日記
ヌー?牛じゃなくてヌー? 2005.01.31[01:05]
29日。地元のスタジオにて作曲祭り。

30日。地元のスタジオにて作曲祭り。
ということで、色々なバンドと比べても、極めてアレンジ作業及び作曲作業が遅く、効率も悪いと思われるチーム・アジカンが何時になくハイペースで燃えている。ハイペースと言っても、普段の2倍とか3倍のスピードというわけでわなく、2倍や3倍なのは集中力のこと。毎回のことだけど、この作業が一番楽しい。だけど、これを録音したり、人前でやるということになると、ボクサーが腹筋を地味にイジメ抜くようなこともやらねばならない。
まあ、最終的にやったらやっただけ、毎回喜びが帰ってくる。音楽にまつわる喜びっていうのは、生きていくのにかなり重要。人に誇れようが誇れまいが音楽しかできないしなぁ。


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ソルファ解説、その11。海岸通り。

この曲は自宅で弾き語りで制作した。当初はバンド編成でやるつもりはなく、録音も弾き語りでやろうかと思っていたが、メンバーの強い要望によりバンドでアレンジを行った。
この曲のような、アコースティックギターのローコードで作る曲というのを、長い間、意図的に封印していた。学生時代はむしろ、アジカンの曲はローコード主体の曲が多かったが、ギターのアレンジが上手くいかずにゴチャつくという感じだったので、「アジカンには向いていない」という判断を俺の中で勝手に下していたのだ。
パワーコードの曲は、片方のパートがベース音を追うだけなので、アレンジが単純だし、音の厚みをスッキリ出しやすいので多用していたのだが、久々にやったローコードの曲が素晴らしい出来になったというのは、今後のアジカンにとっても、俺にとっても大きい。
ストリングスを入れると、いかにもな感じになってしまうので、ギターがそれっぽい感じを出すように、上手くアレンジ出来たと思っている。基本的に、今後も4人だけで、レコーディングもライブも自力でどこまでやれるかやろうと思っている。自分たちで弾けない楽器(弾きたい楽器は山程ある)とエレクトロニカ的なヤツ(知識が皆無)はナシの方向で。

武道館でのゲストは例外。「Whatever」みたいで、やってる本人ですら泣きそうになった。

猫か犬かって聞かれたら、犬 2005.01.29[00:54]
25日。リハーサル。夜、後輩から着信アリ。かなり久しぶりに横浜のリヴァプールこと、金沢八景で飲む。駅前のスピーカーでビートルズがかかっていることが多く、港があるので勝手にそう呼んでいる。後輩達がどんどん大人になっていく。あんなにチャランポランだったアイツが、非常にしっかりとした口調でさらなる後輩に説教をたれていた。「でもお前、なまってるよ。」とは言えず仕舞。

26日。都内にてライブリハーサル。久々にツアースタッフと会い、感覚を確かめながらライブのリハーサルを行う。
その後、TFMにてMM生放送。ケンスイの生誕28周年を祝い、帰宅。お互い、19で出会ってバンドを結成。来年で10年というのが恐ろしい。結成からでもデビューから2年というアンバランス。だが、7年の地下活動が確実に今に生きている。

27日。都内でライブリハーサル。個人的に演奏への集中力とテンションがあまりあがらず、フラストレーションの残る内容だったが、そういう時こそ課題が見つかったりする。ということはダメはダメなりに成果があったということ。
リハ後、堀江アツ師とケンスイと3人で渋谷で飲む。ガンガン飲んでケンスイが「本日の爆睡タイム」に突入した頃、ロッキンオンの古河氏らが偶然にも同じ店に現れて驚く。濃い芋焼酎をごちそうになり、その芋の魔力により堀江圧歯が帰らぬ人になりかける。その後、酔いどれた堀江熱詩をラーメン屋に連行し、モロクソ上手いラーメンを食ったが、堀江圧視はその大半をブチまけていた。酔っぱらいを自宅まで送り届けて帰宅。
その後、堀江阿津市は細美君に電話したらしいが、細美君曰く「何を言っているか全くわからなかった」とのこと。
非常に楽しい夜だった。

28日。休み。肩こりがヒドいので、ギターを弾いたりするのはそこそこにして、のんびり過ごす。夕方から「ハウルの動く城」を観に行く。公開からかなり経っているからか、あれだけの広さに客8人という、ほとんど貸し切り状態で鑑賞。感想を敢えて書くなら、もう1時間くらい長くても良いんじゃないかと思った。2時間では足りない世界の話だった、と思う。

そう言えば、堀江アツ枝からもらった「刑事まつり」のビデオが早くみたい。

ルピンってさっきから読んでるけど、それルパンだからね。 2005.01.24[21:51]
23日。自宅で作曲やら、その他の仕事を行う。
今日はどうやら、うちのキヨシ大先生が海の男になるべく、船舶の免許を取得に行くとのこと。「一体、将来的に何になろうとしているのか?」というのがキヨシ大先生以外の3人が抱く共通の疑問だ。「漁師?」と冷やかしてみたがノーコメントだった。仕方がないので「じゃあ、船でツアーな」と言ってみたところ、ノーコメントに拍車がかかったので、それ以上は聞いていない。
ある意味、やはりキヨシ大先生が一番休日の使い方がうまいのかもしれん。俺は休みの日、ついつい仕事してしまう。基本的に暇という感覚が嫌いだからだ。自分の辞書に「暇」という字が書いてあったら、一心不乱に「暇」の意味の部分や隣の「皮膜」という字まで塗りつぶすかのごとく、セコセコセコセコ動いている。


24日。自宅で作曲やら、その他の仕事を行う。
最近の家でのBGMはsuperchunkの「here's to shutting up」とDEATH CAB FOR CUTIE(綴りのミス修正。なんで間違えたか不明。)の「THE PHOTO ALBUM」の2枚。もの凄く良い。洋楽で好きなバンドは沢山いるけど、音像としてはこういう歪んだギターとグットメロディーみたいなバンドが一番好きだ。
思えば、洋楽にハマったのは浪人とときだ。oasisとかBECKとかRADIOHEADとかRED HOT CHILI PEPPERSとか、まあ挙げていったらキリがないのだが、友人の影響でいろいろ聴くようになった。そして、東京のでかいライブハウスに初めて言ったときは「なんて楽しい場所なんだ」と本当に思った。ちなみに初めて行ったライブはREEFというバンドの初来日公演。「ナニシテモイイヨ」とボーカルのギャリー(確かそんな名前)が言ったので、俺はちゃっかりステージに登った。
アジカンをやっていて、「いつか多くの人の前で俺は演奏する。その時の映像を想像できている。」と、俺は豪語してはばからなかったのだけど、初めてリキッドルームにワンマンで立った時、「俺が想像してたんではなくて、あの時に登って見た光景を思い出していただけなんだな」ということに気付いた。「デジャブ!」とか言ってんじゃねえよという話だ。
思い込みというのは恐ろしい。

凄い仕事に挑戦している。 2005.01.23[00:24]
19日、TFMにてMM収録と生放送。
ASHとはかなり打ち解けて、基本的には通訳の人がいないと何を喋っているのか良くわからない部分がほとんどだが、ちょいとしたコミュニケーションは取れるようになってきた。といっても、俺が使える英語は中学生レベル以下だけど。言葉がないと伝わらないこともあるが、言葉がなくてもつたえられることもある。我々がもの凄くASHが好きだということは伝わっている。

その後、ストレイテナーの面々が到着。ホリエアツ氏は「ホリエテナー」というニックネームがあまり気に入っていない模様。「ホリエール」などは言語道断ということで、今後はホリエアツ氏と表記することにした。本番中のトークはグズグズだったが、本番前の楽屋トークは最高だった。トークの中心的話題は「野グソ」について。20代後半のいい年した大人が7人で野グソの話。とても本番では話せない内容。


20日、休み。歩いて近所の海へ。かなり多くの釣りキチを冷やかしながら歩いていたのだが、誰も魚を釣り上げている様子がない。にもかかわらず、楽しくなさそうなやつはひとりもいなかった。釣り上げるという結果はたいした目標ではないのかどうなのか。それとも釣り糸を垂らすことが目的なのか。どっちかは良くわからんが、楽しそうなのだから良いことなのだと俺は思った。


21日、猛練習。ライブリハーサル。

22日、猛練習2日目。ライブリハーサル。
そう言えば、今日、非常にやりがいのある仕事の依頼が舞い込んできた。これは実現したら結構凄いことだし、まあ何はともあれ、どうですか?的なオファーがあったことがもの凄く嬉しい。時間はないが精一杯やる。何をやっているかは、上手くいってから。

ミーハーという言葉が嫌いだ。
この言葉以上に、人にこの言葉を投げかけて優越感に浸る行為が嫌いだ。自分が何を好きかとか、どういうのが趣味なのか。それが人と違うことだったり、マイノリティーであること自体に優越感を感じる人が結構いる、「俺は(私は)わかっている。一緒にすんなや。」と。そういう考え方は一番タチが悪いと俺は考えている。
だけどもまあ、ブームだとか、そういった一過性のムーブメントにはたまに嫌気がさすこともあるから、もうちょっと良いか悪いかとか好きか嫌いかとかゆっくり考えたらどうかと人に対して思うときもある。でも、自分が心から好きだったらそれで良いではないかと最終的に思う。そして、その判断は自分で下したいと思う。選ぶものがマイノリティーだろうかマジョリティーだろうが良いではないか。自分で選んだのなら。

好き嫌いほど個人的なものはない。

与論島に知り合いがいます。 2005.01.19[01:19]
どぅもこんばんゎ。(@v@)/ゎたしゎゴッチです。

とか書き出したら、誰も俺の日記は読まないと思うし、「アジカンの後藤はアホや」と言われてしまいそうなので、俺は小文字やら顔文字は普段から使わない。
まあでも、親しい友達同士のやりとりで、お互いの共通の感情表現として成立している場合は友達同士で思う存分使ったら良いのではないかと思う。

ただ例えば、「今回の件ゎ、ゎたくしの責任です。申しゎけありません。m(ー_ー)m」と小文字や顔文字を使わない人相手や、社会人や学生の一般的な場面(公共の場面など)で使ったりしたら、何も伝わらんどころか余計に怒りをかうだけなのは誰にでもわかると思う。

いろいろな場面で、「表現の自由」だとか簡単に言うひとは、特に若い若くないに限らず多い。だが大抵の場合、自由を求めるのであるならば責任を負わなければいけないということを無視している。

インターネットは匿名性が高い。というか匿名性の固まりだ。
誰が読むかはわからないし、書いているアナタも半分は必要以上にアナタであるかもしれないが、実は全くもってアナタではない部分も抱えている。匿名ゆえ無責任な攻撃が匿名の誰かに必要以上に刺さるという訳のわからんコミュニケーションがネットでは発生する。

インターネットに依存という意味で過剰に浸かってはいけない。
画面の中ではなくて、アナタの半径5メートルに現実はあるのだと俺は思う。
だけれども、さっき書いたように、時々、わかってはいても自分の半径5メートルが浸食されたり、逆に他人のそれを浸食したりしてしまうことがある。だからまあ、言っていることが良くわからなくなってきたけれども、考えて発信することが必要だと俺は思う。


14日〜16日。キヨシがスノーボードに行くということでリハができず、予定をずらして旅行。温泉につかったり、「あの人、アジカン風だね」とか囁かれたりした。うまいものを食い、見慣れない景色を見、こういう行為が普段の自分や音楽活動を豊かなものにする。


17日。プリプロダクション。
都内のスタジオで新曲のプリプロ、簡単に言うと本番のレコーディングを前に一度、録音してみて良いか悪いか考えたりするという作業を深夜というより明け方と言ったほうが正しい時間まで行う。


18日。プリプロダクション2日目。
新曲がほぼ完成する。そしてもう1曲の新曲を1発録音し、「あーでもない、こーでもない」と言いたい放題を繰り返す。そして結論は出ないまま「一旦、持って帰って冷静に考えよう」という結論に達したので終了。2曲とももの凄い良い曲だ。
今までのアジカン、そして新しいアジカン、どっちらも内包している。そして何より情熱がこもっている。早くみなに聴いて欲しいけど、もの凄いアルバムを作りたいのでゆっくりじっくりやらせて頂きます。

プリプロ後、ASHのライブを観に行く。
そして楽屋にお邪魔し、ティム、マーク、シャーロットとしばし談笑する。ドラムのリックは「真っ直ぐになりたい」という謎の理由を残して楽屋には現れなかった。何に対して、そして何を真っ直ぐにしたいのか、今度会ったら聞こうと思う。というか、明日もASHと仕事で会う。


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ソルファ解説、その10。「真夜中と真昼の夢」

この曲はイントロのアルペジオパターンを俺が作り、ただこのひとつのパターンから曲とイメージを皆で広げて作った。歪んだギターを使わないことをテーマにアレンジを行ったのだが、アジカンは歪んだギターを重ねる手法がこれまで多かったため、「抜く」アレンジをしつつ、しっかりとこちらの熱を伝えるということが難しかった。
流れがある程度見えてからは、持っている感情を穏やかに表現するような、スムーズな作業だったように思う。熱いものを熱く表現するという、従来のアジカンのイメージとは逆の、熱い感情を静かに表現する。実はこういう曲のほうが演奏に技術や感情が要求されて難しい。

構成は非常にシンプル。
アジカンの曲の中でも、もっとも単純な構成の部類に入る曲。曲の構成を面白さと分かりやすさの間に絶妙に落とすというのがアジカンのアレンジ時の最大のテーマだったりする。単純ではあるが、この構成に落とすまでにアジカンは一番時間をかけている。

ラーイって返事、会社ではやめなよ。 2005.01.14[01:26]
11日。新曲のアレンジ。かれこれ結成から考えたら、結構な数の曲を作ってきた。作曲というのは経験が役立つこともあるが、経験が手癖やマンネリの方向にアレンジをもってしまうこともある。何故ならやったことのある方法のほうが遥かに楽だから。
そうならないように、新曲をアレンジしているときは神経を研ぎ澄ませている。惰性では作りたくない。「こんなんでいいか」ではなく「これがいい」でなくてはやっている意味がない。だから俺はメンバーに「本当にそれが良いのか」しつこく聞く。そして自分自身にも何度も聞く。そうやって曲作りは進む。

伝えたいことがあるから音楽を作るのか?
それとも音楽を作るために伝えたいことを探すのか?

これ良い質問だなと思った。(多少、質問の趣旨からずれているかもしれない)
俺は音楽を鳴らしたいし作りたい。そして伝えたいこともある。どっちが先かといえば、音楽を始めた当初は伝えるということを全く考えていなかった。他者とのコミュニケーションとしての音楽というよりは、ただ単純に打ち込めるものが欲しかったし、何かをしていないと不安だったから始めたというのもある。
だけども不思議なもので、いつのまにやら俺にも伝えたいことがあるようになった。これは聴いてくれる人がいるから、伝えたいと思ったことが現実に伝うことが分かったから生まれた感情かもしれないなとも思う。

ただ、伝えたいことを探すということはないなぁ。常に考えていることは山のようにあるから。
その中から、なんとなく意識しなくても曲調やメロディーに合わせて言葉が出てくる。もちろん「音楽の神様が勝手に…」みたいな訳ではなくて、なんとなく大きな世界みたいなのが出てくるみたいなもので、実際の言葉選びは大変なときもあれば簡単なこともある。

まあだから、最初から伝えたいことが具体的にバシっとあるというのは稀かもしれない。ただ大きな枠では常にそういうものを持っている。だからどちらが先でも後でもないし、その順序は大した意味を持たないと俺は思う。
だた表現に対しては、音楽でも歌詞でも切実でありたいと思う。


12日。ドラクエと作曲をする。
スピッツの曲名を間違えたことは、今思い出しても恥ずかしくてたまらない。そして申し訳ない。


13日。作曲を自宅でやる。
基本的にはリフとか断片的な良いメロディーをソルファの時はたくさん作っていたのだけど、最近はもう少し長い、つまり1曲に近いとこまで考えたりしている。何故なら、休みの日が暇すぎるから。
どのくらい暇かというと、キューンからもらった「みんなのゴルフ」のランクが「みんごる神」になってしまうくらいだ。そして俺の携帯は着メロ知らず。ホリエテナーとキャッツからたまにメールが届くくらいで、これなら家の電話だけで十分じゃないかといった有様だ。
たまに電話があって画面を見てみると、謎の着信番号157。何?という感じだ。大腸菌からの電話か。

おかげで作曲がはかどる。

余談だけれども、ノロウィルス。山ちゃんと話したのだけど、それがどういうウィルスで何に注意したら良いかとか全く報道されていない気がしてしかたない。民衆の不安を煽っているだけのような気もする。未知のウィルスっていう訳でもないのに。
報道っていうのも質の善し悪しは微妙。そのまま受け取ったらいけないのな。事実と真実が同じとは限らないからね。
どんどんTVニュースが投げっぱなしになってきている気がする。メディアとの付き合い方っていうのは難しい。

今日の俺は雄弁すぎてダサいので寝ます。
おやすみ。

カッカッカって笑うなよ、アシュラマンじゃないんだから 2005.01.11[01:02]
9日。新曲練習。完成度が徐々に上がってきたので、もう2曲の新曲アレンジを開始する。かなり根詰めての練習であったため、早めに切り上げて終了。
家に帰ったら帰ったで詩やら原稿やらデザインやらやることが満載。忙しいということは良いことだ。

新曲リリースの予定はない。と言うとウソになる。だがシングルを出すつもりはない。まだまだ先の話なので秘密。この話は忘れて。


10日。ゼップ東京にライブを観に行く。清志郎さんがイマジンを日本語で歌ったのだけれど、それがもの凄く良くて感動する。ジョンのオリジナルは言うまでもなく素晴らしい。でもこの日の日本語のイマジンも本当に素晴らしかった。
僕は勿論、ネイティブスピーカー(修正しました)ではないので、聞いたままの英語をそのまま理解することができない。言っていることはなんとなくわかるということが稀にあっても、細かいニュアンスなどは到底無理な話だ。
例えば「バカ」という言葉も、時と場合によっては人をけなす言葉ではなくなって、そこに愛が乗ることもあれば「照れ」という感情の代弁だったりもする。そういうことは日本人が日本語について感じるにも困難な時がある。そういう観点から考えると英語との距離は意外に遠いなと思ったりもする。

感情を伝えるのに言葉がすべてだとは思わないけど、やっぱり言葉は大切だなと思う。世界の言語がひとつしかなかったらいろんなことが簡単になる気もするけど、何か味気ない気もする。どっちが良いかはわからん。旅先などでは、言葉の違いが楽しみを生んだりもするから。世界というのは複雑に出来ているもんだなと思った。

久々に観たイースタンユースにシビれ、近所に新しく出来た家系ラーメン屋にシビれて帰宅。

今日のゼップでのライブは中越地震へのチャリティーが目的とのこと。
出演者としては参加できませんでしたが、ちゃんとチケットを買いました。何も出来ることはありませんが、雪解けの季節の到来とともに被災地域の復興が始まることを祈っています。

もう三回くらい試食して良いですか。 2005.01.09[01:22]
7日。ゼップ東京にてini主催のライブをキヨシマカープと観に行く。駐車場にてアシッドマンのメンバー3人が「どう考えてもゼップはそっちではないよ。」という方向に向かい全く関係ないエレベーターに乗ろうとしているところを目撃し、ゼップまで案内する。場内でホリエーホークスと合流。豪華なメンツのライブを観て興奮した。そしてグっときすぎて半泣きになる。
リスペクトするバンドが終わってしまうというのは正直寂しい。でも俺もキヨシも忘れることはない。

どんなバンドも絶対にいつかは終わる。その時に誰かの胸に一生残る曲をいくつか作れていたら最高だと心から思う。綺麗ごとではない。
表現者はエゴの固まりだけど、受け手があって初めてその表現は成立するし、欲求が満たされたりもする。よくよく考えると「どこに投げるかは俺の勝手だけど、俺としては最高のボールだと思うし、とりあえずキャッチャーミットは構えておいてな」という無茶苦茶なことを我々は言っているようなものだ。そして「忘れないで欲しい」と思うのだからワガママだなとつくづく思う。
例えが下手。


8日。新曲練習。
いろいろなことを試していたら恐ろしく難しい曲になってしまい、皆でテンパりながら練習している。この新曲が完璧に演奏できるようになったとき手に入るものが分かっている。その考えが共有されているのが今のアジカンの強みだ。
手法やアイデアを褒められたいのではない。「良い曲だ」とか「聞いて興奮した」と言ってもらえる瞬間が嬉しい。そのための手法とアイデア。この順序が逆になってはいけない。努力という行為が努力そのものを評価されるということ目的としていないように。
バックビートと休符、数学的な解釈では説明がつかない間の共有によってグルーヴは生まれると思っている。
がしかし、現状の自分のリズムの弱さに落胆している。練習あるのみ。


酸っぱいだけならまだしも 2005.01.07[00:16]
4日。テルスター、ガールハント、そしてスケルトンズと下北沢・渋谷あたりでは年末一番忙しかったと思われるティバーンと飲む。コーヒー焼酎麦茶割りという謎の飲み物が意外にイケたが、そう思っているのは俺だけだった。

5日。新年初仕事。
アジカンは新曲のリハーサルに突入。どんな曲を作っているのか、口の軽い俺はつい日記に書いたり人に喋ったりしてしまうが、今回は秘密。ツアーでやれたらやる予定。
正月明けでなまっているメンバーが数名。

6日。引き続きみっちり新曲作り。
リハーサル終了後、山ちゃんの車でラーメン屋の前まで送ってもらい、新年初ラーメンを食べる。横浜在住ということで、家系ラーメン。麺は固めに限る。


ソルファの解説は最後まで必ずやりますので、しばらくお待ちください。

みなさま、明けましておめでとうございます。 2005.01.04[12:01]
12月29日〜31日。去年のことなので忘れた。これぞ師走という過ごし方だったように思う。

2005年元旦。実家に帰り、親戚の家に挨拶に行く。飲む。

2日、実家に親戚が訪れ、挨拶をする。いとこの息子2人とサッカーをやり、その後幼なじみの家でコーヒーを頂く。
夕飯を実家で食って、横浜の自宅に帰宅。

3日、焼き肉。


かなり久々に実家に帰ったけど、街はどんどん変わってしまう。島田の駅前なんかは、もう昔の風景がまるっきりなくなってしまっていて、複雑な気分になった。国道沿いの飲食店やコンビニ、大型量販店の栄枯盛衰も俺を複雑な気分にする。
俺が小学生の頃は近所の小川でフナが山ほど取れたけど、今ではすっかりドブになってしまった。空港も建設されているみたいだけど、名古屋と東京のど真ん中に空港がいるのかどうかと思う。
なんでも造れば良いというわけではない。

ということを考えた正月でした。仕事します。

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