謎のピアノマン、現る! と言っても、去年海岸に打ち上げられたあのピアノマンじゃない(笑)。Akeboshiこと本名・明星嘉男、1978年7月1日生まれ。このとおり彼の身分はハッキリしている。

だが、ピアノというと、クラシックか弾き語りかという世界にあって彼・Akeboshiは、ちょっと変わった経歴から独特の音世界を持つ。彼は、ピアノを弾き歌いながらも、音楽全体をまるで絵画のように描くのだ。人呼んでシンガーソングライターならぬシンガーソング・コンポーザー。そんなAkeboshiワールドが、どのように形作られてきたか、まずは彼の音楽歴から振り返ってみたいのだが、その前に僕が見た彼・Akeboshiの人物像を描かせていただきたい。と言うのも、彼は音楽の事に限らず、これからのミュージシャン像のあるべき姿を示しているとも思うから。

僕は、音楽に限らず、物事を起こす(発信する)には強い動機が必要だと思っている。動機、つまり何かを見聞きするなどして感動(強い共感や嫉妬、反発など)した時の、その焼き付きこそが全ての原点。あとはそれらをアウトプットする術を得れば、おのずと人には届いてしまう。音楽だって同じことだ。彼は、この音楽の原点ともいうべき根っこの部分において、とても強いものを持つ人だ。それこそが未来のミュージシャン像。

じゃあ彼の経歴と、そこからどういった音楽観が形作られ、なぜそれが独特なのかを順を追って話していこう。彼が音楽に触れたのは3歳の頃。クラシック・ピアノを始めたことによる。その後8〜9歳の頃ニュージーランドに住み、そこでU2に心酔するなど洋楽に目覚めたこと。まずこの二つの刷り込みは大きい。彼のソングライティングが、所謂Jポップというよりも洋楽テイストであることと、大きくジャンルの隔たった物でも共通点を見出し、その結果、様々な物を包括し得る自由なスタンス得た原点だろうから。

その後13歳でバンド活動をスタート。血気盛んでサッカー好きな彼が関心を示したのはハードコア。クラシック・ピアノとハードコア・バンドを並行しながら高校時代を過ごすが、卒業と同時にイギリスはリバプールに音楽留学。一挙、音楽視野と共に人としての視野も広がることに。例えば、「アイリッシュパブで頭でやってない音楽、シンプルな音楽を聴いてそのストレートさもパンクだな、ジャンルに限定されないんだって思った」と言うように、パンクとは何か? というこうした拡大解釈も、刷り込みの幅広さがバックボーンにあってのことという気がする。この時1999年、彼はクラブシーンに片足を突っ込みつつジャズに傾倒していた。

「そこでジャズピアニストのポール・ウォーカーという先生に会ってから変わっちゃったんですよ。彼は音楽は耳だって言うんです。『耳でいろんな音楽聴いてそれを真似てみろ。そこから自分のスタイルが始まって、生き様が音に出て来るから続けることだ』って。あと、やらないと壊せないから理論はとりあえずやれって」。彼はクラシック・ピアノを通じ、更に学問として得た音楽理論を、あくまで“手段”として身に付ける。既成概念を崩し新しい音楽を創作するために。そうしてリバプールでSofakingという、クラブミュージックを生でやる多国籍バンドで活動する傍ら、自らの作曲を積み重ね2002年、1st ミニ・アルバム『STONED TOWN』をリリース。これが累計10万枚以上のセールスを記録。以後インディで2作を、EPIC RECORDS JAPANと契約し過去3作から厳選されたフル・アルバム『Akeboshi』、シングル「Rusty lance」を、それぞれリリース。今作『Yellow Moon』は、久し振りの彼の新作でもある。

という経歴が彼の音楽を独特のものにしている。例えば具体的にこうだ。「アイルランドのちっちゃな村ですごい達者に弾けるのに漁師だったり、農家やりながら音楽やってる人に出会うと『自分って何だろう?』って思ったり」と、世に言うミュージシャンって何? という根源的な問いを、彼は様々な人々とじかに触れることで事あるごとに抱く。そう、だから彼は、彼自体が音楽ドキュメントのような人だ。体験は人に強い焼き付きを残す。今作中にも、と或るイスラエル人青年の話がアイリッシュ・トラッド調の感動的なメロディに乗せて出てくる(3曲目「One step behind the door」)が、これも彼・Akeboshiの体験だ。

「アイルランド旅行中に出会った17歳の奴なんですよ。兄貴が戦争に行って死んでるんですが、そいつもあと1週間で3年間兵役に行かなきゃいけないらしいんですけど、家族は『戻って来なくていい、ヨーロッパで自力で仕事を見つけて暮らせ』って言ってる。そいつ自身は1週間以内に帰らずにイスラエルに一生戻れなくなるか、帰って暮らせるようになるか、本当に迷ってて」。だからここには強いリアリティがある。それがおのずと曲を描かせる。これがAkeboshiの音楽の基本だ。その意味で彼は本来のシンガーソングライターでもある。当然その彼はボブ・ディランに言葉(つまり意思)の自由さを再発見したり、未だ型に囚われず時にはズレた歌詞を書く井上陽水に共感したり(だから今作1曲目「Yellow Moon」は井上陽水氏との共作の作詞)。

今作『Yellow Moon』は、彼・Akeboshiの持つ特徴を曲単位にしたまさに自画像。ポイントは頭ではなく体験で吸収してきた様々な音楽(ポップスやアイリッシュ・トラッドや打ち込みや……)と思い入れのある歌詞を選曲ポイントにして、更に歌物に挑戦したことだと言う。バラエティに富むこのミニ・アルバムの5曲を足し算すると「Akeboshi像」が見えるというわけだ。

最後に彼はこんなメッセージを残してくれた。特に最後のくだりは、リスナーもミュージシャンも編集・ライターもレコード会社の人達もよく聞いておいてほしいと思う。

「実験性とポップさとメッセージ。この三つのバランスが崩れちゃいけないなって思うんですよ。主張が大きすぎても……例えば“戦争反対”とかそれが言いたいだけではポップさは成立しない。実験性は自分のこだわりで、音楽だけいくら良くてもダメだと思うし。まぁ僕はそんなサービス精神旺盛じゃないんだけど、僕がよく言うのは、『絶対驚かしてやる』。ばぁちゃんから子供まで聴いてもらって感動できればって。僕は音楽がすごい好きなんです。最初ビートルズを聴いた時にみんな度肝抜かれて、売るよりも誰かに聴かせたいって衝動に駆られたでしょ? それが今なくなってるじゃないですか? いいものを作ったら『届けたい! 伝えたい!』っていう“衝動”。それに尽きるかな」

この衝動こそ、無償。シンガーにして謎のピアノマン、そして音響派も真っ青な感性豊かなインストゥルメンタル・ミュージックのコンポーザー、Akeboshiは、これからも様々な音楽遍歴を経ていく人だ。

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