収録曲解説 Disc2
01 大滝詠一 / 恋するカレン
「A面で恋をして」などのヒットで知られる大滝詠一が1981年に発表したアルバム『A LONG VACATION』は100万枚を超えるベストセラーを記録。名盤と言われるこのアルバムの人気は高く、発売から30年近く経った現在もその収録曲がCM曲として使用されることが多い。「恋するカレン」も同アルバム収録の1曲で、2007年にトヨタ「アリオン」のCMソングとして全国のお茶の間に流れた。また高橋真梨子、稲垣潤一、辛島美登里、CHEMISTRYなどが同曲をカヴァーしている。(注:今回収録されているヴァージョンは『A Long Vacation:20th Anniversary Edition』からのものです)
02 松田聖子 / 天国のキッス
80年代を代表するアイドル松田聖子は、80年「裸足の季節」でデビュー。財津和夫、大瀧詠一、呉田軽穂(松任谷由実)などが提供する楽曲を抜群の歌唱力で歌いこなし、3rd「風は秋色」から26th「旅立ちはフリージア」まで24作連続チャート1位獲得という記録を持つ。83年「天国のキッス」は松本隆と細野晴臣による作品で、自身が主演した映画『プルメリアの伝説』の主題歌として50万枚近い売り上げを記録した。アイドルからスタートし、結婚、出産、2度の離婚を経た彼女の波乱万丈な生き方を支持する女性も多い。
03 チェッカーズ / 涙のリクエスト
アマチュア時代にアメリカン・ポップスや自作曲を歌っていたチェッカーズは、1981年ヤマハ主催コンテストでの最優秀賞受賞を契機に、83年「ギザギザハートの子守唄」でデビュー。翌84年発表の2nd「涙のリクエスト」がチャート2位60万枚超のヒットとなりアイドル人気が爆発した。元々オリジナル志向も強く86年の11thシングル「NANA」以降、発表作品はすべてメンバーによるオリジナル。92年のグループ解散後、リード・ヴォーカルだった藤井フミヤ(郁弥改め)が93年に発表したシングル「TRUE LOVE」は200万枚超のヒットを記録した。
04 シャネルズ / 街角トワイライト
シャネルズは、現在ソロ歌手として活躍する鈴木雅之が、地元・東京大森近辺の同級生を中心に1975年結成。アマチュア・コンテストEAST WEST出場を経て78年から都内のライヴ・ハウスで活動を開始。顔を黒く塗り50年代アメリカで大流行した “ドゥーワップ”コーラスのスタイルで歌う姿が話題を呼び、80年「ランナウェイ」でデビュー。曲は100万枚近くを売り上げ全国にドゥーワップ旋風を巻き起こした。「街角トワイライト」は翌81年発表の3rdシングルで70万枚を売り上げたヒット作。83年以降はバンド名をRATS & STARに変更。
05 一風堂 / すみれSeptember Love
“一風堂”は、土屋昌巳、見岳章などが1979年に結成したグループで80年にデビュー。一風堂というグループ名は東京渋谷にあるディスカウント店名に由来する。エレクトロポップ風の軽やかなサウンドの「すみれ September Love」は彼らの2ndシングルで、カネボウ化粧品のCMとして40万枚以上を売り上げ一風堂最大のヒット曲になった。ヴィジュアル系バンドSHAZNAが97年にこの曲をカヴァーし50万枚超のヒットを記録している。84年のグループ解散後、見岳は作曲家に転身し美空ひばり「川の流れのように」の大ヒット曲を生んでいる。
06 佐野元春 / ガラスのジェネレーション
佐野元春は大学卒業後に広告代理店勤務を経て、80年にシングル「アンジェリーナ」でデビュー。同年2ndシングル「ガラスのジェネレーション」を発表。斬新でスピード感あふれるビートとそれに乗って字余り的に歌われる自由な歌詞は、当時の音楽シーンに大きな衝撃を与えた。その後1年半のライヴ・ハウス活動と初の全国ツアーを展開した82年に 一大“佐野元春ブーム”が巻きおこるが、この「ガラスのジェネレーション」と81年発表の「SOMEDAY」は、初期佐野元春の2大代表作として現在も人気が高い。(注:1993年にはサッポロビール「吟仕込」」CMソングとしても使用された)
07 山下久美子 / 赤道小町ドキッ
80年「バスルームから愛をこめて」でデビューした山下久美子は、82年にカネボウ化粧品夏キャンペーンソング「赤道小町 ドキッ」を発表、曲はチャート2位40万枚のヒットを記録し山下の代表曲となった。数多くのライヴ活動と激しいステージ・パフォーマンスから“総立ちの久美子”とも呼ばれ、女性ロック・ヴォーカリストの草分け的存在だったが、この「赤道小町 ドキッ」では当時人気絶頂のYMO細野晴臣と組み、テクノサウンドに乗せたセクシー・ハスキーヴォイスを聴かせている。
08 薬師丸ひろ子 / セーラー服と機関銃
1978年、1000人を超える応募者の中から選ばれ14歳で角川映画『野生の証明』で高倉健と共演した薬師丸ひろ子は、81年に映画『セーラー服と機関銃』(原作:赤川次郎)に主演し主題歌も歌う。映画も大ヒットしたが、デビュー曲となった「セーラー服と機関銃」も80万枚を超える薬師丸最大のヒット曲となった。作曲者の来生たかおも、歌詞を一部変えた同曲を「夢の途中」のタイトルで同時発売し40万枚を超えるヒットを記録している。2005年、薬師丸は映画『ALWAYS 三丁目の夕日』に出演、日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞した。
09 斉藤由貴 / 卒業
1984年、第1回東宝「シンデレラ」オーディションで沢口靖子に次いで準グランプリを獲得した斉藤由貴は、高校3年の85年、明星食品「青春という名のラーメン」のCMに出演しそのイメージソング「卒業」で歌手デビュー、曲は20万枚を超えるヒットを記録した。当時、他のアイドルとは一線を画した、もの静かなキャラクターは同性からの人気も高かったが、翌86年にはNHK朝の連続テレビ小説『はね駒』のヒロインに抜擢され全国にその名が知られることになる。「卒業」は20年以上経つ現在も春の卒業式シーズンに歌われる定番ソング。
10 小林麻美 / 雨音はショパンの調べ
1970年、17歳でライオン歯磨のテレビCMに登場しさわやか美少女として話題になった小林麻美は、ドラマ出演を経て72年「初恋のメロディー」で歌手デビュー。以降、細身で都会的なアンニュイ感を持つ女優、歌手として活躍。84年の「雨音はショパンの調べ」は、イタリアのミュージシャン、ガゼボの83年の世界的ヒット曲「I Like Chopin」のカヴァーで、小林の8thシングルとして松任谷由実の日本語詞で発売された。曲はチャート1位50万枚を売り上げ、日本ではガゼボのオリジナルを上回るヒット作となった。
11 渡辺真知子 / 唇よ、熱く君を語れ
1977年「迷い道」でデビューした渡辺真知子は、翌78年「かもめが翔んだ日」で日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。80年に発表した7thシングル「唇よ、熱く君を語れ」は、カネボウ化粧品春のキャンペーンソングとしてオン・エアされチャート4位40万枚を超えるヒット曲になった。当時、ニューミュージック系のシンガー・ソングライターはテレビの歌番組には出演しない風潮があったが、渡辺は積極的に登場、抜群の歌唱力と天真爛漫な明るい性格がブラウン管を通じて全国のお茶の間に届けられた。
12 中森明菜 / 飾りじゃないのよ涙は
1981年、テレビのオーディション番組『スター誕生』に出場し最高得点で合格した中森明菜は 82年「スローモーション」でデビュー。「飾りじゃないのよ涙は」は10thシングルとして84年に発表されて60万枚以上を売り上げ、数多い彼女のヒット作のなかでも「セカンド・ラブ」「ミ・アモーレ」に続く3位の売り上げを記録した。作品を提供した井上陽水自身も84年のアルバム『9.5カラット』でセルフ・カヴァー、岩崎宏美も2008年のアルバム『Dear Friends IV』でこの曲を歌っている。
13 アン・ルイス / 六本木心中
アメリカ人の父と日本人の母を持つアン・ルイスは、幼少時代から横浜に住み十代の頃からモデルや子役として活動を始める。71年「白い週末」で歌手デビューし74年には「グッド・バイ・マイ・ラブ」の大ヒットで歌手としての人気が爆発した。エキゾチックな美貌に加えて豊かな声量を合わせ持つアン・ルイスは80年代からはロックに転向、84年発表の「六本木心中」は有線放送やカラオケでの人気も高くロングセラー曲となった。相川七瀬、本田美奈子、内藤やす子ほか、この曲をカヴァーしている女性アーティストも多い。
14 MIE / NEVER
1981年、国民的アイドルと言われるほどの人気を誇ったピンク・レディー解散後、ミーこと根本美鶴代はMIE、ケイは本名の増田恵子の名前でそれぞれソロ活動を開始。MIEが84年に発表したソロ5作目のシングル「NEVER」は、テレビ・ドラマ『不良少女とよばれて』(TBSテレビ系列)の主題歌として発売され、チャート4位、30万枚近くを売り上げるヒットを記録した。(もとは映画『フットルース』に使われたムービング・ピクチャーズの楽曲)MIEは98年に未唯と名前を変更、歌手活動に加えミュージカル、映画、ドラマなどでも活躍している。なおピンク・レディーは解散後に数度の再結成がなされている。
15 郷ひろみ / 2億4千万の瞳 -エキゾチック・ジャパン-
1972年、「男の子女の子」でデビューした郷ひろみは、西城秀樹、野口五郎とともに新御三家と呼ばれ人気を博す。アイドル歌手として「よろしく哀愁」ほか多くのヒットを生むが、80年代以降は「哀愁のカサブランカ」「悲しみの黒い瞳」など洋楽曲のカヴァーがヒットし大人の歌手として認知される。「2億4千万の瞳」は、84年に50枚目のシングルとして発売され、国鉄「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンソングとしてヒット。“2億4千万の瞳”というタイトルは、この年に日本の人口が1億2千万人となったことから付けられたと言われる。
16 THE ALFEE / メリーアン
坂崎幸之助、桜井賢、高見沢俊彦のTHE ALFEEは、1974年にアイドル・フォーク・バンド“ALFIE”として「夏しぐれ」でデビュー。しかし曲はヒットせず79年に“ALFEE”として再デビュー。当初はアコースティック・サウンドを聴かせる叙情派フォークの位置にあったが、80年からエレキ・ギターを取り入れロックへ転身、83年に発表した「メリーアン」で初のチャート・ベスト10入りを果たした。以降ロックバンドとしての人気が爆発、ライブコンサート・ツアーを中心に精力的な活動を展開している。
17 YMO /  RYDEEN
「RYDEEN」は、細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一のYellow Magic Orchestra(YMO)が80年に発表した2ndシングルで、1979年のアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』の収録曲。RYDEENとは雷電の意。作曲はドラムスの高橋幸宏だが、坂本が高橋の鼻歌メロディーから書き起こしたと言われる。この曲のヒットで日本全国にYMO旋風が巻き起こった。当時フジカセットのCMソングとして使用され、2007年にはキリンラガービールCMのためにYMOが再結成され「RYDEEN 79/07」としてセルフ・カヴァーされた。
18 五十嵐浩晃 / ペガサスの朝
1979年、CBS・ソニーが新人アーティストの発掘育成を目的にスタートした第1回SD(サウンドディベロップメント)オーディションに合格した五十嵐浩晃は、80年に「愛は風まかせ」でデビュー。3rdシングル「ペガサスの朝」は、躍動感あふれるメロディーと張りのある高音が魅力的な曲で、明治チョコレートのCMソングとしてテレビ放映されチャート3位40万枚を記録、シンガー・ソングライター五十嵐浩晃として広く注目されるきっかけとなった。この第1回SDオーディション合格者には堀江淳、HOUND DOG、村下孝蔵などがいる。
19 中村雅俊 / 恋人も濡れる街角
74年、ドラマ『われら青春!』(日本テレビ系列)の主役に抜擢され一躍スターとなった中村雅俊は、同年発表した1stシングル「ふれあい」もミリオンセラーを記録、以降「いつか街で会ったなら」「俺たちの旅」「心の色」などのヒットを重ねる。82年発表の「恋人も濡れる街角」は、桑田佳祐の詞曲による、きわどい恋愛を描いたセクシーな作品で、それまでの中村とは違う大人の中村雅俊を感じさせる仕上がりだ。同年に公開されたつかこうへい原作・脚本による映画『蒲田行進曲』では主題歌として使用された。
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