルギー反応もデカい。ある酒の席でピエール瀧君に「俺、ゲームやんないのよ」と言ったところ、「それ、人間じゃないよ」と言われてしまいました。人間でなくともいい。また同じ過ちを犯す自信満々の私。「モジブリ」は長嶋さんいとうさん、お二人で存分に語り合ってください…。

2003.11.20[22:14] 小声で、ぼそっと 長嶋有
いとうさん、ご多忙の様子ですね。
僕は最近あまりテレビみなかったのだが、たまたま見たら出てました。せいこうさんときたろうさんが並んでました。手はつないでなかったけど、仲よさそうでした。

いとうさんときたろうさんの馴れ初め(?)の話がよかった。なにかのうちあげで居酒屋で大勢で飲んでいるときに、照明がなぜか不意に暗くなった。
で、若かりしいとう氏が小声でぼそっと「キャンドルサービスかな」といったら、きたろうさんだけがウケたっていう。すんごいミニマムで、しかしいい話ですね。

僕も若かりしころ、当時付き合い始めたばかりの恋人と登山電車に乗っていたら突然停車して照明が暗くなって、そのとき僕が(小声でぼそっと)いったのは「チークタイムかな」でした。

あぁ、しかしこれ。最近は珍しく「発売日ゲット」しましたけど。モジブリ難しいですよ。スティックを上げ下げするだけなんだが。はやく先に進んで、めくるめくラップに浸りたいのに! 桜井さん、何のこったかワケわかんない?(よね)。

2003.11.07[15:14] 横浜市の桜井です 桜井秀俊
 「秒速でせめぎ合うおそろしく複雑な動詞同士」、その頭脳戦がまさに“うんちく”の世界じゃありませんか!知識を「収集する」「整理する」「引き出す」、言葉を「選択する」「構築する」そして「発する」。全て秒速で!
 呑み屋にて調子が出てくるとしなやかに軽やかにうんちくを語りたくなる、近頃そんな半病人が巷に増えつつあります(よね)。かく言う私もマイヤーズソーダ3杯目(長嶋さん、こだわりますな…)にもなれば軽いうんちくの一つでも飛ばしてその場の主導権を奪いたくなる気持ちを押さえられねえ下司な男でヤんす。ネタは勿論パクリ。若人カルチャーマニアック伊集院系か、ハイソなアダルト向けアカデミック山田五郎系か、どちらにせよ話のシめにはくりいむしちゅ〜上田氏の「ちなみに」攻撃を用いるのがよかろう…。などとパクリ構想を巡らせ「メジャーリーグにミネソタツインズって…」とまで言いかけた瞬間、心に急ブレーキが。すなわち「待てよ、これウソうんちくじゃねえだろうな」と。
 拝啓、元締めであるところのいとうせいこう様。作り話も話術のうち、と番組内では位置づけられております。それは誠、ごもっともだと思います。現に生でTV観戦してる最中は、ネタの真偽なんかよりもスピードと説得力、それを正義と仰いで我々は酔いしれておる次第。しかしながら元締め、客とはどうしようもなくワガママな生き物。かつて週明けには最新のドリフネタはたまたひょうきん族ネタでクラスが沸いたように、うんちく二次使用三次使用ではしゃぎたいと願ってしまうのです。使い回して使い倒して渦を、うねりを、創り上げたいと夢見てしまうのです。書いててオノレの進歩の無さに愕然としますが仕方ない。好きな気持ちにはかなわない。
 ウソつくななんて言いません。そんな野暮な。ただ、ただでさえパクリなネタがウソというのがちょっと…。
 例えばですね、「前回のウソ」という事で、この人のこれとこれはウソでしたというVTRをまとめて次回に放送して頂けるとですね、私共(オレだけか)としましては貴重な情報としておおいに助かるのですが…。そのウソを除いたうんちく達は安心して人様にタレ得るのだから。パクリに変わりは無いけれど。ええ、どうでしょう、だめですか。
 テレビ雑誌の投稿じゃんコレ!と自覚しつつも思い余って書いちゃいました。恐縮です。長嶋さん、何のこったかワケわかんない?(よね)。

敬具    

2003.11.06[02:08] めくるめく動詞の世界 長嶋有
 ラグビーって、たしかにルールが分かりにくいですね。
 テレビゲームについてコラムを書いているんだけど、考えることがあります。醍醐味をある程度ゲーム化できるスポーツと、いまだにきちんと出来ないスポーツとありますが、ラグビーは後者のうちの一つ。
 もちろん、どんなスポーツでも、プロが感じる本当の醍醐味を簡単に再現できるわけがないのだけど、素人としては十分に興奮したりプレッシャーを感じたり出来るゲームがたくさん出ている。
「野球」「ボクシング」最近やっと「サッカー」にもヒットゲームが登場しています。これらのスポーツは、そのアクションを動詞化しやすい、という点で共通している。
 野球は「投げる」「打つ」「取る」「走る」「つかむ」などの動詞の連続であるといえます。サッカーも(乱暴な見立てだが)「蹴る」という動詞のバリエーションです。
 そしてテレビゲームというのは「動詞」を具現化する遊びでもあります。インベーダーなら「よける」「撃つ」。パックマンなら「逃げて」「食べる」というように。動詞が明確であるほど、ゲームになりやすい。

 だから、最新型のゲーム機で、三次元のグラフィックがどれだけ緻密になっても、相撲のゲームはまともにできない。相撲は「つっぱる」「いなす」「つく」など、立ち会いからして、おそろしく複雑な動詞同士(!)が秒速でせめぎあいます。
「あてがう」「切る」「まきかえる」「まわりこむ」「がぶる」あたりになってくると駄目です! それらの動詞をほどいていって、ゲームに再現するのにどれだけの手間と情報量が必要になるだろうか。観戦においても「投げた」「出た」が分かりやすい結果としての動詞としてあるけど、それが相撲の醍醐味のすべてではない。その直前の前みつのさぐり合いやが勝負を決している。

 同様のことはラグビーにもいえるのではないでしょうか。相撲は一対一だけど、ラグビーは集団でいろんなことが行われているし、大体あのボールの形がそもそも「動詞的にも」複雑な動き方をしそう。
 でも桜井さんが分からなくてもそれだけ興奮して受け取るものがあったというのは、そのこと自体に胸が熱くなります(同時にひるみます)。洋楽だって歌詞分からないけどいい! ってこと多いもんな。

 あ、マイヤーズソーダをこないだ飲みました。センス↑ですかね。

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