Second to None プロダクションノーツ 松尾 潔
 「PIECES OF A DREAM」でデビューしてから2年。その間CHEMISTRYのふたりをとりまく状況は目まぐるしい変化を止めることがなかった。
 2001年秋にリリースしたファースト・アルバム『The Way We Are』は国内外合わせて300万枚以上のセールスを記録した。W杯サッカーの日韓共催にあたって彼らが参加したVoices of KOREA / JAPANの「Let's Get Together Now」は、戦後の韓国で初めて放送された日本語曲となった。W杯の開会式では小泉純一郎、金大中という日韓両元首の前で同曲を歌い上げ、その模様は世界に中継された。ある意味においてはデュオの名に託された意味…化学反応…は命名者の私の思惑を既に超えたと言えよう。
 一方でふたりともその私生活がパパラッチの標的にされることも暫し。川畑要と堂珍嘉邦は、およそスターの名に相応しい毀誉褒貶すべてをこの2年間で体験したかのようだ。容姿、内面ともにタフになったと感じるのは、あながち私の贔屓目のせいだけでもないだろう。

 ときに、1年に20数枚のミリオンヒット・シングルが出た時代が過ぎてから久しい。国際的見地から判断してもシングル盤はその役割を静かに終えたと断言する向きも少なくない。だからこそ、メジャー・アーティスト(この場合の「メジャー」は「非インディ」の意)にとって、シングル盤というフォーマットといかにスマートに付き合っていくかは不可避の課題となっている。
 正直に告白しよう。プロデューサーの私にとって2002年はこの大きな課題との格闘の1年だった。そもそもアルバムという形式が生みだす文脈の妙を強く好む私は、即効性に長じた楽曲制作が問われるシングル作りにさほど積極的ではない。ゆえにむしろこの「シングル主導時代の終焉」は歓迎すべき傾向なのだ。少なくとも、山下達郎、久保田利伸、Skoop On Somebodyといった私が平生から懇意にしているアーティストたちはこの意見に賛同してくれるだろう。
 だが、テレビのオーディション番組『ASAYAN』から生まれたCHEMISTRYは、その出自からしてシングル盤というフォーマットとの親和性が高い。さすがの私もそれを否定する理由までは持たない。ならばこのフォーマットをCHEMISTRYの「音楽的な遊び場」として機能させてはどうか。そう考えた。わが身をふり返れば、学校や家庭からではなく砂場から学ぶことも多々あったのだから。ただし、一生懸命に遊ぶべし。かくなる思いに至ったのは、時おりしも私がキム・ヒョンソク氏との初対面を果たし、Voices of KOREA/JAPANプロジェクトを極秘裏にスタートさせた2001年末のことである。
 同プロジェクトのメンバーとして「Let's…」をリリースしたのが3月。5月には前月スタートのTVドラマ『ウェディングプランナー』の主題歌「君をさがしてた〜New Jersey United〜」を発表。自身作品のリメイクだった。今だからお話しできるこのシングル誕生の経緯は以下の通りだ。
 まず大前提として番組プロデューサー氏は結婚をテーマにした新曲を希望していた。が、CHEMISTRYにはその種のものとして「君をさがしてた〜The Wedding Song〜」というレパートリーがある。如何にしてそれとの差別化を図るか。同曲の存在を認めたうえでこの難題を提示されたのであろうプロデューサー氏にそのことを問うた。と、意外にも彼は同曲の存在をご存じなかった! つまりアルバムを未聴だったということ。さっそく試聴していただくと、幸いにもたいへんお気に召したご様子。この曲を主題歌として採用することはその時点で決定した。そのままリカットするという案も浮上したが、私はそれには否定的だった。「最新作が最高傑作」を標榜するCHEMISTRYならば、その時点での最高のボーカル・パフォーマンスを披露する義務があるからだ。その実現には前年末から思案を巡らせていた「音楽的な遊び場」としてのシングル盤が機能してくれるだろう、と。
 予想を上回る「君を…」の成功を受けて、7月に発表した「FLOATIN'」は、初めてのノンタイアップ・シングルだった。デビュー曲「PIECES…」もそれに続く「Point…」も一応ノンタイアップ作品ということになってはいたが、あの頃はまだ彼らを恒常的にバックアップする『ASAYAN』が毎週放映されており、それが実質上タイアップと同様の商業的効果をもたらしていたので。
 「FLOATIN'」は、商業的な意味で後ろ楯を備えていなかっただけではなく、楽曲的にも大きな冒険を試みていた。より正確に言えばノンタイアップ曲だからこそ描ける景色を目指した。国内屈指の2ステップ・クリエイターのI.S.O.の手によるカッティングエッジなトラック。これまでのCHEMISTRYのパブリックイメージの多くを担ってきた「無器用だが誠実な少年像」を描いた歌詞の世界とは対極にある、「人生遊泳術の習得に余念のない若者像」を照射した歌詞。他人の目に狡猾と映るくらいの。清濁併せ呑んでこその成長だろう、と。彼らの作品をずっと熱心に追い続けてきて下さった方々ならば、この試みが突発的なものではなく、「C'EST LA VIE」「Running Away」といった作品の系譜上に位置することにお気づきいただけた筈だ。
 「FLOATIN'」は発売1週目にチャートを登頂したものの、CHEMISTRYのシングルとしては平均値をはるかに下回るセールスに終わる。が、その一方で興味深かったのは、トップ・プロデューサーの亀田誠治氏、高橋道彦氏(ミュージックマガジン元編集長)をはじめとする音楽業界を代表する論客の方々がこの曲をかつてないほどに強く支持された事実である。この商業面・作品面での極端にアンバランスな評価は、その頃セカンド・アルバムの設計図作成の最中にあった私にとって効果測定の大きな材料になった。
 その後私たちは「タイアップ付きシングル」という作業に真っ向から対峙した。その結実となる「It Takes Two / SOLID DREAM / MOVE ON」、そして本人たち自身がタイアップCMへの出演を果たした「My Gift to You」という2枚のシングル盤は、「ノンタイアップ曲だからこそ描ける景色」を一度経験してこそ見えてきた風景を描いたものだ。そして、この2枚を制作する頃にはアルバムの設計図は既に完成しており、あとはその施工を待つのみだった。

 アルバムタイトルは「他の誰にもひけをとらない」の意。つまり、ベスト。そこにはベスト・ワンのみならず、オンリー・ワンの意味も込めた。

 以下、主にサウンドプロダクションに言及しつつ各曲に具体的な説明を加えてみよう。
 しばしお付き合いいただきたい。

01. Intro-lude 〜You're My Second to None〜  プロデュース:和田昌哉
 前作に続いてアルバムを川畑と堂珍ふたりの声だけで始めることに関しては早い段階から決めていた。この件に象徴されるように、本作の基本コンセプトはずばり "The Way We Are II" である。そもそも私は最良のボーカル・アルバムの様式は数限られていると考える。これまで実際に1万枚以上のアルバムの鑑賞を重ねてきた経験から私が学習した結論だ。CHEMISTRYは幸いにもデビューアルバムにしてひとつの黄金比を掴むことに成功した。自信を持って今回も踏襲した次第。
02. It Takes Two  トラックプロデュース:和田昌哉
 2002年11月発表のシングル。CHEMISTRYの進歩はボーカル・プロデューサー和田昌哉の進歩でもある。私が以前よりボーカル・プロダクションにおいて全幅の信頼を置いていた彼が、作曲とトラックメイキングの双方で著しい成長を遂げたことは、本アルバムの質感の統一にあたって大きな意味を持った。2002年春の段階にこの曲のデモを聴いた私はすぐに気に入ったが、US R&Bマナーに則した美しいメロディとコード進行を味わいながらも、それに相応しい音意匠について熟考すべく、曲自体はずっと温存していたのだった。そして辿り着いたのが、活況を呈するフィラデルフィアのR&B〜ヒップホップ・シーンの要人ラリー・ゴールドの起用。70年代、フィラデルフィアの伝説的インストゥルメンタル集団MFSB〜サルソウル・オーケストラの中心的存在だった彼は、ストリングス・アレンジャーとして国際的な名声を得た。現在ではザ・ルーツ、ミュージック、ジル・スコットといったミュージシャンたちの後見人的存在としても知られているが、その名を轟かせたのは何といってもブランディ&モニカの世界的ヒット「The Boy Is Mine」だろう。ネットを利用しての音源のやりとりを経て、最終的には私が8月にフィラデルフィアに赴き、ゴールドに召集してもらったMFSB〜サルソウル・オーケストラの元メンバーのレコーディングに立ち会った。その後にCHEMISTRYのボーカルを録音したわけだが、今あらためて聴き直してみてやはりこの工程が必要であったことを痛感している。なお、作詞の実作業に先がけて小山内舞に伝えたキーワードは「ふたりだからこそ起こし得る奇跡」。
03. STILL ECHO  トラックプロデュース:YANAGIMAN
 ケツメイシのRyojiと、やはりケツメイシのファミリー的存在であるYANAGIMANの共作。そう、『The Way We Are』収録の「愛しすぎて」のコンビである。作詞はこれも前作からの参加となる小山内舞。届いたデモテープを聴いた段階で私は今回もいけるという直感を抱いた。ただし、YANAGIMAN作成デモの常として、その器の大きさと反比例するかのように完成度は低めに設定してあった(それゆえに私のアイディアを付加する余地もあるのだが)。曲の構成について少し手を加える必要と、そのうえでキャッチーなギターのリフレインが欲しい旨をYANAGIMANに告げた。結局、曲の構成についてはRyoji、YANAGIMAN、私の3人でレコーディング寸前まで案を練ることに。最終形が完成したのは録音の前夜。これがベストの形だった。それを受けて川畑と堂珍が初めてふたりだけで歌うパートの割り振りを決めた。ミックスにあたってはCHEMISTRYデビュー以来の音の番人D.O.I.氏が超絶的な手腕を発揮。メロウ・ケミストリー。
04. My Gift to You(CHEMISTRY meets S.O.S.)  トラックプロデュース:S.O.S.
 2002年12月発表の完全生産限定シングル。Skoop On Somebody(以下、S.O.S.)とのコラボレーション。それは、必然だった。経緯をご説明しよう。このコラボレーションの発端はCHEMISTRY誕生以前にさかのぼる。『ASAYAN』で私が試しにコンビを組ませた時にふたりが自主課題曲として選んだのがS.O.S.の「ama - oto」。川畑がバイト代をはたいて買ったCDを堂珍に聴かせ、ふたりで練習していた。S.O.S.とは一緒に旅をするような旧知の仲だった私は、その頃KO-ICHIROから「僕らの曲を取り上げてくれてありがとう」という言葉をもらった。S.O.S.の3人はアーティスト志望の若い世代が自分たちの楽曲を取り上げてカバーしていることを素直に喜んでいたのだった。2002年9月に発表したS.O.S.のアルバム『Save Our Souls』(プロデュースは私)の収録曲「Two of A Kind」で満を持して初共演。その返礼としてこの「My Gift to You」が生まれたというわけだ。ここでのS.O.S.の音楽的姿勢はR&Bよりもソウル・ミュージックの呼び名が相応しい。その空気を共有したCHEMISTRYも音楽人生に必要な無形の何かを学びとったようだ。
(なお「Two of A Kind」は先述のS.O.S.のアルバムのほか、コンピレーション・アルバム『SMOOTH II』にも収録)
05. Running Away  トラックプロデュース:I.S.O.
 2002年5月、シングル盤「君をさがしてた〜New Jersey United〜」の収録曲として発表されると同時に、一部からカップリング・ナンバーの域を超えた圧倒的な支持を集めた。ひとつには『The Way We Are』発表以来、実に久しぶりの新曲だったという理由もあるだろうが、何よりもCHEMISTRYと2ステップという組み合わせが意表を突いたのだろう。鷺巣詩郎氏のデモは往年のシャカタクを思わせるようなメロディアスなピアノソロをフィーチャーしたもの。私のイマジネーションはシャカタクの本国UKを飛び越え、コンチネンタルな…ヨーロッパ大陸的な風景へと向かった。それを具現化すべく、I.S.O.には西ロンドンあたりではなくパリの流儀を意識したトラックを作成するよう依頼した。作詞家の立田野純にはいったんヌーベルバーグの世界観を咀嚼して日本的湿度を加味した歌詞を作るよう求めた。
06. BACK TOGETHER AGAIN  トラックプロデュース:柿崎洋一郎
 2002年7月、シングル盤「FLOATIN'」のカップリング・ナンバーとして発表した。「You Go Your Way」で川畑と堂珍が掴んだ感触を忘れさせたくなくてレコーディングした。作詞を手がけるのが「You…」の小山内舞であるのはそのため。作曲者の今井大介氏はシンガーとしても2枚の優れたアルバムをリリースしており、私はそのUS R&Bマナーの色濃い作風に以前から注目していた。彼自身が制作したキース・スウェットばりのデモ・トラックも素晴らしかったが、私はこのメロディの美しさを際立てるにはソウルショック&カーリンあたりが得意とするアルペジオ系のギター・ループが最適だと判断、その種の経験値が豊かな柿崎洋一郎氏にトラックメイキングを依頼した。柿崎氏の神業的な「ツボ作り」については、私はこれまでも久保田利伸氏のレコーディング現場で何度となく目撃してきたが、今回もそれは遺憾なく発揮された。ただ一点、ドラム・プログラミングの音色のみはミックス前に私の責任においてCHEMISTRY仕様に張り替えた。もし久保田さんのファンの方がこの曲を聴いて、久保田作品での柿崎氏のサウンド・プロダクションと微妙なニュアンスの違いにお気づきになったならば、それはこの点に依拠するだろう。
(なお本曲のリミックス「BACK TOGETHER AGAIN(FOOTSTEPS ON THE BEACH)」も先述のコンピレーション・アルバム『SMOOTH II』で聴くことができる)
07. No Color Line  トラックプロデュース:今井大介
 本曲に先んじて聴こえてくるインターリュードの声の主は、ストリングス・アレンジャーにしてコンダクターのポール・ライザー。私のアイドルである。論より証拠、ライザーが流麗なアレンジを手がけたルーサー・バンドロスのデビュー曲の名をとって私のプロダクション「Never Too Much」は発足した。いにしえのモータウンの専属ミュージシャン集団「ザ・ファンク・ブラザーズ」の年少メンバーだったライザーは、同社のスティービー・ワンダー、ダイアナ・ロス、マービン・ゲイ、テンプテーションズといったスーパースターの作品を手がけたことで知られる。その威光は21世紀になっても衰えず、最近でもR・ケリーやJOE、ラフ・エンズといったアーティストに今なお唯一無二のストリングス・アレンジを施している。本曲はJOEの無類のファンである川畑のソロ・ナンバーであるから、そういった意味でもポール・ライザーは代替の利かない存在だった。先述した「It Takes Two」セッション時のフィラデルフィア詣での前日に、ニューヨークのエレクトリック・レイディ・スタジオで名手ノア・エバンスがレコーディングした。同スタジオはかつてジミー・ヘンドリックスが所有していたことで有名。現在でもディアンジェロが好んで利用することでも知られている。このセッションのためにデトロイトから単身やって来たライザーは、その40年のキャリアで初めての日本人アーティストとの仕事に興奮を隠さなかった。果たして、彼が書き上げたストリングス譜は、往年の彼の大仕事「Mellow Madness」(クインシー・ジョーンズ)の名を引用したくなるようなメロウな感触だった。作曲は『The Way We Are』に「Motherland」を提供してくれた松浦晃久氏。トラックメイキングは先述の今井大介氏。肝となるギターは私とは付き合いの長い石成正人氏。川畑は作詞に挑戦している。CDのライナーに掲載した川畑自身による手記をご高覧あれ。なお、ラリー・ゴールドとポール・ライザーというR&Bストリングスの2大巨頭による音源を誰がミックスするかについては、米英のトップ・ミキサーたちも視野に収めて検討を重ねた。結果私たちが選んだのは、これまでにも「B.M.N.」「BACK TOGETHER AGAIN」で目の覚めるようなシャープな音像を作り出した精鋭・川本ゴンタ氏。ゴンタ・マジック、お見事!
08. FLOATIN'  トラックプロデュース:I.S.O.
 2002年7月発表のシングル。この曲誕生の経緯に関しては先述した通り。留意していただきたいのは、同じI.S.O.がトラック制作した「Running Away」とは異なり、この曲のミックスはピチカート・ファイヴやm-flo、RIP SLYMEの仕事で名高い大西慶明氏が担当していること。ここでの彼の手際は凄みさえ感じさせるものであり、CHEMISTRYには珍しく専門誌『サウンド&レコーディング』にサンプル作品として取り上げられた。
09. SOLID DREAM  トラックプロデュース:藤本和則
 2002年11月リリースのトリプルリード・シングルから。「PIECES…」「Point…」のコンビである作編曲家の藤本和則氏と作詞家の麻生哲朗氏が久方ぶりにタッグを組んだ。前2作は私が事前に両氏に細かいディレクションを与えていたが、今回はまず両氏の思うまま作業を進めてもらった。制作途中で朝のニュースショウのタイアップ企画が浮上、番組サイドの意向を汲む形で詞の一部に修正を加え現在の形になった。
10. Let's Get Together Now(Tokyo Calling)  トラックプロデュース:川口大輔&YANAGIMAN
 先述のW杯曲のCHEMISTRYバージョン。2001年末の時点で韓国側のプロデューサー、キム・ヒョンソク氏にまず投げかけたのがこの川口大輔アレンジによるバージョンだった。Tokyo Callingというバージョン名にはそんな背景を込めた。本アルバム収録にあたってはYANAGIMANがトラック制作に手を貸した。なお、作者の川口は私のプロデュースによりデビューすることが決定。プレデビュー・ミニアルバム『BEFORE THE DAWN』(1月29日リリース。川畑と堂珍もゲストボーカルで参加)で、本曲のセルフカバー・バージョンを聴くことができる。
11. RIPTIDE  トラックプロデュース:和田昌哉
 鎌倉は由比ヶ浜でライブレコーディングしたサウンドスケッチに続いては、その鼻歌の主、堂珍のソロ・ナンバー。やはり作詞に挑戦している。CDのライナーに掲載される本人手記をご高覧いただきたいが、本人の強い希望で単独アカペラという形式をとることになった。彼の声の魅力を最もよく知る和田昌哉が作編曲を手がけたのが、本曲がアルバムの中で決して浮いてはいない理由だ。
12. 月夜  トラックプロデュース:川口大輔
 ライブ録音。作曲とピアノ演奏はCHEMISTRYとは縁の深い川口大輔。作詞は女性シンガー・ソングライターの柴田淳嬢。以前から彼女の詞世界に着目していた私は、何の面識もないまま、スタジオでレコーディング中の彼女を訪問、詞提供を依頼した。幸いにも彼女から快諾を得ることができ、コラボレーションは実現した。ここでも独特の香りたつような詞世界が展開している。その作詞作業にあたっては柴田嬢と私との間を幾度かメールが往復した。それにとどまらず、私、和田昌哉、そして川口大輔の3名でプリプロダクション中のスタジオに彼女は足を運んでくれた。実際にピアノを弾きながら譜割りを確認することができたのでその後の作業は容易になった。
13. マイウェイ  トラックプロデュース:松浦晃久
 奥田民生氏の書き下ろしナンバー。奥田氏とも面識がなかった私は作品提供を依頼するにあたり、詞曲のイメージを練り上げた挙句、氏への手紙を書くことにした。が、承諾は得たものの、それから締め切りまで奥田氏からはずっと梨の礫。マネージャー氏ともなかなか連絡はとれぬ。私は困惑の日々を過ごすことになる。が、それは杞憂だった。奥田氏からようやく届いたデモには、誤読の余地を防ぐかのようなアレンジが施された、非常に完成度の高いトラックが収められていた。そこで聴くことができた彼自身の歌声には、出口のない気持ちを持て余しながらも歩を進めることを止めない青年の姿が淡々と、しかし丁寧に描かれていた。精緻な計算が施された押韻の妙に私はひとしきり感心し、そして感動した。デモテープを聴いて不覚にも泣きそうになった。初めての経験だった。しかし、涙が乾いてこうも思った。この奥田アレンジから離れない限りはオリジネイターの奥田氏の歌ぢからを凌駕することは難しいと。それから懊悩すること数日、迷走する私のイマジネーションが辿り着いたのは、米国アトランタ周辺のグリッティかつオーガニックなR&Bサウンドである。ちょっとレイドバックした感じの。洋楽誌的な表現で申し訳ないのだが、その時の私の仮想音像を忌憚なく記述すればこうなる。その音像を具体化するには、ファンキーなギター・リフ、それにミュートトランペット、もしくはフリューゲルホーンが必須だった。以上のリクエストを仔細に松浦晃久氏(彼こそは本アルバムの最大の功労者のひとりだ!)に伝え、プリプロダクションを執拗に繰り返して現在の形に落ち着いた。工藤雅史氏によるミックスも、日本のポップ・ミュージックの豊饒をまことに日本的に表現し得て妙なり。先述したように、本作はアルバム・フォーマットとしては1枚目に類するものであるが、その中でもいくつかサムシング・ニューを提示できなければ新作の意味は乏しいと考えた。この曲はそんな「新作の意味」を満たすチャレンジである。
BONUS TRACK:君をさがしてた 〜New Jersey United〜  トラックプロデュース:ジャック・ラッセル
 2002年5月リリース。先述したように、私はこのシングルを単なるリカット作業で終わらせたくなかった。「聖」のイメージをさらに追求するために、ゴスペル・クワイヤー(聖歌隊)をフィーチャーすることに。そこで起用したのが、私と和田昌哉が以前から傾倒していたニュージャージーきっての人気クワイヤー、ナタリー・ウィルソン&ザ・SOPコラール。スーパープロデューサー、ロドニー・ジャーキンスの関わるクワイヤーである。また、Pファンクの要人として知られる伝説的ミュージシャン、バーニー・ウォーレル(!)が意外とオーセンティックなローズ・プレイを披露したり、ドネル・ジョーンズ等との仕事で知られるシェルダン・グッドがギターを弾きまっくったり、と音楽的にも実に実りの多いリメイクとなった。余談だが、シェルダン・グッドは8月のエレクトリック・スタジオでのポール・ライザー・セッションにも見学に来てくれたものだ。

 そして、最後に。
 今回、アルバム制作の最終作業である音の仕上げ…マスタリング…の責を担ったのは、アメリカを代表する重鎮・バーニー・グランドマンである。
 前回はイギリス・ヨーロッパを代表する巨匠・ティム・ヤング(マドンナ、シャーデー、ジョージ・マイケル、エルビス・コステロ、ジャミロクアイ、ポール・ヤング等)にお願いした。その出来が筆舌に尽くしがたいものだっただけに、今回も最後までティム・ヤングの名は候補者リストから消えることはなかったが、US R&Bマナーの楽曲が比較的多い今回は、その方面での経験値が高く、なおかつ身をもって「普遍」を体現しているグランドマン氏に委ねることにした。それこそはCHEMISTRYの生命線なので。ブライアン・ガードナー、トム・コイン、テッド・ジャンセン、ハーブ・パワーズJr.といったR&B界の要人たちを差し置いてグランドマンを選んだのはこういう理由からだ。
 代表作品も多い彼だが、その名声を決定的にしたのは何といっても『スリラー』であろう。マイケル・ジャクソンの、そしてクインシー・ジョーンズの信頼が厚いグランドマンは、私の生涯ベスト・フュージョン・アルバムであるジョーンズの『Sounds...And Stuff Like That !』も手がけている。自分の耳で長年確かめ続けたこの事実が今回の決定的理由となった。
 今回はボーカル・プロデューサーの和田昌哉(ここだけの話、彼は私より耳がいい!)もマスタリングに同行することができた。バーニー・グランドマン・スタジオにも結局3日間通った。それだけに前回以上に「声」の聴こえ方には自信がある。今回、音の真贋が問われるSACD(スーパーオーディオCD)でもリリースすることを決めたのはその自信に基づく。 サウンドにうるさいあなたも、是非その愛機をフルボリュームにしてお楽しみいただきたい。
(なお本作と同時に前作『The Way We Are』もSACDで発売されることが決定した)


2003年1月 松尾潔 (KC MATSUO for Never Too Much Productions)