2003.07.31[19:05] 自律ロック 桜井秀俊
 順調に太り続けております。主に下腹が宇宙のように膨張し続けております。体重計に乗れば目に入るのは前代未聞の数字ばかり。
 煙草やめて(まだ続けてますよ!)飯いっぱい食うようになったからとか、そういったレヴェルではないようなこの太り方。今回の肥満現象には、ちんちんに毛が生えたとかイモ虫が蝶になったとか、「今、変態を遂げている最中です!」といったような、生き物としての何か根本的な変化を感じておる次第であります。
 何といっても今年の夏は浴衣の帯のノリがすこぶる良い。下っ腹を「でん」と乗っける感じにすると実にしっくりくるものなんですね、帯って奴は。デブと思わず「恰幅がイイ」と思えば別にオッケーですよね。だってこれはいわば第三次成長期、ムケたのムケないだのと確認し合ったあの日のように友人達とお互いの間抜けなどてっ腹を笑い合うのもまた楽し。いーじゃん別に。前より和服が似合うようになったんだから。アレだったら毎日和服とかね、永六輔さんみたいに。
 けれどそれは男の身勝手でした。女はそれを許さない。
 妻に「オレこのまま太っていい?」と訊ねたところ間髪入れず「嫌だ」と。「そんなに嫌か」と返したところすかさず「そんなに嫌だ」と。同世代の友人宅に遊びに行ったところ、彼の奥様はずーっと夫の肥大した腹を嘆き続けておりました。彼女曰く「桜井君、今が分かれ目だよ」と。それはお互い様だと、思ったけれどももちろん口には出しませんでした。出せませんでした。
 しかも私、いつかも述べましたが、現在うら若き女性と共に甘いラブソングを世に提供する身にあり、小太りである事が業務上好ましくない立場に立っておる訳であります。立場が、女達が、オレに甘えを許さねえ。せいこうさんもうお察しのことと思いますが、Mである私としてはこの状況が、こんなことほざいてるてめーが、恥ずかしながら決して嫌いでは御座いません。いや、恐縮です。
 とはいえ、ちょいと太ったんでビールは程々にしとくか、てなもんじゃ済まないだろうな今回は。生物の変態を止めようなどという神をも恐れぬ行為だもの。声変わりしないようにしちゃうソプラノの人みたいなもんだもの。おさる氏や郷ひろみさん並みの努力をしないと、膨張し続ける宇宙を止めるなんて芸当は到底不可能でしょ。自然の摂理に逆らってまで俺は一体何を得ようというのか。男の戦いとはこんなことだったのか。タバコもやめた、酒も控える、日がなエクササイズに精出して、生き方としてはミックジャガー側か。どちらかというとキース側のが楽そうで好みだが。ううむ、今日のところは、どうしよう、飲むか、飲もう、飲んじゃえ!
 己を律するのは明日から!今日のところはロックンロール!

2003.07.18[17:26] sounandesuyo, いとうせいこう
 おほめいただき、まことにありがとうございます。
「うんちく王決定戦」、金曜深夜『虎ノ門』の中で不定期にやらせてもらってます。ちなみに関東ローカル。生放送であそこまでタレント生命を賭けてくださる皆さまあってこその企画ですよ。伊集院光、山田五郎、なぎら健壱、松尾貴史、上田晋也、そしてラサール石井といったクセ者の皆さんですね。例えば、いきなり「ケンタッキー州」と題を出されて三十秒、見事に組み立てたうんちく言えるかっていうと、私にはとても出来ません。
 追い込み役としては毎回胸が痛い。と同時に「なぜそこまで戦うのか?」と感動さえ覚えるのですね。うんちく王たちはきっと「うんちくコロシアムに来てしまったからだ」としか答えないだろうな。始まる前の緊張したスタジオを見てもらいたいですよ。百戦錬磨のテレビ人たちがいつもとはまったく違う顔をしている。
 でね、俺もひそかに「うんちく王公開争奪戦」を夢見ておるのです。「U-1」。白いリングに向かってうんちく王たちが歩いてくる。観衆からは「うんちく! うんちく!」の声がやまない。セコンドは最もよくうんちく王を知るマネージャー。リングの上でにらみあううんちく王たち。すると、会場に突然「ナマコ」というリングアナの声がする。途端にうんちく王たちが我先にと手を上げる。俺は司会の幸福を噛みしめながら、「それでは上田さん、
ナマコで三十秒、うんちくスタート!」と絶叫する。俺、去年からスタッフに言い続けてますよ、U1をやろう!と。
 いいよね、知性の格闘技。話術の戦い。あれ、雑学じゃないんだよね。俺としては「知識×話術=うんちく」という公式を立ててます。それを決められた秒数にピタリとおさめることのかっこよさ。脳内においてはまさにK1にまさるとも劣らない超エンターテインメントだと思うのであります。
 ええと、ここだけの話ですが、今までやった生放送の再録を現在、本にしてます。あのうんちく、この切り返し、読めば翌日すぐに酒場で言いたくなるうんちくの数々。しかも三十秒、四十五秒と時間まで出てるから、「あ、もうひと駅この人と一緒だな。でも、深い話を始める時間はないし……。そうだ! あのうんちくがあった。えーと、知ってます。実はアメリカで最も双子が多いのはミネソタなんですって。ミネソタ・ツインズってチーム名もあながち根拠のないことじゃなくて……ね、面白いですよね、あ、そうですか、じゃまた明日」なんてことが出来るわけですよ。
 出版は九月の予定だったと思う。今、鋭意編集中です。
 出たら宣伝頼むぜ。なにしろ関東ローカルだから知名度なくて。
 あんなに凄い、おそらく日本のテレビ史に残る番組なのにねえ。
 

2003.07.15[19:49] キてますよ 桜井秀俊
 「ウンチク王決定戦」もう最・高。
 日本を代表する曲者タレントさん達の充実した顔ぶれもさることながら、曲者が曲者でいられなくなる程追い込まれてゆく様、ギリギリの勝負感、まるでカムイ外伝を読んでいるようです。で、また せいこうさん、あなたの見事な追い込みっぷり。熟練の鮎追い込み漁師ばりの仕事に私、深い感嘆の溜息を禁じ得ません。進行のサディスティック度数はダウンタウン浜ちゃんにも全くひけをとっておりません。よ!S司会者!来月のスペシャルが本当に待ち遠しゅう御座居ます。
 俺、あれをライブで観たい。
 全日本プロレスみたいにフツーに武道館で、フツーに満員のお客さんの中で、フツーにチケット買って観に行きたい。ウンチク中の静まり返る場内、1ラウンド終了後の地鳴りのような歓声。うーむ、聴こえますとも。ラウンドガールは旬のグラビアアイドルで、ともすればムサ苦しくなりがちな文化系のテンションに花を添えている。うーむ、見えますとも。バトルロイヤル形式による高まり続ける緊張感と、最後の一人が勝ち残った瞬間の絶頂感。うーむ、感じますとも!特別ゲストとして はらたいらとか、女子選手として飯星景子あたりが参戦するというのはどうか。勝手な妄想は広がるばかりなのであります。
 やってる方も観てる方も、超高速な頭脳戦の中に身を置いているのに、向かっている先が「ウンチク」ってのがね、役に立たなくてイイですよね。禅とかだとね、意味あるからダメですよね。緊張感とトホホ感のギャップが大きければ大きい程、発生する迫力も大きくなるワケで、我々のアドレナリン放出量も右肩上がりになると思われ、うわー、観てえー。
 いや、あんまり感激したんで単なるファンレターを書いてしまいました。楽しませて頂いております。感謝。

2003.07.14[22:25] 滅びの視線 いとうせいこう
 もうトチ狂ってるね、桜井は。
 まあ女性をジロジロ見るのは視線の暴力なので気をつけてください。見るなら気づかれぬように、気弱に。強気でジロジロはだめよ。
 とはいえ、きれいなものを愛でてしまうのはもちろん人情。考えるひまもなく見つめてしまったというのなら、それはそれで一瞬の恋、感動、忘我ではありましょう。
 ほんの二年前からだったか、俺は咲きほこる桜を見て思うようになったね。自分はあと何年桜を見ることが出来るのか、と。八十まで長生きしたって四十回程度。これはさ、考えてみるととんでもなく少ない回数だよ。
 うまいビフテキを死ぬまでにあと四十枚しか食えないとか、面白い本をあと四十冊しか読めないとか、うれしいと思うメールがあと四十通しか来ないとか、腹の底から笑うことがあと四十回に限定されてるとか……考えてみてよ。けっこう背筋がぞっとするじゃないか。
 だから大事に見ようと思ったね、それからの桜を。ただ思っただけで、例えば今年もマンションの窓から隅田川べりを見てるばっかりだったりするんだけど。歩いていけば五分とかからないにもかかわらず、満開の夜桜を放っておいたりする俺なわけで、そのくせ桜が終わるとひどく損をした気になって落ち込んだりして。
 したがってだね、美しいものを逃さず見よう、その美しさにドキドキしようという桜井の趣旨自体は肯定したい。ただそれが夏の薄着美女だけってのがさ、若さ……っていうかまだまだ若いと思われていたい桜井の強欲と見たね。
 数えてごらんよ、あらゆるものの数を。長生きしたところで何回かなと考えてみたまえ。
 すぐに大きくなってしまう野良猫のほんの一瞬しかない子供時代だの、雷雨に打たれてあわてて走る自分の濡れていくシャツだの、見事にゆだったソラ豆のあの色だの、見ておきたいものはそこら中にあふれているではありませんか。
 今、自分でなるほどと思って驚いているのだが、俺は半年くらい前から突然日記を書くよ
うになったのだった。それは要するに人生折り返しになって、世界が惜しくなってきたんだろうね。生きていてどれだけのものを見られるのか、見たものは書いておかなくちゃ、と。
 結局、食い物と仕事のことくらいしか記さなくなっているのではありながら、俺もトチ狂っていることには変わりがないのかもしれんよ。世界の惜しさに背中押されて焦ってるという意味では、俺と桜井との間になんの差もない。
 まあ見たいのなら集中して見るがいいさ。ただやっぱり相手の迷惑だけには気をつけて。
 なぜなら、俺たちが見たいと思う対象はいつでも「滅び」と無関係だから。若かったり永遠だったり、あるいはとうの昔に滅んだままだったりして、焦る俺たちとは無縁だからさ。  無縁であるものたちを自由にさせておいてやろうじゃないか。だからこそ、それらは俺たちをひきつけてやまんのだから。
 

2003.07.11[17:29] 夏・勝負 桜井秀俊
 夏が来る。
 玄関を一歩出れば、そこはもうままならぬ外の世界。いつだって視界に入る人の殆どは初めて目にする人間。今日もまた現場に到着するまでの道中、一体どれ程の人達がこの視界に飛び込んでは消えるだろう。そのほぼ100%が生涯二度と目に映る事もない人々なのなら、たまたまファインダーに入った美しい物件を少しでも長く映していたいと思うは、人としてこれごく自然な心の動き。何ぞ恥じ入ることなどあらん哉。美女はしっかり眺めるべし。
 夏が来る。
 その美女が薄着になる。しかも太陽光線は強くなる。よーく見える。普段見えないポイントまで見える可能性もある。見たい。実に見たい。じーっくり見たいよ、そりゃ。でもあんまり食い入るようにはね、ヘンタイとかスケベエとか思われたら嫌じゃないですか。
 そこがダメなんだよ、俺!
 通りすがりの美女に嫌われたくないと思うセコい根性がそもそも好かん。限りなく100%二度と会わぬ人間に好かれるも嫌われるもそんなもん心配してどーする、俺。オマエ(つまり俺)はキレイだと思った、もっと見たいと思った、だから見た、それだけの事ではないか。彼女が視界から消えるまで心おきなく見届け、その姿を胸に刻んだしかる後に改めて戦場へ赴けばよい。途中で目が合っても決してひるんではいけない。そこが勝負所だ。なんとなーく目をそらした時点でもう負け。彼女にも自分にも負け。勝ちは無いけど負けはある、そこがこの世界の厳しさよ。不快をあらわにプイっとあっち向かれても、それはオマエ(つまり俺)の負けではない。勝ちでもないけど。信念を持って見つめてさえいれば、おまわりさんに通報されない程度のツラ構えにはなっているものなのだ。きっと。
 さあ、夏が来る。
 湘南でん九十九里でん眩しか水着の嵐ったい秀俊、どげんすっと!?“目のやり場に困る”という言葉がありますが、あれって逆説の慣用句だったんですね。“目のやり場はひとつ”って事ですよね。見ておけ秀俊、人生はあまりに短く、この目のファインダーに映せる絶対量は実に限られている。ならばその内で美の占める割合は高ければ高いほど良いに決まっているではないか。後悔せぬよう写しておくべきではないか。主にビキニを。何をや恥じ入らん、美女はしっかり、しーっかりと眺めるべし。サングラスも何だか逃げててズルっぽいな。前回の件もあるし、もういいやサングラス。目なんか焼けちゃえ、それじゃ困るか。
 よーし秀俊頑張る。この夏はじーっと見届けるわよー。

2003.07.04[18:06] 大人の鉄則 いとうせいこう
 オヤジというより、そこは「大人」と言おうじゃないか。大人仲間の桜井くんよ。
 立派な大人はTシャツの重ね着などしない。腕以外の上半身をそんなにまでして保温する必要性を感じないからだ。というか、温度の差が体に悪い。逆に腕が冷えるよ、君。
 立派な大人はキャップを斜めにかぶらない。なぜなら片目の視界がさえぎられ、遠近感がなくなるから。転ぶと回復に時間がかかるよ、実際の話。
 さらに、立派な大人があの妙なメガネをかけるわけがない。ガラスの湾曲で世界まで曲がって見えたらどうするのかね? 大人はそもそも生きる世界自体が湾曲している。あんなものは君、まっとうにしか世の中を見られない若造だからかけとるのさ。
 立派な大人はシャッポの下にバンダナも巻かんね。頭皮の一部だけを蒸すと奇怪な抜け毛
に悩まされるに決まっている。しかもああした格好は皆、自意識の発散だからね。立派な大人は恥ずかしくて鏡の前でバンダナ巻いて帽子の位置を決めて……なんていうこすっからいことはやりませんよ。起きる、顔を洗う、ちょっと髪をくしけずってから家を飛び出る。それで勝負出来ちゃうんだ。時々寝癖があって笑われるけど、大人は気にしないね。
 自意識の方が寝癖より恥ずかしい。これが立派な大人の感覚です。
 ケンさんは別よ。だって立派な大人じゃないもん。ヤバい大人、やさぐれた大人、自意識の恥ずかしさを十分に知っていてそいつを逆利用できる大人ですから。
 ああいう大人になることは俺たちには無理。
 ただし、俺たちが立派な大人であることによって、ケンさんもハメを外せるんだよね。大人同士の持ちつ持たれつですよ、君。若い者にわかってたまるか。っていうか、年とることのこれが楽しみさ。何かがわかってくる。もっと生きるともっとわかるだろうと思われてくる。だから四捨五入はどんどんした方がいいのです。一捨九入でもいい。
 なら俺、五十だ。もうおしもおされぬ大人だよ。
 あーバリラックス早くかけてえ。
 
 

2003.07.04[00:20] What is hip? 桜井秀俊
 私事で恐縮ですが、気付いたら私35歳になっておりました。オッサンだのオヤジだの、せっかくあんまり気にしないで生きていられた小生に向かって、飲み屋においてトシの話になると「四捨五入で40だね。」などとぬかす小学生のような大人があまりにも多く(そんな友達しかいないともいえる)、小学生レベルで真に受けている自分も否定できず、悔しいけど考えてしまいました。
 とはいえ自分のオヤジ要素などというシロモノはどうも自分だけが見えていない(自分以外は全員知ってる)部分が大半を占めていると思われ、自分一人ではちょっと測りきれないのではないかと。かといってわざわざ誰かに伺って落ち込むのもどうかと。ただ、「コレはもうできねーなー。」と思う事項が数点思い浮かぶので、皆さんに是非聞いて頂こうと。ええ、どうでしょう。

 一、Tシャツの重ね着
 何か意味無い気がして。意味を求めた時点でもう失速している事は重々承知ですが、うーん、ダメだ。意味無いと真っ先に思っちゃった以上もう出来ねえ。先日、東横線内にてタンクトップ重ね着の女性に遭遇。本当に聞きたかった。「どうしたいの?」そうですか、そういう問題ではないと。

 二、ベースボールキャップを斜めに被る
 絶対無理。我々の世代ならそれが何を意味するか問うた時、答えはただ一つ 「エマニエル坊や」だ。野球帽はただでさえ少年ムードを放つ特性を持つ上に、そいつを斜めにズラす行為は、うまく被れない“幼児ムード”を放つ結果を招くと、エマニエルを通った人間なら誰でもそう認識する筈です。僕はそこまで戻れない。やったらそういうプレイになりそうだ。いや、なる。

 三、更にその下にバンダナもしくはヘアバンド(状のもの)を施す
 ちなみにベースボールキャップはそっと乗せる形で。このスタイルもここまで応用編になるともう隣村の祭りだ。よそ者は黙って裏山の木陰で見物する程度が流儀だろう。と思いきや先日TVにて横山剣さんがそのスタイルで登場、熱く語っておりました。しかも恐ろしい程キマっていた(よね)!毎度毎度溜息がもれます。ああいう人を達人と呼ぶのですね。

 四、レンズデカめで色薄め、フレーム無しのバッタみたいなサングラス
 鼻持ちならないラーメン屋の注文みたいで御免なさい。正式名称知らないもので。このカタチが定番になってわりと経ちますが、浜崎あゆみからスガシカオ、木村拓哉からゴスペラーズまで、ありとあらゆる芸能人が着用してるとそれはそれで恐ろしくさえなる。あゆとシカオちゃんとキムタクとゴスと同じのすれば並びたがってるようで、違うのすれば逆らってるようで…。ああもう面倒臭え。この夏オレはサングラスなどしない。目なんか焼けちゃえ!ちなみに横山剣さん、その時のサングラスはばっちりレンズデカめで色薄め、フレーム無しの…。参りました。

 スタンダードだけでは物足りない。ヒップなだけでは迫力に欠ける。この矛盾した両者を横山のアニキ、あなたはどうして乗りこなす事に成功出来たのですか!?教えて下さい。リクエストは鳥肌実の“レッツ・ダンス”。

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